RECORD

Eno.468 月澪 銀の記録

里帰り

裏世界の南区、アザーサイドコロニストの拠点がある住宅街のほど近くにある廃ビルの一室が私、月澪銀が住んでいた部屋だ。

「ほら、さっさと動く。きりきり働かないとぶっ壊すよ」
野良掃除機を鹵獲して連れてきて、たまりにたまったほこりを片付ける。本来科学の産物である掃除機が、なんで自分で動いて野良になっているのか、それこそが神秘そのものだが、こうして鹵獲してしまえば表同様に使える(しかも自動、さらに電源もいらない)掃除機なのだから、便利は便利だ。
野良配膳ロボも大量に鹵獲して配膳させれば人手がなくても飲食店を開くこともできるかも。やらないけど。冷蔵庫ぐらいは取ってきてもいいかもしれない。足は千切ってしまえば動けないだろうし。

久々に帰って来た部屋を見渡す。出ていった時と変わらないものの少ない部屋。どうやらいない間に誰かが入ってきて荒らしていった、ということはなかったようで胸をなでおろした。

「まあ、押し入ったところで、持っていくものなんてないけどね……」
一角に作られた祭壇に飾られている母の写真が目に留まる。ただいま、と心の中で呟くけれど、帰ってくるものはなにもない。ここに母の魂はないし、形だけだ。
野良掃除機が律儀に床の埃を吸い上げる音響く中、乾いた雑巾で祭壇を拭きあげていく。

―――

呼称「月の魔物」は、裏世界でたびたび現れては人・怪奇問わず被害を振りまく怪物であった。
「月」とは、青白い体躯が空に浮かび、それがまるで月のように見えることから着けられたものであり、空に浮かぶ月とは無関係とされる。あるいは表世界を地球としたとき、裏世界を月に見立てたともされ、ともかくはた迷惑で強力な怪奇であった。

ある時大規模な討伐計画が立てられ、管理局、コロニストが協同でことにあたり一時は討伐できたものと考えられていた。記録でもしばらく姿を見せることはなかった。

……

月澪銀の母親に当たる人物は、気が付くと黄昏色の空に包まれたその世界に迷い込んでいた。
知っているようで知らない街並みに戸惑っていると、青白い何かが視界を横切ると、気を失っていた。
その後、コロニストに保護されるも、茫然自失としており意思表示もままならない状態であった。MYSレートを測定すると、尋常ならざる数値となっており、このまま表に戻すのは憚られるとして、裏世界に留め置かれることとなった。

後に、身ごもっていることが発覚した。
裏世界ではコロニストの善良な怪奇たちが何かと気にかけてくれ、自身を取り戻すことはなかったが、概ね肉体的には健康であった。……時折、身の回りに半透明の青白い触手が浮かんでは消えていて、それ自体は本人の意思の元で行われていたようだった。
それは何かと問われると、曖昧に言葉を濁すだけで、本人にもわかってはいなかったようであった。

そして臨月を迎え、無事出産したときの彼女はとても嬉しそうにしていたが、父親が誰なのかはついぞわからなかった。
気掛かりなのは、出産した後に様々な検査をした際に、MYSレートが激減していたことだ。何かつき物でも落ちたかのような。
それからというもの、彼女自身が青白い触手をみかけることはなくなっていた。

そこからの日々は、コロニストの庇護のもとで母子ともに過ごすこととなる。
母は銀の誕生を喜んでいたようで、誰も彼もが「違う」この裏世界において、唯一の同胞、唯一の肉親を得たことで、精神も安定したのか、徐々に自らを取り戻していった。

……それが、災いしたのだろうか。
自身を取り戻した母は、窓の外を眺める時間が多くなった。遠い目で暁か黄昏か分からないその赤い空を眺める様子を、銀はおぼろげながら覚えている。
あるとき、母は銀を連れて部屋を抜け出してた。おそらく母は表世界に帰ろうとしたのだろう。急に狂ったわけではない、むしろ正常に戻ったから、そのような行動に出たのだろう考える方が自然だった。
コロニストの怪奇たちは不在に気付くと、足取りから相当に危険な場所に迷い込んだことを察して、急いで捜索隊を向かわせたが、すでに遅かった。

そこで捜索隊が見た光景は筆舌に尽くしがたい。
細切れになった大型の怪奇の足元に広がる星空。そして、こと切れた母を前に、青白い様相に変貌した幼い銀と、光沢を放つ無数の触手。
この時の銀のMYSレートは測定できないほどであり、……古株の怪奇はその光景を見てあることを思い出し、とある名称を口にした。
これが討伐後に再確認された「月の魔物」の姿だ。

……

「それからの間はずっとここで暮らしてたけど」
お母さんは、別にここにいい思い出があるわけでもないよね、と声には出さずに思案して、写真立てを手に取ると、鞄にしまう。
一緒に残しておいた遺髪は、そうだ、あの慰霊塔にでも納めさせてもらおう。
それでどうなるわけではないが、慰めにはなるだろう。何よりも、私の。

そしてこの部屋はもう引き払って……引き払うといっても、管理人がいるわけでもないから、出ていくだけでいいわけだけど。
そう考えながら、雑巾を絞って家具を拭いていく。
野良掃除機も律儀に仕事をこなしている。破壊するのは待ってやろう。

一息をついて、部屋を見渡す。
…今の住んでいる寮室よりは広いけれど……

「こんなに狭かったんだっけ」
ぽつりと呟いて天井を仰いでため息を吐いた。