RECORD
Eno.172 小谷 侑一郎の記録
二回目の退職日
「小谷、悪ぃけど帰ってくれ。そんでもう来なくていいから」
とある日曜日、いつも通り"野暮用"をこなしに元職場へやって来た小谷はデスクに着く前に元上司に捕まった。
小谷の元職場は色々とルーズな組織で、終電の概念はなく深夜まで"自主的に"働かせ、賃金さえ出せば退職した元社員ですら契約書もなしに呼び出してよいとする中々アレな会社である。
ので、今日は大学の講義がないからといつものように北摩を離れやって来たのだが、助っ人小谷へかけられたのは先のような言葉であった。
他の社員がパソコンへ向かい黙々と作業をしている中、まるで宿題を忘れた子供のように廊下まで連れ出される。
「お前さ、例のお得意さんの案件手伝ったろ。
そん時先方に、退職済みの元社員が作ったって知れて軽く揉めたんだよ。守秘義務どうなってんだ、ちゃんと連絡がつく正規の社員だけでやるべきだって」
「そりゃ……そうだけど、そもそも部長が来てくれって」
「その部長が言ってんだよ」
んん、とわざとらしい咳払い。中年男のじっとりした嫉妬と苛立ちの視線が上から下まで注がれる。
「お前大学行き直してんだって? 北摩市のデカい学校の、経済学だか経営学だかなんか知らんが。
まあ小谷はまだまだ若いから。体力あるうちが華だよ、なあ。学生が手伝いしてる時間なんてないはずだろ。ウチでやってく根性がないからって、金払って遊びに行ってんのかあ?」
「……はぁ」
元上司はまぁ小言の多い人だった。新人の頃から散々やられて来た小谷にとっては慣れたものだ、すぐに意識を遠くに切り替えてしまう。
適当に生返事を繰り返し……上司はまだ何か色々言っているが、要約するとこうだ。
「お前がいなくたって、何の問題もないんだぞ」
これで名実共に、やっと、小谷は晴れて退職となる。
持って来た荷物をそのまま背負い直し、初夏の陽の降るなか北摩へ戻る駅へと足を向ける。昼前の道路は奇妙なまでに空いていて、自分が真昼の空の下にいることに違和感と、心細ささえ覚えた。
4月に書類上は退職し、約二ヶ月の追加労働をこなした。これからは、朝や夕の通退勤ラッシュに揉まれることも無くなるし、この風景が当たり前になるのだろうか。
現実は寂しいもんで、ドラマみたいに都合よく同僚や後輩が追いかけて来てくれたりなんかしなかった。
(会社の名刺、もう要らないんだな)
つい先ほど返却してしまったし。
だが今は、連絡先はSURFを交換すれば事足りるし大事な取引をするような相手もいない。
(バイトでも探すかなあ)
貯金はあるしインターンの給料も出るが、なんせ出て行く金が多いから。
「……はぁ」
俺、そんなにショックか?
居場所だと思っていた組織は小谷の抱える罪悪感も使命感も無慈悲にポイと放り捨てて、忙しい日々はあっけなく終わりを迎えた。
頭は回らないまま、身体だけはいつも通りの帰路を辿って帰っていく。
とある日曜日、いつも通り"野暮用"をこなしに元職場へやって来た小谷はデスクに着く前に元上司に捕まった。
小谷の元職場は色々とルーズな組織で、終電の概念はなく深夜まで"自主的に"働かせ、賃金さえ出せば退職した元社員ですら契約書もなしに呼び出してよいとする中々アレな会社である。
ので、今日は大学の講義がないからといつものように北摩を離れやって来たのだが、助っ人小谷へかけられたのは先のような言葉であった。
他の社員がパソコンへ向かい黙々と作業をしている中、まるで宿題を忘れた子供のように廊下まで連れ出される。
「お前さ、例のお得意さんの案件手伝ったろ。
そん時先方に、退職済みの元社員が作ったって知れて軽く揉めたんだよ。守秘義務どうなってんだ、ちゃんと連絡がつく正規の社員だけでやるべきだって」
「そりゃ……そうだけど、そもそも部長が来てくれって」
「その部長が言ってんだよ」
んん、とわざとらしい咳払い。中年男のじっとりした嫉妬と苛立ちの視線が上から下まで注がれる。
「お前大学行き直してんだって? 北摩市のデカい学校の、経済学だか経営学だかなんか知らんが。
まあ小谷はまだまだ若いから。体力あるうちが華だよ、なあ。学生が手伝いしてる時間なんてないはずだろ。ウチでやってく根性がないからって、金払って遊びに行ってんのかあ?」
「……はぁ」
元上司はまぁ小言の多い人だった。新人の頃から散々やられて来た小谷にとっては慣れたものだ、すぐに意識を遠くに切り替えてしまう。
適当に生返事を繰り返し……上司はまだ何か色々言っているが、要約するとこうだ。
「お前がいなくたって、何の問題もないんだぞ」
これで名実共に、やっと、小谷は晴れて退職となる。
持って来た荷物をそのまま背負い直し、初夏の陽の降るなか北摩へ戻る駅へと足を向ける。昼前の道路は奇妙なまでに空いていて、自分が真昼の空の下にいることに違和感と、心細ささえ覚えた。
4月に書類上は退職し、約二ヶ月の追加労働をこなした。これからは、朝や夕の通退勤ラッシュに揉まれることも無くなるし、この風景が当たり前になるのだろうか。
現実は寂しいもんで、ドラマみたいに都合よく同僚や後輩が追いかけて来てくれたりなんかしなかった。
(会社の名刺、もう要らないんだな)
つい先ほど返却してしまったし。
だが今は、連絡先はSURFを交換すれば事足りるし大事な取引をするような相手もいない。
(バイトでも探すかなあ)
貯金はあるしインターンの給料も出るが、なんせ出て行く金が多いから。
「……はぁ」
俺、そんなにショックか?
居場所だと思っていた組織は小谷の抱える罪悪感も使命感も無慈悲にポイと放り捨てて、忙しい日々はあっけなく終わりを迎えた。
頭は回らないまま、身体だけはいつも通りの帰路を辿って帰っていく。