RECORD

Eno.38 穂叢 焔芽の記録

恐怖

僕が居合わせたすぐ近くで、人が死んだ。

正確には死を偽装したもの。
ただ、僕は本当に死んだものだと、最初は思った。
人が死ぬ瞬間に居合わせたことのない僕は、これが初めて目の前で死んでいくのを見た経験になる。
再三書くが、偽装で未遂ではあったけど。

祖母の死は経験したが、目の前で死んだわけではない。
息絶える瞬間なんてのは見たことないし、体感としては棺桶で眠っているだけ。
申し訳ない気持ちはあるけど、死んだ後にどうなるのか、祖母はどこへ行ったのか、そういうことの方に興味が向いていたことも事実だ。

これについては、本当に祖母には申し訳ないと思う。
でも自分は、僕はこういう人間なのだ。
後から死を実感して悲しいとも思ったけど、時間が経過して落ち着いていたのもあるだろう、知る機会を喪失したことへの悲しみが強かったように思う。
純粋にもう会えないこととか、そういう悲しみがなかったわけではないが、どうしたって知に対する悲しみが大きすぎた気がする。

普通は死とは恐れるものだろう。
少なくとも祖母の時には、そういう感じで恐怖ってものはなかった。

でも、土曜日のあの事件の最中はそうじゃなかった。
彼の死に強いショックを受けた覚えがある。

彼がその選択をしたことの興味だとか、好奇心に紐づいた感情が全く無かったとは言えないだろう。
酷く摩耗した精神だっただろう彼が、如何にして己の過ちに向き合う道へ進んだのか、その過程への興味がなかったとは決して言えない。
僕はそういう存在で、いつだって好奇心を切り離すことができない。

それでもだ。
何かを好む気持ちと、知りたいという気持ち、そしてそういうものについて誰かと共有したい気持ちの3つ。
これらを上回る感情なんて、今まで何ひとつなかったんだ。

恐怖が、ショックが、初めて上回った。

怪奇に連れ去られかけた時ですら
大火傷をして死に掛けた時ですら
僕に恐怖という感情はなく、必ず好奇心が横たわっていた。

たぶん、恐怖が全く無かったわけではないのだろう。
自分が感情として察知できるほど、好奇心や好意、そして共有欲に比して大きなものでなかったのだろうと考えられる。

だから、あれだけ人の死に恐怖というのを感じることが出来たのだろうと。

怖い、って。
恐らくはああいう感覚を示すんだろうな。
プライベートな部分に踏み込まれることに恐怖を覚えるなら、小学校の友人らはどれほど僕を恐ろしいものだと思ったのだろう。
僕が感じたのと同程度の恐怖なら、僕のことなんて見たくもなかっただろうな。

相変わらず、僕にこういう感情が存在したことに対しては面白がってしまうものだけど
お陰でまたひとつ、他人を知り、自分を知ることが出来た。
こういう風に言えるのも、ブラウヒメルによって偽装された結果だからではあるが。

もし本当に死んでいたなら、僕はこのことを面白がれてはいなかったのだろうか。
万事を面白がって、好み、楽しいと思えない生活は、よくよく考えなくてもとてつもない苦痛を伴ったのではないか。

感じたことのない、僕に無いと思っていた感情
もしかしたら、強烈なきっかけさえあれば経験することができるのだろうか。
今までは恐怖も微弱で、他の感情に隠されてきたのだろうから。

もっと細かく感情を分析すれば、ささくれのように些細な感情も見つかるのかな。

誰かへの羨望だとか、嫉妬だとか
誰かに対しての怒りだとか
誰かに対しての恋心だとか
誰かに対して嫌う感情とか

そういうものを、拾えるように努力しよう。
理屈ばっかりではなくて、きちんと他人を知りたいから。

飲み会の後、あれで玄を怖がらせてたらどうしようかな。