1
境界が無いと言えど、表と裏の二つは区別せねばならないものではある。
裏世界に関与していない表世界の人間の数が多く、その存在を露呈させるべきでは無い以上、
区別すること自体は理に適っているだろう。
その事を踏まえて、何処までが妥当な線引かは考えねばならない。
表と裏は互いに影響を与え合っている。
表の人の思念が裏に形を与えたり、
裏の怪奇の悪事が表の通信を阻害してたりするらしい。
表の秩序や日常を保つために裏で、水面下で、戦う人が居る事実がある。
それを知ってしまった以上、その事実から目を背けてはならず、
秩序も日常も献身の上に成り立っている事を自覚しなければならない。
逆に言えば、秩序も日常もその献身なしには成り立たない事を理解しなければならないだろう。
それは、一応、理解は出来る。
知りたくなかったという気持ちは強いが、
それはもう不可逆の事象だ。呑むしかない。
本質的に同一の混沌であるものに、
人為的な調整をもって表世界に秩序を生み出してる、と。
2
暴力もなにも、裏だけのものではない。
ただ混沌の坩堝を統制するのに、暴力が最も分かりやすい法ではあろう。
それで統制するために裏では暴力が容認されて、いる。
多分、これが自分にとってはかなり悍ましい話で。
裏で暴力を振るう人を、表で同じ目で見れる自信が、あまり無い。
けれどそうやって暴力を以て裏を制する事を受け容れてくれる人のお陰で表の秩序は保たれているから、
目を逸らしても忌避しても、本当は、よくない。
それをするのが人で無ければいいと、思ってしまう。
そもそも怪奇だったり、強大な存在の力を借りている方が、まだ受け容れ易い。
良くないこととは分かっている。
人間が暴力を振るうのが、ずっと受け入れ難い。
ことを、ようやく理解した気がする。
3
敵性怪奇が振るう暴力はもはや、どうでもいいまである。
そういうもので、あれらはそういう敵だ。
過去を想起しないで済むようにはなれて来たから、
一旦それについてはいいだろう。
ただ先日、逃げ際に一撃喰らったのは良くは無かった。
不意に敵性怪奇地域に迷い込んだらまず敵の力量を測った後、
人が敵う存在であれば救援を出す、とした方が良い事は学んだ。
だがそのために、先述の問題はクリアしなければならないだろう。
4
人間の振るう暴力に対して忌避をしない方法を、考えようとするけれど、難しい。
敵性存在の非人間化や正当化をすればいいのが定石ではあるが、
“人間が暴力を振るっている”という点が恐ろしい。
この恐怖のルーツは探るまでも無く自明だ、
中学時代のいじめが、未だに深い傷として残ってる。
独りでいればいい。
そもそも他者と距離を置いていればいい。
根深い他者不信と対人恐怖がそんな短絡的な答えを出す。
他人を遠ざけていれば、もう一つの恐怖からも逃れられるから。
けれどもそれは本末転倒だろう。愛すべき隣人を失ってはならない。
……もう少し考えなければ。
表世界だというのに、薄ら息苦しい気がしてならない。
ストレスのコントロールの仕方も、改めて考えないといけないな。