RECORD

Eno.340 月待 よすがの記録

解明:影の病①

――……消音性の高い靴音。目の前の鏡を見定める。

前と後ろに合わせた鏡は無限を表し、過去と未来を映し出す。
鏡の中の"自分"を認識できない月待よすがにとって『鏡合わせ』とは縁遠いオカルトだった。
たとえばいつかもしもの未来の自分がそこに映ったとて、今の自分との違いが分からない。
たとえば13枚目の鏡に悪魔の姿があったとして、人の姿であるならそれが分からない。

……けれども今日その日、確かにそれが『あり得たかもしれない自分正しく高校生となった月待よすが』だと分かった。





                     


――「こんにちは」

尋ねてみる。鏡は自分と同じ動作を取って、それからにこりと笑った。


「こんにちは」


「――やっと遭いにきてくれた、これでやっと三度目・・・だ。
 僕のこと、誰だか分かる?」



短く切りそろえられた黒髪を邪魔にならない程度にリボンで結っている。
楽しそうで明るく弾んだ声。

"それ"は、こちら側と明確に対話の意思を示すように真っすぐと人懐こい笑みで語り掛けてくるのだ。

そうした方が・・・・・・、誠意が伝わるから。
そうした方が・・・・・・、人に好かれるから。
そうした方が・・・・・・、愛らしく見えるから。

それは幼き頃から男手一つで自分を育ててきてくれた父親に心配をかけまいとし、
友人たちから気の毒だと思われぬように明るく快適に生活できるよう培った、少女の処世術のようなものだった。
"誠実を以て接すれば同じように返ってくる"とは当たり前ながらにそうして己を律することは難しい。
故に報酬はとっておきの愛情。月待よすがは、父から、友から、幼馴染から、社会から愛されて育ったのだから。

つまりは怪奇からも愛されるのは当然のこと・・・・・で、その少女を手に入れんとした狐の妖が起こした事故は、彼女の人生の分岐路となったはずだ。

「"autoscopy自己像幻視"。世界先生はそう言っていた。
 脳の損傷によって起こされる、ドッペルゲンガーの正体ともされる"病気"」


――曰く、そうして引き起こされる精神的不安と苦痛から"三度会えば死ぬ"とされている。
但しこの通説は少女にとって殆ど関係のない話だった。
目の前に現れる自己像が死の前兆とされていたとて、それが自分の姿であると知覚できない・・・・・・のだから。
そうして与えた"autoscopyオートスコピー"という名付けは、現代に謳われた神秘への否定にも等しい。

「…………」


「――遭いにきたんじゃない。君が呼んだんだ。
 君の話に、僕は縋りにきた」



「ぼくは、」
「まだやるべきことがある・・・・・・・・・


「こんなにずっと死にたいのに、絶対に死ねない」



もしも、自分を偽らずに今も過ごしていれば。
もしも、周囲にそれを打ち明けていれば。
もしも、その異常を抱えてなお人と共に在れば。

――あり得たかもしれない未来。


それが少しでも、手繰り寄せられるならば。今を生きていけるなら。

ドッペルゲンガーautoscopy三度の流れ星自己暗示合わせ鏡の未来虚像の写す屈折率
普及して消えてしまった神秘にすら縋り願いを乞うこともあるだろう。

「autoscopy。君がそう定義するならそれで良い。
 だってその方が怖くないもんね」
「僕は君なのだから、それを受け入れてくれるなら怖がる必要なんてない」


「良いよ。勿論助けてあげる」



"楽しく過ごせますように"。
何故なら少女は三度願ったのだ。それは影の病autoscopyと呼ばれる神秘と鏡という道を通して、悪魔に届くに足る願い。

autoscopyはその所以を知っている。17歳という多感なイキモノは柔い内側を暴かれるたびに傷つき、消えたくなる。
けれども誰にも知られなければ消えたくなってしまうほどの"欲"と、取り繕うことで表世界で生きていける仮面を得ている。
月待よすがが、何よりも人間らしく、神秘のような存在であることを知っている。


指をみっつ、立ててみせる。

「人に触れられない指先触覚


「味の分からない味覚


「顔を認識できない失顔症



「ひとつだけ、治してあげる。
 選んで良いよ、君が知りたいもの」


「――月待よすがなら・・・・・・・、どれを選ぶべきか分かるよね?」




――「勿論


どれを選ぶべきか、知っている。
誠意が伝わるように。好かれるように。愛らしく見えるように。
……彼女が、月待よすがであるには。その答えは明白だっただろう。

「だから、願わせてくれ。僕は」










「………味覚を取り戻したい






「…………」


「……本気?」
「分かるよね、君が取り戻すべきは、」


「分かってる。……分かってるよ」
「けれど、お願い」



……何度でも忘れていいと。いつか治してみせると言ってくれる人がいた。
必ず方法を探そうと励ましてくれる人が居た。
気にしないことが寄る辺になる人が居た。
存外それは不誠実なりの誠意で、好かれることはなくても嫌いな要素でもなくて、愛されない訳でもないと知った。

だから寧ろ明確な"嘘"が余程苦痛で、笑顔が難しくて、露呈した時が恐ろしいと思った。それだけのこと。
……それだけのことなのだ。

「……分かった。良いよ。君の狂った脳を少しだけ治してあげる」


「ただし、―――― を、―――― てはいけない」


「その時は、―――― ?」



それは契約のようなもの。
ひとつ願いを叶えれば、ひとつ約束が在ってしかるべき。
それを破れば、どうなるか。
……神の秘密・・・・であれば、まさしく。

――わかった








その日、悪魔の契約が交わされた。