RECORD
沙羅非-Ep.5.3:顔無し・惨
月光も満ち、梟も鳴き始めた頃。
雑木林の影。
もぞもぞと動く二人。その声。
「やつの枝葉には、幻覚効果のある成分が含まれてる」

「知ってる」
「知ってるってお前……食らったからだろ」

「身に覚えがある」
「物理的にかよ」

「ん」
小柄な彼は、怪奇に対しての知識を彼女に共有し、作戦を練る。
「いいか。近づいても幻覚と枝葉の餌食だ。何度やっても同じだったろ」

「まあね」
「……まあいい。とにかく、やつの動きを少しでも抑えないと、倒すのは無理だ」

「で。なんか策が有っちゃろ」
見透かしたような言葉。
彼女の言葉にぎょっとして、彼はためらいつつも……矢を取り出す。
「この矢に、不活性化薬が仕込まれてる。でも、お前に撃ったのと暴発したのとで、残りはこの一本だけだ」

「すっくな。何で三本しかなかと」
「高いんだよコレ! お前みたいなやつでも、命まで奪ったら犯罪になると思って……!」

「人を撃っても犯罪ではあるじゃろ」
「うっ……だって、そのままだと、奪われそうだったから……」

「……」
見据える目。
目を逸らす彼。
嘘の色が見えていた。しかしどこか、別の意図があるように思えた。
彼の"最初の"殺意は本物だったが。今は。それは鳴りを潜めている。
疑問は未だに残っているが……空の色を見て、彼女は。

「分かった。ほんでどうする」
「……矢を当てるのは簡単だ。あれがお前にひきつけられてる間に撃つ」

「ん。相分かった。外さんようにね」
「わかってるよ! お前こそ、ひきつけるの失敗して死ぬなよ!」

「はは、そんときゃ笑い」
「っ……じゃあ、任せたぞ」
彼に背中を見せて、桃の木の怪奇に目を向ける。
空は黒々と冷めて。変わらず枝葉は蠢いている。
負傷は多数。だが致命傷は無い。
全力で動くには、十分な状態。

「──ふ、う」
刀についた樹液を、葉の欠片を振り払い。
息を深く吸い……吐いて。

「ッ」
駆ける。
斬る。弾く。
迷い無く、彼女は走る。
命を狙っていたはずの、彼に背を任せて。
「……っ」
「なんで、疑わないんだよ……」
その背を見て。
彼は震えながら、矢を番える。
その眼には揺らぐ殺意。混迷。
今ならば、彼女を撃てるかもしれないという考え。
「僕は……僕だって、こんな、こと、したいわけじゃ」
殺意に潜む恐怖……その時。
彼の胸元が、かすかに紫色に光り。
彼は一層顔を青ざめさせ。構えを取る。
「っ……お前が、いけないんだ」
「お前みたいなっ、よそ者なんか!」
震える手で、指で。
引き金を引き。
弦が走る。
矢が飛ぶ。
それは彼女の背を、心臓をめがけて飛翔して。

(──)

「あいがと」
彼女は見えていないはずの矢を躱す。
枝葉を斬り落としながら、その軌道を援護する。
夜を裂くように、鉄の矢は空を駆けて。
怪奇の幹を、刺し貫く。
……一間、あって。
拒否反応を起こしたように蠢く枝葉。揺らめく大地。
彼女は揺れをものともせず、次の攻撃に備えるが。

「っ!」
矢を放った後の彼は、力が抜けたように、揺れる地に転び。
彼女はそれを見て、援護に走る。
駆け。走り。
その最中。

「っまず」
地面が割れる。
神秘を帯びた殺気を感じ取る。
勢いに任せて刀を振り抜き、地中からの影を弾こうとして──影は再び、刀をすり抜けて。腹部を打撃する。

「っぐ、う」
空に浮かぶ。
地面に転がる。
視界の端で、彼の身体が空に浮かんでいる。

「っ──……あー、もう。最悪……」
徐々に晴れる砂煙。
何度も地面を跳ねて、裂傷と打撲傷にまみれ、流血は止まらず。
それでも。泥と血がまとわりついた頭を振って。
混濁した視界を、呼吸を整えて。

(でも。今ので分かった)
肉を切らせることと対価に得た確証。
見れば樹木は、再生力が落ちたのだろう。
切断された部分を捨てて。まだ繋がっている枝を束ねなおしている。
しかし。そんな隙はあっても、攻撃は間に合わず。
今は集中して回復し、ようやく理解した間合いを、仕組みを整理する。

(幻覚を食らってるのは確か)

(ただこいつは。距離が変わると、効果も変わる)
即効性は高くとも持続性が低い幻覚効果。
故に、一つ前の幻覚効果に合わせて動くと、間合いの違いにより攻撃を貰うことになる……単純だが、面倒な仕組み。
樹木は既に態勢を整え、次の枝葉を伸ばす用意を済ませている。
背後には、矢を撃たれたとはいえ、一度は背中を預けた者。
「ぼく、なんか──げほっ、がはっ──みすてろ、よ……」

「知らん、聞かん」

(下がれば巻き添え。進めば効果が変わる。間合いの調整はできない)

(これだから嫌やっちゃけどね、守るの)
防衛は不得手も不得手。守るとしても、攻めの守りの彼女にとって、この状況は不利そのもの。
裂傷と打撲はまだ許容範囲であるが。それでも、この状況はもう持たないのは明白で。
そうなれば。

(選ぶは一つ)
深く。
深く、深く。
呼吸を済ませ。幻覚効果の変化を見定める。
無数に増え始める枝葉。そのどれが本物かなど、区別は不可能に等しく。
息を吐く、瞼を閉じる。
呼吸を止めて。
──彼女は"ようやく"、"構え"をとる。

(……)
(久しぶり。こん構え)
迫る枝葉の音。上下左右前後、全て不覚。
嗅覚も視覚も、聴覚も触覚も。全て信用できない。
ならば。
一切の感覚を、合切の知覚を斬り捨てて。
(研ぎ澄ませ)
己の最も優れた覚えを。
窮地にこその閃きを、待ち。
(まだ)
待ち。
(まだ……)
待ち。
(……)
──今。

一つ斬る。
二つ断つ。三つ落とす。
四つ薙ぎ。五つ捨てる。六つ突き。
七つ刺し。八つ刎ねる。九つ弾き。十、迫り合い──払い、貫く。
間断無く剣光は奔り、草木も枝葉も皆全て撃ち抜かれたように弾け飛び、空に浮き。
びゅうと風切る音が過ぎ去れば。木枯らしに抱かれた樹木は、その身を守る術を失って。
剣客に、がらんどうの懐を晒し。
月光が差し。

「詰み」
一刀のもと。
桃の木は胴を分かたれ──……討ち取られ、枯れ果てる。
後に残ったのは……ただ一つだけ、枯れる前に落ちた桃。

「……」
彼女はそれを手に取って、転がったままの彼のもとへ向かう。
掛ける言葉などない。だがそれでも、生きてさえいれば、と。

「──」
──彼女は、注意を周辺全域へと向ける。
果実を足元に置き、痛む体で刀を構える。
彼は、動かない。
口元から。胸元から。血が零れ落ちている。
先の枝葉によるものではない。
鋭利な道具。人の手によるもの。
あるいは、それに見せかけるためのもの。
……。

「出てこんか、やっせんぼ」
神秘の気配を感じ、彼女は殺意をためらいなく向ける。
彼に向けていた気迫とは、明確に異なる闘気。
その声掛けに応じてか。それとも余興か。
それらは、雑木林よりぞろぞろと現れる。
手元には、アイスピックやクロスボウといった、人工物を手にしたまま。

「あんたらは、あん顔無しお嬢の仲間か」
沈黙。
しかし、彼女はその意を見破る。

「違うか。あのお嬢と似ちょっけど、アレみたいな面白さが無かがね」
それらは、答えない。
彼女がいかに殺意を向けようと、それらは揺らがず。

「……話しても、無駄やがね」
「そっちの方が、ありがたい」
その態度に、感謝し。
彼女は、"無貌"の一団に斬り込む。