RECORD
Eno.74 川崎 彩羽の記録
Case2:ウィグナーの友人
ウィグナーの友人(Wigner's friend)は、ハンガリー出身の物理学者ユージン・ウィグナーが1961年に提唱した思考実験であり、
量子力学における観測者の立場や意識の役割を問い直すために用いられる。
この実験では、ある観測者(友人)が密閉された部屋の中で量子系を観測し、その結果を得たとするが、
部屋の外にいるウィグナー自身にとっては、友人の観測結果すらも量子的な重ね合わせとして扱われる。
この状況は、「観測された事象が誰にとって確定しているのか」「観測行為は本当に絶対的な現実を定めるのか」といった、
観測の客観性と主観性の境界を揺るがすパラドックスを示している。
入れ子構造(箱 in 箱)のたとえで捉えれば、この問題はある程度直感的に分かりやすい。
各階層で「0 or 1(結果)」が決まる一方、上位階層の観測者にとっては依然“0と1の重ね合わせ”が続く――というものである。
ただし、これは次元差のある存在に限らず、同じ現実世界の存在同士間でも
比喩的な「視点の差」という部分で同様の法則を問うことができる。
この実験は、意識と物理現象の関係、そして量子力学の観測問題に対する根源的な解釈を
より深く掘り下げる哲学的な問いを含むものとして、現代の量子論議においても重要な位置を占めている。
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ウチを、ウチの観測を
観測してくれる“誰か”が居なきゃってなら──

量子力学における観測者の立場や意識の役割を問い直すために用いられる。
この実験では、ある観測者(友人)が密閉された部屋の中で量子系を観測し、その結果を得たとするが、
部屋の外にいるウィグナー自身にとっては、友人の観測結果すらも量子的な重ね合わせとして扱われる。
この状況は、「観測された事象が誰にとって確定しているのか」「観測行為は本当に絶対的な現実を定めるのか」といった、
観測の客観性と主観性の境界を揺るがすパラドックスを示している。
入れ子構造(箱 in 箱)のたとえで捉えれば、この問題はある程度直感的に分かりやすい。
各階層で「0 or 1(結果)」が決まる一方、上位階層の観測者にとっては依然“0と1の重ね合わせ”が続く――というものである。
ただし、これは次元差のある存在に限らず、同じ現実世界の存在同士間でも
比喩的な「視点の差」という部分で同様の法則を問うことができる。
この実験は、意識と物理現象の関係、そして量子力学の観測問題に対する根源的な解釈を
より深く掘り下げる哲学的な問いを含むものとして、現代の量子論議においても重要な位置を占めている。
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「――ちょいムズめだけど、“何かを観測してる人”を“観測してる人”が居るって構造なんだよね。
後者にとってはまだ事象は確定してない、っていうかね?」
「生物がいて、それを観測する人間がいて、それを観測する神サマが居て、そのまた上に何かが居て、
その“上”の者にとっては“下”は沢山の可能性を持ってる、てかね?」
「ほら、ワブドで見た情報が本当に正しいかって
結局のとこ発信者にしかわかんないっしょ?
それが嘘か真かって、観測者には分かり得ない!
つまりそこには可能性が沢山詰まってるってワケ!」
「……つまり、誰かに“観測”されている時の方が
色んな“事象”の結果に触れられるって事でもあるんじゃね?」
「ウチは自分で色んなものを知りたい。0と1に確定した結果を見たい!
──ウチが猫を“視”なければ、その猫が、猫であるかも証明できない!
そのためには、ウチを観測してくれる者が居ないといけないっしょ」
ウチを、ウチの観測を
観測してくれる“誰か”が居なきゃってなら──
「それってあっちが適役なんじゃね?
いっちゃん安心して、きっと退屈しない!」