RECORD
Eno.643 緋山 大志の記録
緋山大志[002]
裏世界に来て、どれくらい経ったのか。
夜も昼も曖昧なこの街では、時の流れすら曖昧だった。
彼――狒々と呼ばれたそれは、瓦礫の塔の高所に腰を下ろし、今日も通りを見下ろしている。
鉄と骨の街を行き交うのは、異形たち。
半透明の皮膚を持つ者、文字の群れのような者、液体の足音を響かせる者。
どれも人ならざるものだが、不思議と人に似た“営み”を持っていた。
彼は、その流れを静かに眺めていた。
ときおり、視線を上げた誰かが「ああ、今日もいる」と目線だけを向けて通り過ぎていく。
まるで街路樹か何かのように、そこにいることを当然とされる存在。
ある夜、隣の崩れた足場に影が腰を下ろした。
「おまえ、動かねぇな。鳥か、石像か……それとも神か?」
彼はゆっくりと目を向け、何も言わなかった。
「“狒々”ってのは、そういう生きもんか?」
またその名が口にされる。
だが、自分が“何であるか”は、まだ分からない。
祠とともに壊された記憶は、名だけを残し、中身を空洞にしていた。
ただ、こうして高い場所に座るのは、自然だった。
地を歩くよりもしっくり来た。
遠くを見て、近くを見ず、騒ぎに混じらず、ただ眺める。
それが、しっくり来る。
狒々。
そう呼ばれたとき、嫌ではなかった。
その音の中に、自分が在るような気がしたから。
火の粉が、風に舞った。
誰かが下で笑い声を上げた。
彼は口元をゆるめた。
笑うと、上唇がわずかに動いて、視界がわずかに揺れた。
夜も昼も曖昧なこの街では、時の流れすら曖昧だった。
彼――狒々と呼ばれたそれは、瓦礫の塔の高所に腰を下ろし、今日も通りを見下ろしている。
鉄と骨の街を行き交うのは、異形たち。
半透明の皮膚を持つ者、文字の群れのような者、液体の足音を響かせる者。
どれも人ならざるものだが、不思議と人に似た“営み”を持っていた。
彼は、その流れを静かに眺めていた。
ときおり、視線を上げた誰かが「ああ、今日もいる」と目線だけを向けて通り過ぎていく。
まるで街路樹か何かのように、そこにいることを当然とされる存在。
ある夜、隣の崩れた足場に影が腰を下ろした。
「おまえ、動かねぇな。鳥か、石像か……それとも神か?」
彼はゆっくりと目を向け、何も言わなかった。
「“狒々”ってのは、そういう生きもんか?」
またその名が口にされる。
だが、自分が“何であるか”は、まだ分からない。
祠とともに壊された記憶は、名だけを残し、中身を空洞にしていた。
ただ、こうして高い場所に座るのは、自然だった。
地を歩くよりもしっくり来た。
遠くを見て、近くを見ず、騒ぎに混じらず、ただ眺める。
それが、しっくり来る。
狒々。
そう呼ばれたとき、嫌ではなかった。
その音の中に、自分が在るような気がしたから。
火の粉が、風に舞った。
誰かが下で笑い声を上げた。
彼は口元をゆるめた。
笑うと、上唇がわずかに動いて、視界がわずかに揺れた。