RECORD

Eno.88 御子柴 桜空の記録

君に三度目の春が来る






教わった言葉を繰り返しては何かを書き換え、
導かれるまま身体の一部を誰かに捧げる、小さな台木。

皆が俺を見ているようで、俺ではないものを見ていた。

「自我を捨てろ」
「言葉を持つな」

「テメエはただの代用品だ、桜の鵺」

それが、俺の始まり。

連れ出されるまで、この世を呪いを受け続けた日々。
でも、本当の最初は、確かに──祝福だけはされていたような気がする。

「だから……」
「生まれてきたことに──期待なんかするな」

その、言葉とは裏腹な表情を見て、今になって思い出したんだよ。





「はあ、はあ……あの人逃げ足はっや!」


姿勢を低くして、歪んだ世界の街並みを走る、走る。
どれくらいそうし続けていたかは覚えてない。そろそろ足を緩めないとちょっと厳しいのは確かだ。

「千賀の奴……ヒト並みになるまで封印食らったっつーのが嘘みてえだ」


ね!だの はへ!だの、ままならない肺で相棒に対する相槌を絞り出し、目を凝らしながら逃げて行った先を追い続ける。
脚力では敵わないと分かっていて、高低差や遮蔽を利用しては距離を縮ませない。ヒトどころか虫みたいだなと思った。

千賀朱明。俺の力をボロボロになるまで好き放題扱っては、逃げたら用済みと言わんばかりに消しにかかってきた因縁の仇敵。

そいつが随分前に自分と同じように世界から追放されていたと聞いた時は思わず苦笑いが出て。
戻ってくる気満々で色々仕掛けを施していたと聞いた時は本格的に笑ってしまった。如何にもやりそうだと思ったから。

話をされてから暫く経ち、千賀が俺らの過ごしてる世界の近くにいる……なんて消息が入って、情報を頼りに様子を見に行ったら一目散に飛び出されてこの有様だ。

その時の俺達を見る顔。幽霊でも見たような顔。
自分で追い出したくせして、一体何だと思ってるのか。

「あまりやりたくなかった、ですけど……!」


本当に辛うじてだが、二人の位置取りを上手く使って僅かに開けた道、真っすぐに射線の通る所へ誘導し。
頃合いと見れば、すかさず手ぶらの諸手で弓の弦を引く──その所作を行う。

手のひらの魔力が引っ張られ、矢のような形を取り。右手を離して、飛ばすッ!

「うおッ!?」

狙い通り肩を撃ち抜き、バランスを崩した千賀はもんどりうって転がり、四つ足で慌ててビル街の方へと入って行く。どう見てもさっきまでの勢いを失っている。チャンスだ。

「往生しろやァ!」


同じ考えだったのか、あっちはあっちで拳を固めて我先にと突っ込んでいった。
この調子ならもう必死に追わなくても大丈夫そうだな、とゆったり跳んで後をついていく。

小走りをしながら考える。正直なところ……今更、千賀朱明――酒吞童子のことを恨んでいるわけではなかった。

確かに酷い目には遭った。遭ったが、かといってそうでない自分の人生のことは想像できなかった。

まず、今前を走っていった……一番大切な彼と出逢えていたかは怪しい。
彼に連れ出されたお陰で見られた、沢山の世界、沢山のお友達も。自分の大切なものとして生きている。

怒りも嘆きも、とうに風化して消えていた。
こうして会おうと思ったのも、ただ興味があっただけだ。

あのひとは何を思っていたのか。これからどうするつもりなのか。


手荒な真似をしてしまったのはまあ、されたことを想うと一発殴っとかなきゃなというところで──

はて、自分の一歩はこんなに小さかっただろうか。

やはり疲れが溜まっていたか、あんまり遅れたくないが、二人が遠ざかっている。
そんなことを考えてるうちに、今度は段々視界が低くなっている気がする。

「ご、ごめんなさ───」

頭に知らない声が聞こえる。上擦った、女の子の声。
一度視界が暗くなって、すぐに晴れる。奇妙な違和感を覚えた。

失神しそうだとか、倒れそうになってるわけではない。
というか、息はあがっているものの別に気分が悪いわけではないのだ。

ふと気になって足を止めた矢先、自分の胴が目に入って、気付く。

「──え、」


小さく軽く柔らかい身体。逆に、髪で随分重たくなった頭。
筋力やら魔力やらが軒並み落ちて差し引きは全然マイナスだ。めちゃくちゃ足が鈍い。

何が理由か微塵もわからないまま、前触れもなく自分の身体が女の子のそれになってしまっていた。
ただそれだけじゃなくて、怪異としての身体能力も殆ど失っている気がする。

「あ、照史、ちょっとまって~……!」


全くお腹から出ない声をあげ、みっともなく足をばたつかせて二人の向かった方に走っていく。
後から分かった話だが。自分たちはこの時、裏から北摩テクノポリスの境を跨いでいたらしい。

この都市でのお話は、そんな形で幕を開けたわけである。