RECORD
Eno.38 穂叢 焔芽の記録
好意と責任
行動には責任が伴う。
当然の摂理で、小さい頃に嫌というほど学ぶことになった事実。
何かをするというのは、結果を生じるということ。
原因となる行動を取ったなら、そこに結果が生じるということ。
子どもの僕がやらかしたことは、親の庇護こそあったとはいえ、確実に返ってきた。
僕からすれば、嘲りも謗りも罵りも、何一つとして傷にすらならなかった。
それでも、ただ避けられるというのは僕にとって致命的だったとさえ言える。
身の回りの人々が
生活を取り巻く論理が
世界のあらゆる事物が
僕にとっての関心事であり、そして興味の対象。
僕の振る舞いが人を遠ざける。
それは、僕にとっては結果として損になる。
だから、振る舞いの結果を考えなくてはならない。
……。
……一般には、他人から好かれるには自らが好意を示すべきと言われる。
好意、興味、そういうものは必ずしも嫌われるものではない。
むしろ、やり方を間違わないならポジティブな効果をもたらすものだ。
僕にだって、好ましいという感情はある。
恐らく人並み程度にはある。
人並みに居心地の良い場所を、美味しいものを、仲の良い友人たちを好ましく思う。
ただ世界の常識と、僕の気質とが、噛み合わなかっただけ。
好意と好奇心とが表裏にあるから、何もかもを知りたがる。
その上僕は、好ましいと思うものを人と共有したがる。
この2つが一切のコントロールなく噛み合わさる時、あらゆる秘密を明かし、広めようとする。
今なら流石に分かるが、こんな振る舞いをする人間は避けられるに決まっている。
悪意なくやってのける、それが尚更悪い。
たとえ動機が純粋であれ、結局は行動に、その結果に責任を負わねばならない。
幸いにも僕は、自らの大火傷ひとつで学ぶに至った。
当然の摂理で、小さい頃に嫌というほど学ぶことになった事実。
何かをするというのは、結果を生じるということ。
原因となる行動を取ったなら、そこに結果が生じるということ。
子どもの僕がやらかしたことは、親の庇護こそあったとはいえ、確実に返ってきた。
僕からすれば、嘲りも謗りも罵りも、何一つとして傷にすらならなかった。
それでも、ただ避けられるというのは僕にとって致命的だったとさえ言える。
身の回りの人々が
生活を取り巻く論理が
世界のあらゆる事物が
僕にとっての関心事であり、そして興味の対象。
僕の振る舞いが人を遠ざける。
それは、僕にとっては結果として損になる。
だから、振る舞いの結果を考えなくてはならない。
……。
……一般には、他人から好かれるには自らが好意を示すべきと言われる。
好意、興味、そういうものは必ずしも嫌われるものではない。
むしろ、やり方を間違わないならポジティブな効果をもたらすものだ。
僕にだって、好ましいという感情はある。
恐らく人並み程度にはある。
人並みに居心地の良い場所を、美味しいものを、仲の良い友人たちを好ましく思う。
ただ世界の常識と、僕の気質とが、噛み合わなかっただけ。
好意と好奇心とが表裏にあるから、何もかもを知りたがる。
その上僕は、好ましいと思うものを人と共有したがる。
この2つが一切のコントロールなく噛み合わさる時、あらゆる秘密を明かし、広めようとする。
今なら流石に分かるが、こんな振る舞いをする人間は避けられるに決まっている。
悪意なくやってのける、それが尚更悪い。
たとえ動機が純粋であれ、結局は行動に、その結果に責任を負わねばならない。
幸いにも僕は、自らの大火傷ひとつで学ぶに至った。