RECORD

Eno.232 月影誠の記録

――という場所、にて。

ずるり、何かに引き込まれた。
真っ暗な場所で、足がついているのかついていないのか分からない。

そこに、ふわりと女性が現れる。
凡そ表世界では見られない、ファンタジー感が強い服装で。

ふわりふわりと、浮いていた。

「―― やっと正体を掴めたわ。
 こちらの世界群の外側だったら皆管轄外。道理ですぐに分からないはずだわ」


「このところ、
 異世界からこちらの世界に干渉してくる気配があった」


「それを見過ごすわけにはいかないからこうして直接様子を見に来た、
 のだけれども」



「あなた、異世界に干渉できるけれども異世界に渡る術を持たない
 そういう存在なのね」




「…………えぇ、と……?」



「すいません、これどういう状況ですか……?」


「え? 異世界に渡ろうとしていたのではないの?」



「え?」


「え?」



「え、あ、いや、渡れたらな、とは思っていましたが……」



「もしかして本当に渡っちゃったんです……?」


「渡ったと言えば渡ったし、渡っていないと言えば渡っていない。
 今のところは、それが答えよ」


「あ、渡る気がないのなら元の世界に返すわ。
 別に危害が加えられる存在じゃないって分かったし」



「あぁーーーまってまってまって!!
 聞きたいこと山ほどあるんでちょっと待ってください!」


あなたは聞きたいことが山ほどあっても、私は暇じゃないのよ。
 今日の予定はお昼近くまでぐうたら寝ている予定だったのに」



それは暇なんじゃないんですか……?
 俺こんな意味の分からないまま戻されるんですか……?


「別に世界を渡る気がない、というのなら私はいよいよ関係ないもの。
 本来はこうして交わることもなかったはずなのよ」


「それにあなたにとって、今重要なことは
 『世界を渡る気があるか、ないか』。
 それ次第で私の取るべき行動は変わってくるわ」



突然の選択肢を持ちかけて来る。
確かに異世界に渡る気がない、とは言い切れない。
渡ることができたら。今すぐ会いに行くことができたら。
そう、願ってしまう心が確かにある。

狼少年は。
知らずのうちに。異世界について、知りすぎたのだ。




「……因みに、ある、って答えたらどうするんですか?」


「そうね……あなたが世界を渡ることができないのは、
 あなたが外側に干渉するために利用している力が、
 この世界のものに縛られているから」


「信仰に依存している神の力って、こういうとき不便ね。
 外の世界に行ってしまうと、信仰する者がいないから力を失ってしまう。
 勿論、全部が全部ってわけじゃないけど」


「ともあれ。その縛りを解いてあげるわ。
 そこからは努力次第にはなるけれども、
 自在に世界を渡ることができる術を得られる可能性は出てくる」




「……つまり、今のままだと」


「あなたたち『だけ』の力では、
 異世界へは行けないということになるわね」



「…………」



「…………そう、




きっと、最初で最後の問いかけだ。
今から異世界を渡り、アヤメを追いかけることもできるだろう。
京子の取った選択を、俺も取ることができるようになるのだろう。

……だったら。




「……決めました」



俺は、中途半端で異世界に渡る覚悟もないらしい。
こっち側で、捨てられないものも随分と多いらしい。
恐怖の方が、勝ってしまった。




「俺には世界を渡ることも、ここの生活を離れることも。
 誰かのために、全てを投げ捨てることも……結局は、できそうにない」



「一緒に居たいと思っているくせに、
 一緒に居るための術に手を出そうとは思えない。
 俺は、どこまでも……弱くて、惨めで、生まれてこない方がよかった人間だから」




「俺は、ここに縛られます」



「…………」



この人の琥珀色の瞳は、何を考えているのか全て見透かしてくるようだった。
しばし、無言で互いをレンズで映しあう。
先に口を開いたのは向こうだった。


「……そう。
 そういう選択なら、私はそれを尊重するわ」


「あぁ、それから。
 本来は会うこともない者同士だし、不要にもなったから。
 私のことは忘れてもらうわよ」


「仕組みについてだけ理解して。そのまま現世に戻りなさい」


「夢うつつの夢は、醒めれば忘れるくらいがちょうどいい。
 この会瀬はなかったものに……」



「…………」



「あぁ……あなたは、そう。
 諦めることで、ズタズタになった心の傷と空白を埋めているのね」




侮蔑も同情も、そこにはなく。
ただただ「そういう生き物」だと、品定めするような声調だった。

そこから。ふと、笑みを浮かべて語る。


「私の意見だけど。
 別にこの世界に残るって選択は、それはそれでいいと思うのよ」


「私は待っていられなくて追いかけた。
 世界の理を破ってでも会いに行こうとした。
 待っているってねぇ、とんでもなくしんどいのよ」



あなたは大事な人の帰ってくる場所になると選択した。
 そう考えていいと、私は思うの」



「―― さて、夜明けの時間ね。
 それじゃあね、悩み多き狼少年さん」




「え、あ――」



そうして、別れを告げられた後。
ふわり、雪が舞ったと思えば。





夢うつつのままに、目を覚ます。
そこは、寮の、俺の部屋だった。