RECORD

Eno.458 烏丸_椿の記録

沙羅非-Ep.5.3:顔無し・惨

 真夜中。
 月光も満ち、梟も鳴き始めた頃。

 雑木林の影。
 もぞもぞと動く二人。その声。

「やつの枝葉には、幻覚効果のある成分が含まれてる」

「知ってる」

「知ってるってお前……食らったからだろ」

「身に覚えがある」

「物理的にかよ」

「ん」



 小柄な彼は、怪奇に対しての知識を彼女に共有し、作戦を練る。

「いいか。近づいても幻覚と枝葉の餌食だ。何度やっても同じだったろ」

「まあね」


「……まあいい。とにかく、やつの動きを少しでも抑えないと、倒すのは無理だ」

「で。なんか策が有っちゃろ」



 見透かしたような言葉。
 彼女の言葉にぎょっとして、彼はためらいつつも……矢を取り出す。

「この矢に、不活性化薬が仕込まれてる。でも、お前に撃ったのと暴発したのとで、残りはこの一本だけだ」

「すっくな。何で三本しかなかと」

「高いんだよコレ! お前みたいなやつでも、命まで奪ったら犯罪になると思って……!」

「人を撃っても犯罪ではあるじゃろ」

「うっ……だって、そのままだと、奪われそうだったから……」

「……」



 見据える目。
 目を逸らす彼。

 嘘の色が見えていた。しかしどこか、別の意図があるように思えた。
 彼の"最初の"殺意は本物だったが。今は。それは鳴りを潜めている。

 疑問は未だに残っているが……空の色を見て、彼女は。

「分かった。ほんでどうする」

「……矢を当てるのは簡単だ。あれがお前にひきつけられてる間に撃つ」

「ん。相分かった。外さんようにね」

「わかってるよ! お前こそ、ひきつけるの失敗して死ぬなよ!」

「はは、そんときゃ笑い」

「っ……じゃあ、任せたぞ」



 彼に背中を見せて、桃の木の怪奇に目を向ける。
 空は黒々と冷めて。変わらず枝葉は蠢いている。

 負傷は多数。だが致命傷は無い。
 全力で動くには、十分な状態。

「──ふ、う」



 刀についた樹液を、葉の欠片を振り払い。
 息を深く吸い……吐いて。

「ッ」



 駆ける。

 斬る。弾く。

 迷い無く、彼女は走る。

 命を狙っていたはずの、彼に背を任せて。

「……っ」

「なんで、疑わないんだよ……」



 その背を見て。

 彼は震えながら、矢を番える。
 その眼には揺らぐ殺意。混迷。

 今ならば、彼女を撃てるかもしれないという考え。

「僕は……僕だって、こんな、こと、したいわけじゃ」



 殺意に潜む恐怖……その時。
 彼の胸元が、かすかに紫色に光り。

 彼は一層顔を青ざめさせ。構えを取る。

「っ……お前が、いけないんだ」

「お前みたいなっ、よそ者なんか!」



 震える手で、指で。
 引き金を引き。

 弦が走る。
 矢が飛ぶ。

 それは彼女の背を、心臓をめがけて飛翔して。

(──)


「あいがと」



 彼女は見えていないはずの矢を躱す。
 枝葉を斬り落としながら、その軌道を援護する。

 夜を裂くように、鉄の矢は空を駆けて。
 怪奇の幹を、刺し貫く。

 ……一間、あって。

 拒否反応を起こしたように蠢く枝葉。揺らめく大地。
 彼女は揺れをものともせず、次の攻撃に備えるが。

「っ!」



 矢を放った後の彼は、力が抜けたように、揺れる地に転び。
 彼女はそれを見て、援護に走る。

 駆け。走り。

 その最中。

「っまず」



 地面が割れる。

 神秘を帯びた殺気を感じ取る。

 勢いに任せて刀を振り抜き、地中からの影を弾こうとして──影は再び、刀をすり抜けて。腹部を打撃する。

「っぐ、う」



 空に浮かぶ。

 地面に転がる。

 視界の端で、彼の身体が空に浮かんでいる。







「っ──……あー、もう。最悪……」



 徐々に晴れる砂煙。
 何度も地面を跳ねて、裂傷と打撲傷にまみれ、流血は止まらず。

 それでも。泥と血がまとわりついた頭を振って。
 混濁した視界を、呼吸を整えて。

(でも。今ので分かった)



 肉を切らせることと対価に得た確証。
 見れば樹木は、再生力が落ちたのだろう。

 切断された部分を捨てて。まだ繋がっている枝を束ねなおしている。

 しかし。そんな隙はあっても、攻撃は間に合わず。
 今は集中して回復し、ようやく理解した間合いを、仕組みを整理する。

(幻覚を食らってるのは確か)

(ただこいつは。距離が変わると、効果も変わる)



 即効性は高くとも持続性が低い幻覚効果。
 故に、一つ前の幻覚効果に合わせて動くと、間合いの違いにより攻撃を貰うことになる……単純だが、面倒な仕組み。

 樹木は既に態勢を整え、次の枝葉を伸ばす用意を済ませている。
 背後には、矢を撃たれたとはいえ、一度は背中を預けた者。

「ぼく、なんか──げほっ、がはっ──みすてろ、よ……」

「知らん、聞かん」



(下がれば巻き添え。進めば効果が変わる。間合いの調整はできない)

(これだから嫌やっちゃけどね、守るの)



 防衛は不得手も不得手。守るとしても、攻めの守りの彼女にとって、この状況は不利そのもの。
 裂傷と打撲はまだ許容範囲であるが。それでも、この状況はもう持たないのは明白で。

 そうなれば。

(選ぶは一つ)



 深く。
 深く、深く。

 呼吸を済ませ。幻覚効果の変化を見定める。
 無数に増え始める枝葉。そのどれが本物かなど、区別は不可能に等しく。

 息を吐く、瞼を閉じる。
 呼吸を止めて。

 ──彼女は"ようやく"、"構え"をとる。

(……)
(久しぶり。こん構え)



 迫る枝葉の音。上下左右前後、全て不覚。
 嗅覚も視覚も、聴覚も触覚も。全て信用できない。

 ならば。
 一切の感覚を、合切の知覚を斬り捨てて。

(研ぎ澄ませ)



 己の最も優れた覚えを。
 窮地にこその閃きを、待ち。

(まだ)

 待ち。

(まだ……)

 待ち。

(……)



 ──今。





 一つ斬る。


 二つ断つ。三つ落とす。


 四つ薙ぎ。五つ捨てる。六つ突き。


 七つ刺し。八つ刎ねる。九つ弾き。十、迫り合い──払い、貫く。



 間断無く剣光は奔り、草木も枝葉も皆全て撃ち抜かれたように弾け飛び、空に浮き。

 びゅうと風切る音が過ぎ去れば。木枯らしに抱かれた樹木は、その身を守る術を失って。

 剣客に、がらんどうの懐を晒し。

 月光が差し。


「詰み」




 一刀のもと。

 桃の木は胴を分かたれ──……討ち取られ、枯れ果てる。


 後に残ったのは……ただ一つだけ、枯れる前に落ちた桃。

「……」



 彼女はそれを手に取って、転がったままの彼のもとへ向かう。

 掛ける言葉などない。だがそれでも、生きてさえいれば、と。



「──」





 ──彼女は、注意を周辺全域へと向ける。
 果実を足元に置き、痛む体で刀を構える。

 彼は、動かない。

 口元から。胸元から。血が零れ落ちている。


 先の枝葉によるものではない。

 鋭利な道具。人の手によるもの。
 あるいは、それに見せかけるためのもの。


 ……。

「出てこんか、やっせんぼ」



 神秘の気配を感じ、彼女は殺意をためらいなく向ける。
 彼に向けていた気迫とは、明確に異なる闘気。

 その声掛けに応じてか。それとも余興か。
 それらは、雑木林よりぞろぞろと現れる。

 手元には、アイスピックやクロスボウといった、人工物を手にしたまま。

「あんたらは、あん顔無しお嬢の仲間か」



 沈黙。
 しかし、彼女はその意を見破る。

「違うか。あのお嬢と似ちょっけど、アレみたいな面白さが無かがね」



 それらは、答えない。
 彼女がいかに殺意を向けようと、それらは揺らがず。

「……話しても、無駄やがね」
「そっちの方が、ありがたい」



 その態度に、感謝し。

 彼女は、"無貌"の一団に斬り込む。