RECORD
Eno.38 穂叢 焔芽の記録
自滅傾向
ソシャゲをやっててこんなこと言われると思わなかった。
もちろん自分に対してではない。
シナリオの登場人物の、学者キャラのことについて
その本質と傾向に関する注釈が加えられているページでのことだ。
『その行動には探究者が解を求める際に現れる、自滅傾向が見られる』
『生存の意思がゼロに近い』
そんなこと言われなくても知ってるが
と、思わず口に出そうになった。
まさしく自分のことを言っているような、そんな内容。
僕には自滅傾向がある。
生存の意思は、たしかに希薄だ。
ただし積極的に自滅に向かうのではない。
答えを希求する莫大な欲望に比して、生存を望む本能が並にしかないのだろう。
結果として僕は何度も死に掛けている。
幸運にも、縁に恵まれ、彼らの手によって生きながらえただけ。
流石に懲りて理性によって制御はしている。
ただそれだって、本能的な恐怖によって踏みとどまるのではない。
死ぬことによって得られなくなる知恵、知識、それは損失だという論理による。
だからこそ、僕は危険なことでも突っ込んでしまうのを理解している。
『ここまでは死なない』と定めた上で、損失が自分の何かで済むならば突っ込む。
そうして得られるものが甘美で、僕の最大の欲求を満たすものだと知っているから。
これから得られるものを妨げない限り、最大の動機であるから。
そんなだから、悪魔に『もっと君を知りたいから時間をくれ』などと言ってしまうのだ。
普通なら、もっと警戒するのだろうな。
普通の人間であれば、悪魔と聞いただけで身構えるのだろうな。
僕は怪奇に対する偏見が、無いとは言わないが少ない方だと思う。
人と怪奇という括りを使う時点で既にもう偏見が無いと断言できないことは承知している。
けれど、一般的な人間よりは少ない方だろう。
その上で恐怖も薄いものだから、悪魔と聞いたところでこのザマだ。
目の前の彼を、そのような性質・神秘を持っているだけの人であると見ている。
そこに僕の行動を変える理由は一切ない。
後輩についてだってそうだっただろう。
暁の烏、という伝承と概念を背負っている、それだけの人で僕の後輩である。
それ以上でもそれ以下でもなく、行動を変える理由はどこにもない。
相棒だってそうだ。
相棒は金魚で、龍で、遊ぶのが好きなだけの友人だ。
相手がそのような性質であることを認める。
そのような性質と踏まえて、距離感を測りながら接する。
最初はある程度「属性」というものを踏まえて、それが主観であり偏見であると理解して接し
その上で少しずつ相手を知りながら、そぐわない情報を落とし、新たな情報を得て適切に振る舞う。
ただそれだけだ。
怪奇だろうがなんだろうが、彼らも人である。
人との境界がどこにあるかと問われるのならば、もしかしたら自分の中に答えはあるかもしれない。
相手を、個人を知りながら、距離を互いに測ることが出来ること。
ただまぁ、もちろんこの考え方に欠点はある。
まず相手と接することが前提だから、悪意に対して自衛しきれないことがある。
道行く他人に対して、一定の悪意を想定して接することはあるだろう。
肩をぶつけに来る者や、急に荷物を奪ってくる者もごく少数存在しうるものだ。
だが急に刃物を向けられる可能性は、あまり想定しないで生活しているのが事実だ。
彼が悪魔だということを想定している。
まだ深くは知らないから、悪意が向けられる可能性は捨てていない。
その上で、僕の想定を越えた方法で害を加える可能性が無いとももちろん言えない。
そのリスクを避けたいのなら、そもそもなるべく閉じた関係の中にいるべきなのだ。
偏見や恐怖がないと、その想定が杞憂であることを証明できる。
偏見や恐怖がないと、僕の想定を越えた害意によって自滅することがある。
だから知りたいという欲求を持つことは、自滅傾向を持つことと同義になることがある。
分かっている。
もちろん分かってはいる。
だがどうしろと言うんだ?
危険を避けようとしてなお、僕は常に死の際にいる。
僕の想定が完全である限りは死なないだろう。
だが僕の想定に収まる一切はつまらないから。
僕の想定を越えることを望んでいる限り、僕の安全に万全はない。
もちろん自分に対してではない。
シナリオの登場人物の、学者キャラのことについて
その本質と傾向に関する注釈が加えられているページでのことだ。
『その行動には探究者が解を求める際に現れる、自滅傾向が見られる』
『生存の意思がゼロに近い』
そんなこと言われなくても知ってるが
と、思わず口に出そうになった。
まさしく自分のことを言っているような、そんな内容。
僕には自滅傾向がある。
生存の意思は、たしかに希薄だ。
ただし積極的に自滅に向かうのではない。
答えを希求する莫大な欲望に比して、生存を望む本能が並にしかないのだろう。
結果として僕は何度も死に掛けている。
幸運にも、縁に恵まれ、彼らの手によって生きながらえただけ。
流石に懲りて理性によって制御はしている。
ただそれだって、本能的な恐怖によって踏みとどまるのではない。
死ぬことによって得られなくなる知恵、知識、それは損失だという論理による。
だからこそ、僕は危険なことでも突っ込んでしまうのを理解している。
『ここまでは死なない』と定めた上で、損失が自分の何かで済むならば突っ込む。
そうして得られるものが甘美で、僕の最大の欲求を満たすものだと知っているから。
これから得られるものを妨げない限り、最大の動機であるから。
そんなだから、悪魔に『もっと君を知りたいから時間をくれ』などと言ってしまうのだ。
普通なら、もっと警戒するのだろうな。
普通の人間であれば、悪魔と聞いただけで身構えるのだろうな。
僕は怪奇に対する偏見が、無いとは言わないが少ない方だと思う。
人と怪奇という括りを使う時点で既にもう偏見が無いと断言できないことは承知している。
けれど、一般的な人間よりは少ない方だろう。
その上で恐怖も薄いものだから、悪魔と聞いたところでこのザマだ。
目の前の彼を、そのような性質・神秘を持っているだけの人であると見ている。
そこに僕の行動を変える理由は一切ない。
後輩についてだってそうだっただろう。
暁の烏、という伝承と概念を背負っている、それだけの人で僕の後輩である。
それ以上でもそれ以下でもなく、行動を変える理由はどこにもない。
相棒だってそうだ。
相棒は金魚で、龍で、遊ぶのが好きなだけの友人だ。
相手がそのような性質であることを認める。
そのような性質と踏まえて、距離感を測りながら接する。
最初はある程度「属性」というものを踏まえて、それが主観であり偏見であると理解して接し
その上で少しずつ相手を知りながら、そぐわない情報を落とし、新たな情報を得て適切に振る舞う。
ただそれだけだ。
怪奇だろうがなんだろうが、彼らも人である。
人との境界がどこにあるかと問われるのならば、もしかしたら自分の中に答えはあるかもしれない。
相手を、個人を知りながら、距離を互いに測ることが出来ること。
ただまぁ、もちろんこの考え方に欠点はある。
まず相手と接することが前提だから、悪意に対して自衛しきれないことがある。
道行く他人に対して、一定の悪意を想定して接することはあるだろう。
肩をぶつけに来る者や、急に荷物を奪ってくる者もごく少数存在しうるものだ。
だが急に刃物を向けられる可能性は、あまり想定しないで生活しているのが事実だ。
彼が悪魔だということを想定している。
まだ深くは知らないから、悪意が向けられる可能性は捨てていない。
その上で、僕の想定を越えた方法で害を加える可能性が無いとももちろん言えない。
そのリスクを避けたいのなら、そもそもなるべく閉じた関係の中にいるべきなのだ。
偏見や恐怖がないと、その想定が杞憂であることを証明できる。
偏見や恐怖がないと、僕の想定を越えた害意によって自滅することがある。
だから知りたいという欲求を持つことは、自滅傾向を持つことと同義になることがある。
分かっている。
もちろん分かってはいる。
だがどうしろと言うんだ?
危険を避けようとしてなお、僕は常に死の際にいる。
僕の想定が完全である限りは死なないだろう。
だが僕の想定に収まる一切はつまらないから。
僕の想定を越えることを望んでいる限り、僕の安全に万全はない。