村長としての仕事を色々と確認してみたが、正直と言って平和なこの村ではあまりやることがなかった。
村は山と山に非常に小規模なものであるし、定期的に収める年貢についても問題がない。
以前にも大飢饉があったと聞くが、この村は変わらず米が育ち、問題なく年貢を納めることができた。
そういえば田んぼの間の道が少し崩れていた。後で治すように頼んでおこう。
──────────────────────────────────────────
次の記録
今日は村から一人の若者が旅に出た。
昔から炭で木の板に絵を描いていたあの子だ。
江戸で絵の勉強をして画家を目指すつもりらしい。
私と年も近いことだし頑張ってほしい。餞別として路銀を少し多めに渡してあげた。
──────────────────────────────────────────
しばらく何気ない日々の記録が続く……
私は何も知らなかった。
書き留めて良いことかもわからない。
だが頭の中の整理を兼ねて今日知ったことを記すことにする。
この村は季節が巡る度に一人ずつ生贄を、一つの年に1人を神へ生贄として捧げているのだという。
齢十五になり成人となった者に教えるしきたりだという。私が村長として過ごす間に、3人もの者が生贄としてささげられていた……。
思えば、稀に突然見かけなくなった村民が居た。皆口裏を合わせていたのだろう。
画家を志した彼も、ひっそりと、生贄に捧げられていたという。
なんたる恐ろしきことか……一先ず、今日は床に就きながらこれについて考えるものとしよう。
──────────────────────────────────────────
上記の冊子には事件当時村長を務めていたとみられる人物の記録が記載されていた。
これ以降の冊子には生贄行為を継続する旨を記した重要性の低い情報がしばらく継続する。