RECORD

Eno.340 月待 よすがの記録

研究:神秘の固定化①




前述
月待よすがは神秘を暴くことが好きだ。
解明することで普遍化し神秘性が失われるとしても、この世の"神秘"というものを知り尽くしたい。
暴かれることで神秘が消えてしまうのは、興味を満たすうえでのコラテラルダメージに近い。
誰しも思ったことはないだろうか?

"大好きなケーキが無くならず、ずっと食べれればいいのに"。

神秘という不確かな存在を以てすれば、大好きなケーキを失くさずに、満足するまで、喰い尽くすことが出来るのではないだろうか。
これは、そんな我儘な思考ととある研究理論が出くわした結果をしたためたものである。




神秘とは。
畏怖や恐怖が顕現化したものであると考える。
そういった事象に"神秘"というエネルギーの名前をつけて、定義したものだ。
神秘を形作るものは、即ち"神秘性"。秘匿性と言い換えても良い。

では、何が神秘足り得るか。

①神秘の創生とはモノの持つ非科学的性質を、科学的にではなく認知・・によって観測することで起こる。 [1]

②認知によってその領域が変動するのなら、忘却・・とは即ち認知の放棄であり、忘却の進行によって認知の領域が限りなく0に近付いていくという解釈は、イメージのしやすいものかと思う。
 普遍化もまた忘却の一種と言える。普遍化とは即ち、事象の忘却ではなくその事象が神秘によるものであるという認知に対する忘却である [2]


③神秘が自我を持ったものを怪奇と呼び、怪奇は自身の身体を神秘を操ることで形成する。
 神秘率が高いほどに在り方は自由度を増し、強度の高い神秘を帯びるほどに減衰しにくくなる。



神秘とは。
畏怖や恐怖が顕現化したものであると考える。
つまりは、そういった危険性を孕んだ可能性を人間の強い想いが神秘を生む。
多くの神秘は微弱で、誰かに気付かれることもなく自然に霧散し消滅してしまう。

それらを固定化させるものこそを"認知"とするならば、
忘却・・される神秘を認知することもまた神秘を識ることと同義であり。

これは解明し普遍化させる以外の方法で、僕が神秘を愛する研究のひとつである。



1.^【神秘創生理論】より出典
2.^【神秘の回帰性】より出典