RECORD
Eno.42 甲賀 力の記録
高校二年の夏。
エアコンの故障率とクラスメイトのやる気が
反比例する、あの夏。人生ゲームで言えば中盤。
RPGなら転職イベント直前。
恋愛なら「付き合ってるの?」「まだなんだってば」
みたいなあいまい期。
彼は、義理の祖父に向かって一言だけ言い残した。
「ちょっとブラジル行ってくる」
言い残す必要はなかったが、
言葉にしなければ始まらない物語もある。
彼が自転車で向かったのは、ブラジルではなかった。
そのまま異世界──
北欧神話世界《アスガルド》へと渡る。
神々が住まいし高天原……の北欧版。
天空の世界。神話の首都。
歴史の舞台。ラグナロク真っ只中。
そう。ラグナロク真っ只中。
まったく、平和じゃなかった。
甲賀が辿り着いた瞬間、世界は既に燃えていた。
ラグナロク──終末戦争。
神々と巨人と、因縁と誤解とがぶつかりあう
物語のクライマックス。
何をどう間違えば高校生が
ここに来てしまうのかはさておいて、
戦争の現場に迷い込んだことだけは確かだった。
──────────────────
で、自分はといえば、
最初は当然ながら「匿われる側」だった。
とある村に身を寄せた。
やさしい人たちがいた。牛もいた。
懐かしいにおいがした。
ふるさとのにおいだった。
だけど戦争に「匿われ枠」なんてなかった。
火の手が上がる。煙が昇る。牛が鳴く。
牧場が焼かれていく光景に、甲賀の胸も焼かれた。
──思い出す。
中学二年のとき。
父の牧場が誤解で叩かれ、経営が傾き、
家族同然に育った牛達が処分されたあの日のことを。
なにも守れなかったあの日の記憶が、胸を貫いた。
甲賀は、あのとき泣かなかった。
泣いても意味がないと思っていた。
意味のある涙なんて、あるわけなかった。
でも、このときばかりは、
怒りが、感情が、抑えきれなかった。
気づけば甲賀の手の中にあったのは、
神話の道具と思わしき凶器だった。
神秘異能《北欧神話》。
神話の文節を引用することで、
現実にその力を出力するという、
荒唐無稽で文学的で暴力的なオリジナル。
その手にあった道具は、
楽器と言うにはあまりにも攻撃的な形だった。
まるで甲賀の怒りを体現したような、
殺意に満ち溢れた形状をしていた。
怒りの名はギャラルホルン。
門番の名はヘイムダル。
九界の夢を破る角笛が鳴る。
今こそ渡れ。
空間と時間を越えて。
「虹の橋」
──────────────────
……その後。
まさかの「その後」。
そんなどうとでもなってしまいそうな
接続詞から始まるのは、もはや事件ではなく事後報告。
つまりここから先は、物語の結末ではなく、
残響のようなものだ。
虹色のゲートから放たれる神話の武器達が、
村を襲った連中をボッコボコにするのに
時間はかからなかった。
怒りを発散し切った後に、甲賀は出会った。
出会ってしまった。
出会う必然性も、伏線も、脈絡もなく、アメリカ人に。
名をジェイムズという。
筋肉に神秘を詰め込んだような、謎の異能マン。
人智を越えるパワーを持ちながら、ある程度の人間性は
ギリギリ持ち合わせたギリギリ人間だった。
出会ってからの展開は、早い。
神話の戦士たちを、バラバラに。
伝説級の神々を、木っ端みじんに。
まるでグミの袋を開けるくらいの軽さで、
彼らを無力化していくジェイムズと、
その横で、物語という武器を読み上げながら
同行する甲賀。
気がつけばラグナロクの戦場は片付き、
気がつけば神々の国は落ち着き、
気がつけばアメリカ人が王になっていた。
いや、任せたわけではない。
譲渡したわけでもない。
ただ、手に余ると判断しただけだ。
アメリカ人に神々の玉座をくれてやったその夜、
甲賀は静かに北摩の地へ戻ってきた。
誰も拍手を送らない帰還。
誰も待っていない仮の宿。
けれど、それでいい。
牧場は喋らない。牛も喋らない。
だから甲賀も喋らない。
雨の中で芽吹く草、泥の中を歩く蹄。
英雄譚は泥だらけになって、
ようやく現実と混ざり合った。
そして今、物語の続きを読む者はもういない。
それでも甲賀は、ページを閉じずに、
そっと牧草を手に取った。
──────────────────
その後。
またしても「その後」。
高校2年生が体験するにしては
濃厚すぎる夏を過ごしてから、半年が経った。
高校3年生の春、甲賀は裏世界───
アザーサイドの存在を知ることになる。
その時、甲賀の脳裏によぎったのは、
焼けた牛舎と、焼けた運命。
かつてアスガルドで焼かれた牧場の残像。
かつて現実で殺処分された牛たちの記憶。
そんな記憶と怒りと情をこめて、
甲賀は牧場を作った。
焼けた過去の上に、新しい草を植えるように。
それは、神の居場所ではなく、牛の居場所。
大いなる物語の結末ではなく、小さな命の始まり。
戦争のあとに建てられるのが神殿ではなく、
牛舎であってもいいじゃないか。
風が吹いた。草が揺れた。
何も語らない牛たちが、
そこにいるだけで十分だった。
神話が終わっても、命は終わらない。
戦いの物語が閉じても、日々はつづく。
神話の続きを、生き物たちと語り継ぐ。
それが、甲賀の選んだ戦後処理であり、
人生の目的を遂げるための戦争準備だった。
今日もまた、草を食む音だけが、
この地に静かに響いている。
甲賀ログ『戦い終えて、牛が残る』
高校二年の夏。
エアコンの故障率とクラスメイトのやる気が
反比例する、あの夏。人生ゲームで言えば中盤。
RPGなら転職イベント直前。
恋愛なら「付き合ってるの?」「まだなんだってば」
みたいなあいまい期。
彼は、義理の祖父に向かって一言だけ言い残した。
「ちょっとブラジル行ってくる」
言い残す必要はなかったが、
言葉にしなければ始まらない物語もある。
彼が自転車で向かったのは、ブラジルではなかった。
そのまま異世界──
北欧神話世界《アスガルド》へと渡る。
神々が住まいし高天原……の北欧版。
天空の世界。神話の首都。
歴史の舞台。ラグナロク真っ只中。
そう。ラグナロク真っ只中。
まったく、平和じゃなかった。
甲賀が辿り着いた瞬間、世界は既に燃えていた。
ラグナロク──終末戦争。
神々と巨人と、因縁と誤解とがぶつかりあう
物語のクライマックス。
何をどう間違えば高校生が
ここに来てしまうのかはさておいて、
戦争の現場に迷い込んだことだけは確かだった。
──────────────────
で、自分はといえば、
最初は当然ながら「匿われる側」だった。
とある村に身を寄せた。
やさしい人たちがいた。牛もいた。
懐かしいにおいがした。
ふるさとのにおいだった。
だけど戦争に「匿われ枠」なんてなかった。
火の手が上がる。煙が昇る。牛が鳴く。
牧場が焼かれていく光景に、甲賀の胸も焼かれた。
──思い出す。
中学二年のとき。
父の牧場が誤解で叩かれ、経営が傾き、
家族同然に育った牛達が処分されたあの日のことを。
なにも守れなかったあの日の記憶が、胸を貫いた。
甲賀は、あのとき泣かなかった。
泣いても意味がないと思っていた。
意味のある涙なんて、あるわけなかった。
でも、このときばかりは、
怒りが、感情が、抑えきれなかった。
気づけば甲賀の手の中にあったのは、
神話の道具と思わしき凶器だった。
神秘異能《北欧神話》。
神話の文節を引用することで、
現実にその力を出力するという、
荒唐無稽で文学的で暴力的なオリジナル。
その手にあった道具は、
楽器と言うにはあまりにも攻撃的な形だった。
まるで甲賀の怒りを体現したような、
殺意に満ち溢れた形状をしていた。
怒りの名はギャラルホルン。
門番の名はヘイムダル。
九界の夢を破る角笛が鳴る。
今こそ渡れ。
空間と時間を越えて。
「虹の橋」
──────────────────
……その後。
まさかの「その後」。
そんなどうとでもなってしまいそうな
接続詞から始まるのは、もはや事件ではなく事後報告。
つまりここから先は、物語の結末ではなく、
残響のようなものだ。
虹色のゲートから放たれる神話の武器達が、
村を襲った連中をボッコボコにするのに
時間はかからなかった。
怒りを発散し切った後に、甲賀は出会った。
出会ってしまった。
出会う必然性も、伏線も、脈絡もなく、アメリカ人に。
名をジェイムズという。
筋肉に神秘を詰め込んだような、謎の異能マン。
人智を越えるパワーを持ちながら、ある程度の人間性は
ギリギリ持ち合わせたギリギリ人間だった。
出会ってからの展開は、早い。
神話の戦士たちを、バラバラに。
伝説級の神々を、木っ端みじんに。
まるでグミの袋を開けるくらいの軽さで、
彼らを無力化していくジェイムズと、
その横で、物語という武器を読み上げながら
同行する甲賀。
気がつけばラグナロクの戦場は片付き、
気がつけば神々の国は落ち着き、
気がつけばアメリカ人が王になっていた。
いや、任せたわけではない。
譲渡したわけでもない。
ただ、手に余ると判断しただけだ。
アメリカ人に神々の玉座をくれてやったその夜、
甲賀は静かに北摩の地へ戻ってきた。
誰も拍手を送らない帰還。
誰も待っていない仮の宿。
けれど、それでいい。
牧場は喋らない。牛も喋らない。
だから甲賀も喋らない。
雨の中で芽吹く草、泥の中を歩く蹄。
英雄譚は泥だらけになって、
ようやく現実と混ざり合った。
そして今、物語の続きを読む者はもういない。
それでも甲賀は、ページを閉じずに、
そっと牧草を手に取った。
──────────────────
その後。
またしても「その後」。
高校2年生が体験するにしては
濃厚すぎる夏を過ごしてから、半年が経った。
高校3年生の春、甲賀は裏世界───
アザーサイドの存在を知ることになる。
その時、甲賀の脳裏によぎったのは、
焼けた牛舎と、焼けた運命。
かつてアスガルドで焼かれた牧場の残像。
かつて現実で殺処分された牛たちの記憶。
そんな記憶と怒りと情をこめて、
甲賀は牧場を作った。
焼けた過去の上に、新しい草を植えるように。
それは、神の居場所ではなく、牛の居場所。
大いなる物語の結末ではなく、小さな命の始まり。
戦争のあとに建てられるのが神殿ではなく、
牛舎であってもいいじゃないか。
風が吹いた。草が揺れた。
何も語らない牛たちが、
そこにいるだけで十分だった。
神話が終わっても、命は終わらない。
戦いの物語が閉じても、日々はつづく。
神話の続きを、生き物たちと語り継ぐ。
それが、甲賀の選んだ戦後処理であり、
人生の目的を遂げるための戦争準備だった。
今日もまた、草を食む音だけが、
この地に静かに響いている。