RECORD

Eno.451 天鳥 路二の記録

鏡花水月

鏡花水月は、「目には見えるが触れることのできないもの」「夢幻のようであり儚い美しさや趣深い美しさが感じられるさま」
あるいは「具体的な形では捉えられず感覚的に把握・感知することしかできないもの」を指す表現。
「実体のない(が美しい)もの」を、鏡花(=鏡に映った花)と水月(=水面に映った月)にたとえた表現。
――実用日本語表現辞典より引用





その昔、神にかたちはなかった。
今も、鏡に宿るものだという。
そして、それは人の心を映すものでもあるらしい。







この手で心を確かめたいと思っても、水面に映った像のようで確かめることはできない。




……凡そ10年の付き合いになる。
若い彼等にとっては半生に相当する。
だが私は知らない事ばかりだとつくづく思うのだ。
人の心こそ神秘なのではないか?と考えるほどには。

一応、私には腐っても神という認識がある。
どんなに落ちぶれようとも"そのように造られた"のだから仕方ない。
だから、願いを聞き届けるのが役目の一つだった。
尤も、人間として振舞う現在は古ぼけた道標に過ぎない。
人間と同じように、願いを込めてみたり、祈ったりもする。
ヒトは多かれ少なかれ欲を持つ生き物だ。
欲求が無ければ弱り、死んでしまうこともあるし、辛うじて生きていてもその人生は果たして幸福と言えるのだろうか。

ふな祭り。
多くの願いと、忘れたいことが船に乗って流されていく。
莱姆君が「船流しくらい参加しておこうかなぁ」と言ったのは少し意外だった。
君は何も書かなかったけれど。

何故意外だと感じたのかと言えば、彼の願いというものが思い当たる節がなかったためだった。
まだ18だというのに気付けば定住する家はないようだし(これは私も無かったのであんまり人の事が言えない)
摂食障害により栄養不足が懸念され、不眠症の事もある。
病のせいもあるだろうが、どうにも欲が薄いように感じられた。
恐らく全く無いわけではないのだが。
いつも自分の事より他人を優先し、細かいフォローを忘れず、私や銀次君の抜けている部分を補い指摘してくれる。
実のところ、私は嫌われているのではないか?と思ったこともあった。
実際診察には来てくれない。薬を処方したのも随分前のことになる。
以前はひどい薬嫌いで、それは今も変わっていないようだが、効能は理解し認めているらしい。
他の医者にかかっているのであれば良いのだけれど(いや、ちょっと納得は行かないが)。
正直、私の体調は過去の経験から言ってどうとでもなってしまうので、人間である君の体と心を大事にして欲しいのだ。


「良かったらそろそろ私の所に来てね」

「……」
「そのうちね。ありがとう」

これは……当分来ないやつだ。
診察拒否する例は色んな人で何度もあったから何となく分かる。
"天は自ら助くる者を助く"という昔流行った西洋のことわざを思い浮かべる。
これは自分で努力するものを天は助けてくれるという意味だが、もっと平たく、自らを助ける意思のある者でないと神や運、周囲も味方しづらいと捉えている。
私に強制することは出来ない。
私は助けになれるのであればなりたいが、拒むのに無理矢理押し付けるような事は出来ないのだ。
これは自らに課した規則であり、戒めである。
そして助けになりたいことは、私のエゴだ。
だから、私は今日も信じて待つ。




私の願いは「君達に幸あらんことを」。