RECORD

Eno.477 三咲 湊の記録

人魚姫の祝福(1)

 「自分の身体がおかしい」と気付いたのは裏世界で初めての戦闘を行った翌日のことだった。
初めて異変が起こった時は気付かなかったけれど、よくよく思い出せばひどく奇妙だった。例えば、とうふ――大豆でできた豆腐ではなく、裏世界に生息する、真っ白な発泡ポリエチレンめいた奇妙な存在だ――がやたら大きく見えたり、普段は使わないような言葉使いがすらすら出てきたり。異変が起こっている最中は「裏世界というのは不思議な場所だから距離感がおかしくなったり酒に酔ったときみたいに気が強くなったりするのだろう」と特に気に留めていなかった。そんなことよりも、眼前に広がる裏世界をひたすらに冒険したい気持ちでいっぱいだった。
 その後、束都の裏ラウンジで人間の姿に戻った時、猛烈な恥ずかしさと後悔に襲われたことを覚えている。泥酔から覚めて、自分のやらかしを思い出し青ざめている時と同じ気持ちだった。
 ……すぐに神秘管理局へ報告したほうがいいんだろうな、とは思っていた。実際に報告したのは異変に気付いてから4日後のことだった。歯医者の予約とかもそうだけど、事態が悪化してからもズルズルと解決を後回しにしてしまう。僕の悪いクセだ。

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患者名:三咲 湊
年齢:21歳
性別:男
主訴:「視覚異常を自覚。2025年5月27日ゆるりんそうげんでの戦闘行動以降、物が大きく見えるとの訴えあり」「普段より拙い言葉遣いが出ると本人より申告あり」
バイタル:体温36.8℃。血圧・脈拍異常なし。神秘率が50%を上回っていることを確認。
所見:”現実離れ”の疑い。診察時点で視覚異常・語調変化との関連は不明。
処方:身体疾患/精神疾患との鑑別も考慮し、束都京帝大学付属病院神秘被害者専門病棟へ3日間の短期入院。

診察医:紫村 柳
診察日:2025年5月■■日

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「はい、ここは?」


「ひざ」



 メガネの局員がミナトに触れている。ミナトが「ひざ」と答えたのは、本来であればひざがあったはずの場所。しかし今のミナトには、人間の持つひざも足も存在していなかった。
 ――2025年6月■■日。神秘被害者専門病棟503号室。
 神秘被害者を専門に診る病棟、その一室にミナトはいた。ミナトの前には、以前に神秘管理局裏駐屯地で話をした局員2人。今ではミナトの担当医とそのお付き人だ。
 本来は3日間の短期入院の予定だった。しかし入院2日目、ゆるキャラのような姿に変化し採血から逃げ回るミナトを目撃した医者は入院期間の延長を判断。一週間程経過した現在も入院中である。

「まるで人魚ですね…。最近、人魚系統の敵性怪奇と戦ったことは? なにか、神秘を使われたとか」


「だから無いってば。紫村さ~ん、僕このまま人魚になっちゃうんですか? こんなピンク色になっちゃって、親になんて言えばいいんだ…」


「地下室の扉で実験しましたよね? 表世界ではその姿は維持されませんから安心してくださいね。かといって、放置すれば悪化する可能性もありますからね。今度からは、異変の報告はもっと早めにね。はい、ここは?」


「みみ」


「そうですか、ここは耳……」



 紫村と呼ばれた局員が手元のカルテに触診の結果を書き込んでいく。今掴んだのは、ミナトの髪の毛部分。もともと外ハネしていた髪の毛が変質したものだ。そこを、今のミナトは耳だという。

「僕はその姿、好きだなぁ。鮮やかなピンク色の人魚姿、かわいいですよ。子供が喜びそう」


「そう?」


「マシュ、あんまり患者の異変を褒めないでください。”このままでいい”と思われると困ります」


「えへへ、でも事実だよ」



 マシュと呼ばれた、白いふわふわの局員が舌を出しイタズラっぽく笑う。
 ふたりの局員の言葉通り、今のミナトは人間の姿ではなかった。アザラシのような下半身、ミトンのような手、肌は鮮やかなピンク色。その姿を人魚と呼べば、多くの人間はおおよそ納得するだろう。

「たしかにこの姿、青空の海水浴場でおもいっきり泳いだら映えそうですよね~」


「そうですよ~。地下のプールで水泳能力確認したときも見事に泳いでみせたじゃないですか。あんなの、これからの夏にピッタリ……」


「裏世界に青空の海水浴場は無いですけどね」



 和気あいあいと話すふたりを見て、紫村のため息が漏れた。

「それにしても驚きましたね。あのゆるキャラみたいな姿から人魚になるんですからね。あの時は、まさか神秘抑制剤が身体に合わなくて症状を悪化させてしまったのではないかと胃がひっくり返る思いでしたよ」


「僕はあの姿も好きでしたよ。ちっちゃくてかわいいじゃないですか」


「それ、外で言わないでくださいね。いろいろ問題になりますから。
 ……いや、しかし保有神秘のバランスはずいぶんと安定しました。今の身体はこうですが、健康状態としてはかなり回復したかと。これも三咲さんの頑張りのおかげですよ」



 こうして笑顔で与太話ができるのも、ミナトの回復が順調な証だろう。事実、ミナトの容態が不安定だった頃の病室には重苦しい空気が満ちていた。
 紫村がミナトへ向き直る。

「それにしても、ゆるりんそうげんの神秘であんなに影響が出るとは……。災難でしたね。ゆるりんそうげんはまさにあなたのような民間協力者が裏世界へ慣れるため、手ならしをするような場所です。こういった症状が出たというのは、非常に珍しいかと……」



 紫村が顎に手を当てた。説明を続ける。

「神秘が人体へ及ぼす影響に関してはまだまだ謎が多いんです。三咲さんとゆるりんそうげんの相性が悪かった可能性もあるのですが……。以前、『幼い頃、神秘に出会ったことがある』と話されていましたね。それの影響も、もしかしたらあるのかも……」


「じゃ、三咲さんが昔出会った神秘はゆるりんそうげん産のとうふでできた女だったってこと?」


「そこは人魚の方にしてくれないですか!?」


「でも、覚えてないんでしょ?」


「や、や、や、女であったことと神秘であったことは確かなんですよ! あと目がある!」


「……まぁ、今回の件でその目撃したという神秘が本物である可能性は高くなりましたよ」


「ただの勘違いだと思われてた…!?」


「ただの美女を見て驚いただけの可能性も捨てきれないとは思っていました」


「なんで神秘だって思ったんですか?」


「……オーラ?」


「んん~……」



 間。

「……ともかく、この様子でしたらもう少しで退院できるかと。今、人間の姿に戻れますか?」


「うん、行けるはず。ここをこうして……、足を正座からまっすぐ立ち上がるみたいに……、んん~~」



 ミナトがうなる。しばらくすると、ふっとピンク色の姿が歪み、本来の人間姿が現れた。

「問題無さそうですね」


「最初は戸惑ったけど、好きに変化できるとわかった今なら人魚姿も悪くないなって思えますね。この気持ち、初めて原付に乗った時と似てるかも」


「新しいことができるってワクワクしますよね~」


「……裏世界で変化するのは自由ですが、あんまり変な場所へは行かないでくださいね」



 紫村の眉間にシワが寄った。人差し指で眉間のシワを伸ばしながら、ミナトのカルテに視線を移す。

「えーと、ですからね。退院後も定期的にこちらに通っていただいてね。症状のチェックとリハビリを行いましょうね。もちろん、いずれはこの人魚への変化も無くしていく方向で」


「え~」


「え~じゃないです。神秘は時に便利ではありますがね。その利便性に目をくらませてはいけませんよ。あなたは普通の人間であることを、くれぐれも忘れないでくださいね」


「かわいいのに」


「ね~」


「そういう問題じゃないですからね……」


 再び、紫村のため息が漏れた。


人魚姫の祝福(2)へ続く。