RECORD

Eno.42 甲賀 力の記録

甲賀ログ『正義は腐るがチーズは熟す』

 

高校三年生で牧場主、という肩書きは、
思春期の男子にとっては少しばかり強すぎる。

たとえば「風紀委員長」とか「生徒会長」とか
「将棋部主将」とか「ラノベ作家(未デビュー)」とか
そういった高校生らしい肩書きとは異なり、
「牧場主」はあまりにも筋肉質で、あまりにも牛くさく、
そしてなにより人生を背負いすぎている。

だが、甲賀力という男子は、
その肩書きを恥じることも気負うこともなかった。

ただ当然のように牧場主であったし、
当然のように草を刈り、
牛を育て、搾乳して、チーズを作っていた。
しかもかなり旨い。


だからこそ、腹が立っていたのだ。


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そもそも話は中学三年のときに遡る。
北海道、両親と共に暮らしていた小さな町。

牧場の朝は早いが、事件はもっと早すぎた。

消費期限切れの牛乳を使った
乳業メーカーの不祥事がニュースになったとき、
まるでウイルスのようにネットの正義が広がった。

拡散、拡散、また拡散。
誰かを責めたい人間たちが、
「関係ありそうな誰か」に牙を剥く。
牙を剥かれる側が関係者かどうかなんて、
もうどうでもよかった。

甲賀の父が営む牧場も、
その“関係ありそうな誰か”に含まれていた。

「おまえのところもグルなんじゃね?」

そんな無根拠な投稿が一つされただけで、
牧場には毎日のように嫌がらせの電話がかかり、
レビュー欄は罵倒で埋まり、
牧場には土足で踏み込まれ、
腐った牛乳パックなどが投げ込まれるようになった。

牧場はじわじわと腐り始めた。
疫病が流行り、牧場の牛はすべて処分された。
人の正義によって、牛乳ではなく人間が腐った。

父は心を病んで死んだ。

そして甲賀の母親も、消えた。
文字通りの意味でこの世からあっさり消滅したのだ。
その話は今度の機会にするとしよう。


いずれにしろ甲賀は両親を失い、天涯孤独となった。

だが、何もかも失ったはずなのに、
彼の心にはたったひとつだけ。
どす黒く、あつく、冷たい、異物が残った。


憎悪だ。
消費者を、心の底からぶん殴りたいと思った。


SNSで正義面して怒っていたあの連中を、
匿名で石を投げていたあの連中を、
買わないことで制裁した気になっていたあの連中を。

自らは何も生み出さないくせに、
生産者の命を、生産物を、
消費するだけ消費して省みず
正しいことしてる顔の消費者連中を。


「殴ってやりたい。できれば、みんな、全員」


だが、拳ではない。
拳では足りない。拳では届かない。
なにせ自分は牧場主の息子なのだから。


拳の代わりに、牛乳で。
ヨーグルトで。チーズで。ソフトクリームで。
あいつらの舌に、胃に、脳に、
暴力的に美味を叩き込んでやる。

これが俺の報復だ。
酪農的反撃手段による牧場式復讐譚だ。
そう、俺は牧場で消費者たちをぶん殴る。


許さない。絶対に許さない。
おまえら全員、胃袋から泣かせてやる。


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その後、甲賀は北摩市へと引き取られた。
義理の祖父が経営する牧場を手伝うことになる。

義理の祖父。
血はつながっていない。だが、乳はつながっている。
牧場の血統など、牛乳が通るホースのように、
ねじれながらも確かに続いている。

だが彼の怒りは、
搾乳されることなく溜まり続けている。
泡立つミルクのように、
心の奥で、静かに、沸騰している。

彼の人生のテーマは、怒りだ。
だがその怒りは、暴力ではなく、生産で語られる。

拳ではなく、乳製品で。
無言のまま。
粘り強く。
──徹底的に。


甲賀の怒りは、牛のように反芻され、
熟成され、いっそう濃くなっていくばかりだった。

今日も彼は、牛乳を搾る。
怒りを絞るように、涙をこらえるように。

その白濁は純粋ではなく、報復の味がした。
──その味に、気づく者はいない。
まだ、今のところは。