RECORD
Eno.1461 篠崎 駿の記録
恩師
北摩市から高速で数時間、俺は久しぶりに地元に戻った。髪をヘアバンドでまとめ、ワークパンツに革ジャン、ブーツの足音が静かな住宅街に響く。
俺にとって、地元は色々な事を思い出す場所だった。
帰郷のきっかけは、小学校の取り壊しを機に開かれた同窓会だった。父さんからのメール――「お前の通ってた小学校、老朽化で取り壊すらしい。同窓会があるから、顔出してみな」そのメールに押され、数年ぶりに地元に戻った。
築50年を超える校舎は、過疎化による生徒数の減少と老朽化で役目を終え、来月から図書館や公民館を兼ねたコミュニティセンターに建て替えられる予定だった。
校庭のブランコはすっかり錆び、滑り台には雑草が絡まり、教室の窓ガラスは埃とひび割れで曇っている。体育館の屋根には苔が生え、校舎の壁には児童の描いた色褪せた壁画や落書きが残っていた。取り壊し前の数日間のみ、校舎が限定的に開放されていた。
公民館での同窓会は、懐かしい顔ぶれで賑わっていた。会場に入ると、ショートカットの女性が明るい声で呼びかけてきた。
「駿ちゃん!? 久しぶり!私の事覚える?」
その笑顔に、駿は一瞬目を細め、すぐに笑った。
「あぁ!雪ちゃん! 久しぶり!すっごく大人っぽいじゃん!」
高橋雪、彼女は小学校時代の同級生で、仲が良かった友達だ。
はいつも明るく話しかけ、校庭でブランコを漕いだり、給食のデザートを交換したりした。雪は高校時代、恋人だった優とも親しく、彼女の死と俺の右手の怪我を知る数少ない友人だ。雪は目を輝かせて言った。
「私、夢だった保育士になったんだ! 今、保育園で働いてて、子供たちと毎日歌ったり絵本読んだりしてちょっぴり大変だけどすっごく楽しいよ!駿ちゃんは今、何してるの?」
駿は雪の笑顔に、昔の記憶が蘇る。荒んでいた頃、雪の明るさが心の片隅を温めてくれたこと。優と雪が一緒に笑っていた姿。
「保育士か、雪ちゃんずっと言ってたもんね保育士になりたいって…俺は北摩で喫茶店やってるよ」
雪は「喫茶店!? 駿ちゃんのコーヒー、絶対飲みたい!」と手を叩き、懐かしい話に花を咲かせた。だが、雪の視線が駿のリストバンドにちらりと止まり、柔らかく尋ねた。
「…そういえば駿ちゃん、右手、大丈夫? 優ちゃんのことも…ずっと覚えてるよ」
駿は一瞬言葉に詰まり、苦笑いで答えた。
「…ああ、雪ちゃんには隠せねえな。まあ、少しは回復してるよ」
同窓会の喧騒の中、雪がぽつりと言った。
「校舎、取り壊されるんだってね…駿ちゃん、せっかくだから一緒に見に行かない?」
俺は頷き、同窓会の後、雪と一緒に校舎へ向かった。夕陽が校舎をオレンジに染め、ブランコの軋む音が響く。
教室の窓から見える色褪せた母の似顔絵、黒板に残るチョークの跡。廊下を歩きながら、雪が笑った。
「駿ちゃん、覚えてる? あの頃、よくここでふざけてたよね…でも、お母さんのこと、優ちゃんのこと、辛かったよね。」
駿は少し目を伏せ、「ああ…雪ちゃんには、結構話したっけな」と呟いた。
校庭に差し掛かると、懐かしい声がした。
「駿と雪か? 二人とも、こんなところで何してるんだ?」
振り返ると、50代半ばの男性が立っていた。白髪の混じる短髪、穏やかな笑顔に深い目尻のしわ。山田先生だった。
「山田先生…!」
駿と雪の声が重なり、先生は笑いながら答えた。
「同窓会で顔を出してな、校舎をもう一度見ておこうと思って。久しぶりにこの町に戻ってるんだ…二人とも、ずいぶん大きくなったな」
三人で校庭の古いベンチに座り、取り壊し前の校舎を見上げた。ひび割れた壁、苔の生えた体育館、児童の落書きが残る掲示板。雪が「先生の授業、いつも楽しかったですよね。駿ちゃん、いつもサムズアップしてましたよね!」と笑うと、先生は目を細めた。
「ハハ、雪はいつも元気だったな。保育士になったって聞いたぞ…駿は、ちゃんと笑顔のために頑張ってるかい? あれ、よく真似してたよな」
駿は照れ笑いで親指を立てた。
「これ、先生の影響なんですよ…6歳の時、母さんが病気で死んで、俺が荒れてた時、学校で友達とケンカしたり、給食残したり、父さんと話すのも嫌で…今思うとほんと、めんどくさいガキでしたよね」
雪が少し目を潤ませ、先生は静かに頷いた。駿はリストバンドを撫でながら続けた。
「そんな時、先生が教室で『お父さんや友達の笑顔のために頑張れる男になれ』って言って、これをしてくれた。『この仕草は満足した者だけがしていい仕草だ』って教えてくれたの、覚えてます。荒れてた俺に、『何かできる』って思わせてくれて。それ以来、誰かを笑顔にできた時、自分が満足した時に、ついやっちゃうんです」
親指を掲げると先生は顔をほころばせにっこりと笑い同じ仕草で応えた。
「ハハ、そうか! あれがそんな風に残ってたなんて、教師冥利に尽きるな…でも、駿、君自身の笑顔はどうだ? 昔は雪と一緒にハジけてたじゃないか」
その言葉に、駿の胸がチクリと痛んだ。17歳の夏、恋人・優をバイク事故で失った記憶。飲酒運転のトラック、病院の消毒液の匂い、優の最後の言葉。右手の神経損傷でギターを諦めた悔しさ。雪は優の親友として、事故の後も駿を気にかけてくれた。
「…実は、2年前に事故で右手を怪我しちゃって…ギター辞めちゃったんです…でも今は喫茶店で一生懸命頑張ってますよ!」
リストバンドを握り、先生に打ち明けた。雪が「駿ちゃん…」と呟き、そっと手を握った。先生は静かに聞き、校舎の屋根を見上げながら言った。
「それは辛かったな。でも、君は今、その喫茶店で誰かを笑顔にして、助けてる。この校舎がなくなっても、君がここで学んだことは消えない。それにあの時の約束もしっかり守ってるようだしな」
俺は目を伏せ、校庭の風を感じた。雪が優しく笑い、「駿ちゃんの笑顔、子供たちに見せたら絶対喜ぶよ。優ちゃんも、そう思うよね」と言った。
俺は小さく笑い、こう答えた。
「…ありがとう、先生、雪ちゃん。自分の笑顔も、ちゃんと取り戻すよ。一度関わったことは最後まで、って決めてるんで」
先生はサムズアップで応え、こう言った。
「その調子だ。満足した時にだけ、そのサムズアップをしろよ。北摩に行くことがあったら、喫茶店に寄るよその時はよろしくな」
雪が「私も絶対行くよ! 駿ちゃんのコーヒー、楽しみ!」と笑い、三人でサムズアップを交わした。
校舎を後にし、駐車場で雪が言った。
「駿ちゃん、連絡先教えてよ。また会いたいし…それに駿ちゃんが来てくれたら保育園の子供たちきっと喜ぶから、たまに手伝いに来てほしいな」
駿は笑い、スマホを取り出した。
「分かったよ、雪ちゃんの保育園の手伝い、きっと行くよ」
互いに番号を交換し、雪が「優ちゃんの分まで、笑顔届けようね」と言うと、俺は頷き、サムズアップした。
「約束だね。じゃ、雪ちゃん、またね」
バイクに跨り、ヘルメットを被った。エンジンの唸りが夕暮れに響き、北摩の「如月」へと走り出した。
北摩に戻り、「如月」のカウンターに立った。閉店後の店内は静かで、コーヒーの香りが漂う。棚の奥に飾られた母さんの写真に目をやり、6歳の頃の記憶が蘇った。
13年前──
母が病気で亡くなって1年。俺は荒んでいた。学校では友達に当たり、父さんとは目を合わせなかった。校庭のブランコで空を睨み、「なんで母さんがいなくなったんだ…」と呟く日々。
教室の壁には同級生の絵が貼られ、駿の描いた母の似顔絵は色褪せていた。母の歌声が薄れるのが怖かった。だが、雪はそんな駿にいつも話しかけ、一緒にブランコを漕いだ。いつも構ってくれていた雪に、ほんの少しだけ心を開いた。
ある放課後、山田先生が教室に呼び止めた。
「駿、お母さんのこと、話してみないか?」
俺は「先生には関係ない!」と吐き捨てたが、先生は夕陽の教室で静かに語った。
「お母さんが亡くなって、確かに悲しいだろう。だがそんな時こそ、お父さんや友達の笑顔のために頑張れる男になれ。誰かの笑顔のために頑張れるって、すごく素敵な事だと思わないか?」
先生は親指を立て、サムズアップした。駿がじっと見つめると、先生は穏やかに笑い、こう付け加えた。
「これはな、満足した者だけがしていい仕草なんだ。自分が頑張ったこと、誰かを笑顔にしたことに満足した時、胸を張ってこうやって親指を立てるんだ。駿、君もいつか、満足してこの仕草ができるはずだ」
その言葉に俺の心に光が差した。「笑顔…」と呟き、初めて涙をこぼした。校舎の窓から見える夕陽が、駿の小さな決意を照らした。
その日から、俺は父さんに笑顔を見せ、雪とふざけ合い、母の歌を口ずさむ勇気を持った。サムズアップは、満足と決意の象徴になった。
現在──
カウンターでコーヒーを淹れながら、俺はギターに目をやった。まだ複雑なコードは弾けないが、簡単なメロディなら可能だ。小学校の校歌を口ずさみながら窓の外を見上げた。
「先生、雪ちゃん、優…俺、自分の笑顔、ちゃんと取り戻してみせる」
北摩の夜を走るバイクの音が、駿の決意を響かせた。
俺にとって、地元は色々な事を思い出す場所だった。
帰郷のきっかけは、小学校の取り壊しを機に開かれた同窓会だった。父さんからのメール――「お前の通ってた小学校、老朽化で取り壊すらしい。同窓会があるから、顔出してみな」そのメールに押され、数年ぶりに地元に戻った。
築50年を超える校舎は、過疎化による生徒数の減少と老朽化で役目を終え、来月から図書館や公民館を兼ねたコミュニティセンターに建て替えられる予定だった。
校庭のブランコはすっかり錆び、滑り台には雑草が絡まり、教室の窓ガラスは埃とひび割れで曇っている。体育館の屋根には苔が生え、校舎の壁には児童の描いた色褪せた壁画や落書きが残っていた。取り壊し前の数日間のみ、校舎が限定的に開放されていた。
公民館での同窓会は、懐かしい顔ぶれで賑わっていた。会場に入ると、ショートカットの女性が明るい声で呼びかけてきた。
「駿ちゃん!? 久しぶり!私の事覚える?」
その笑顔に、駿は一瞬目を細め、すぐに笑った。
「あぁ!雪ちゃん! 久しぶり!すっごく大人っぽいじゃん!」
高橋雪、彼女は小学校時代の同級生で、仲が良かった友達だ。
はいつも明るく話しかけ、校庭でブランコを漕いだり、給食のデザートを交換したりした。雪は高校時代、恋人だった優とも親しく、彼女の死と俺の右手の怪我を知る数少ない友人だ。雪は目を輝かせて言った。
「私、夢だった保育士になったんだ! 今、保育園で働いてて、子供たちと毎日歌ったり絵本読んだりしてちょっぴり大変だけどすっごく楽しいよ!駿ちゃんは今、何してるの?」
駿は雪の笑顔に、昔の記憶が蘇る。荒んでいた頃、雪の明るさが心の片隅を温めてくれたこと。優と雪が一緒に笑っていた姿。
「保育士か、雪ちゃんずっと言ってたもんね保育士になりたいって…俺は北摩で喫茶店やってるよ」
雪は「喫茶店!? 駿ちゃんのコーヒー、絶対飲みたい!」と手を叩き、懐かしい話に花を咲かせた。だが、雪の視線が駿のリストバンドにちらりと止まり、柔らかく尋ねた。
「…そういえば駿ちゃん、右手、大丈夫? 優ちゃんのことも…ずっと覚えてるよ」
駿は一瞬言葉に詰まり、苦笑いで答えた。
「…ああ、雪ちゃんには隠せねえな。まあ、少しは回復してるよ」
同窓会の喧騒の中、雪がぽつりと言った。
「校舎、取り壊されるんだってね…駿ちゃん、せっかくだから一緒に見に行かない?」
俺は頷き、同窓会の後、雪と一緒に校舎へ向かった。夕陽が校舎をオレンジに染め、ブランコの軋む音が響く。
教室の窓から見える色褪せた母の似顔絵、黒板に残るチョークの跡。廊下を歩きながら、雪が笑った。
「駿ちゃん、覚えてる? あの頃、よくここでふざけてたよね…でも、お母さんのこと、優ちゃんのこと、辛かったよね。」
駿は少し目を伏せ、「ああ…雪ちゃんには、結構話したっけな」と呟いた。
校庭に差し掛かると、懐かしい声がした。
「駿と雪か? 二人とも、こんなところで何してるんだ?」
振り返ると、50代半ばの男性が立っていた。白髪の混じる短髪、穏やかな笑顔に深い目尻のしわ。山田先生だった。
「山田先生…!」
駿と雪の声が重なり、先生は笑いながら答えた。
「同窓会で顔を出してな、校舎をもう一度見ておこうと思って。久しぶりにこの町に戻ってるんだ…二人とも、ずいぶん大きくなったな」
三人で校庭の古いベンチに座り、取り壊し前の校舎を見上げた。ひび割れた壁、苔の生えた体育館、児童の落書きが残る掲示板。雪が「先生の授業、いつも楽しかったですよね。駿ちゃん、いつもサムズアップしてましたよね!」と笑うと、先生は目を細めた。
「ハハ、雪はいつも元気だったな。保育士になったって聞いたぞ…駿は、ちゃんと笑顔のために頑張ってるかい? あれ、よく真似してたよな」
駿は照れ笑いで親指を立てた。
「これ、先生の影響なんですよ…6歳の時、母さんが病気で死んで、俺が荒れてた時、学校で友達とケンカしたり、給食残したり、父さんと話すのも嫌で…今思うとほんと、めんどくさいガキでしたよね」
雪が少し目を潤ませ、先生は静かに頷いた。駿はリストバンドを撫でながら続けた。
「そんな時、先生が教室で『お父さんや友達の笑顔のために頑張れる男になれ』って言って、これをしてくれた。『この仕草は満足した者だけがしていい仕草だ』って教えてくれたの、覚えてます。荒れてた俺に、『何かできる』って思わせてくれて。それ以来、誰かを笑顔にできた時、自分が満足した時に、ついやっちゃうんです」
親指を掲げると先生は顔をほころばせにっこりと笑い同じ仕草で応えた。
「ハハ、そうか! あれがそんな風に残ってたなんて、教師冥利に尽きるな…でも、駿、君自身の笑顔はどうだ? 昔は雪と一緒にハジけてたじゃないか」
その言葉に、駿の胸がチクリと痛んだ。17歳の夏、恋人・優をバイク事故で失った記憶。飲酒運転のトラック、病院の消毒液の匂い、優の最後の言葉。右手の神経損傷でギターを諦めた悔しさ。雪は優の親友として、事故の後も駿を気にかけてくれた。
「…実は、2年前に事故で右手を怪我しちゃって…ギター辞めちゃったんです…でも今は喫茶店で一生懸命頑張ってますよ!」
リストバンドを握り、先生に打ち明けた。雪が「駿ちゃん…」と呟き、そっと手を握った。先生は静かに聞き、校舎の屋根を見上げながら言った。
「それは辛かったな。でも、君は今、その喫茶店で誰かを笑顔にして、助けてる。この校舎がなくなっても、君がここで学んだことは消えない。それにあの時の約束もしっかり守ってるようだしな」
俺は目を伏せ、校庭の風を感じた。雪が優しく笑い、「駿ちゃんの笑顔、子供たちに見せたら絶対喜ぶよ。優ちゃんも、そう思うよね」と言った。
俺は小さく笑い、こう答えた。
「…ありがとう、先生、雪ちゃん。自分の笑顔も、ちゃんと取り戻すよ。一度関わったことは最後まで、って決めてるんで」
先生はサムズアップで応え、こう言った。
「その調子だ。満足した時にだけ、そのサムズアップをしろよ。北摩に行くことがあったら、喫茶店に寄るよその時はよろしくな」
雪が「私も絶対行くよ! 駿ちゃんのコーヒー、楽しみ!」と笑い、三人でサムズアップを交わした。
校舎を後にし、駐車場で雪が言った。
「駿ちゃん、連絡先教えてよ。また会いたいし…それに駿ちゃんが来てくれたら保育園の子供たちきっと喜ぶから、たまに手伝いに来てほしいな」
駿は笑い、スマホを取り出した。
「分かったよ、雪ちゃんの保育園の手伝い、きっと行くよ」
互いに番号を交換し、雪が「優ちゃんの分まで、笑顔届けようね」と言うと、俺は頷き、サムズアップした。
「約束だね。じゃ、雪ちゃん、またね」
バイクに跨り、ヘルメットを被った。エンジンの唸りが夕暮れに響き、北摩の「如月」へと走り出した。
北摩に戻り、「如月」のカウンターに立った。閉店後の店内は静かで、コーヒーの香りが漂う。棚の奥に飾られた母さんの写真に目をやり、6歳の頃の記憶が蘇った。
13年前──
母が病気で亡くなって1年。俺は荒んでいた。学校では友達に当たり、父さんとは目を合わせなかった。校庭のブランコで空を睨み、「なんで母さんがいなくなったんだ…」と呟く日々。
教室の壁には同級生の絵が貼られ、駿の描いた母の似顔絵は色褪せていた。母の歌声が薄れるのが怖かった。だが、雪はそんな駿にいつも話しかけ、一緒にブランコを漕いだ。いつも構ってくれていた雪に、ほんの少しだけ心を開いた。
ある放課後、山田先生が教室に呼び止めた。
「駿、お母さんのこと、話してみないか?」
俺は「先生には関係ない!」と吐き捨てたが、先生は夕陽の教室で静かに語った。
「お母さんが亡くなって、確かに悲しいだろう。だがそんな時こそ、お父さんや友達の笑顔のために頑張れる男になれ。誰かの笑顔のために頑張れるって、すごく素敵な事だと思わないか?」
先生は親指を立て、サムズアップした。駿がじっと見つめると、先生は穏やかに笑い、こう付け加えた。
「これはな、満足した者だけがしていい仕草なんだ。自分が頑張ったこと、誰かを笑顔にしたことに満足した時、胸を張ってこうやって親指を立てるんだ。駿、君もいつか、満足してこの仕草ができるはずだ」
その言葉に俺の心に光が差した。「笑顔…」と呟き、初めて涙をこぼした。校舎の窓から見える夕陽が、駿の小さな決意を照らした。
その日から、俺は父さんに笑顔を見せ、雪とふざけ合い、母の歌を口ずさむ勇気を持った。サムズアップは、満足と決意の象徴になった。
現在──
カウンターでコーヒーを淹れながら、俺はギターに目をやった。まだ複雑なコードは弾けないが、簡単なメロディなら可能だ。小学校の校歌を口ずさみながら窓の外を見上げた。
「先生、雪ちゃん、優…俺、自分の笑顔、ちゃんと取り戻してみせる」
北摩の夜を走るバイクの音が、駿の決意を響かせた。