RECORD

Eno.340 月待 よすがの記録

無題


――「どうして僕に願ってくれたの?」

影の病。三度見たら死ぬ、ドッペルゲンガー。
それに手を差し伸べることが出来る存在は、[わたし]にとっては初めてだったんです。

彼女は、人の顔が分からないらしいのです。
鏡に写った自分を自分として認識出来ないから、そういう神秘を観測することも無いのだと言いました。

「実践に移す前の実験だね。この理論に不備が無いのか確かめておきたかった」
「それから、失敗して僕に何かあった時のスペアとして丁度良かった」


その答えはとっても無機質で、事務的で、冷たくて。
たとえ嘘でも可哀想だったからとか、そういう答えが欲しかったことを覚えています。
けれどその声音は妙に心地が良くて、[わたし]は[きみ]を嫌いになりきれませんでした。

きっとずっと前から用意されていたその答えは、自分の都合で取り出した[わたし]に、お互い・・・が気負うことなく居られるようにしたものだと思いました。
ドッペルゲンガー自己像幻視は思考を映しますから。けれども、聞いておきたいことがあります。


――「それじゃあ、失敗しなかった時は?」

彼女は一度[わたし]を見ます。
きっと少し不安が顔に滲んでいたはずですが、[きみ]には分からないでしょう。


「……君が、僕よりも上手く・・・僕になってくれるなら、あげるよ」


――「……上手く?」

「そう、上手く。……僕は、あんまり生きるのが得意じゃないから。
 君が上手に生きてくれるならその方が良い」
「その方が、一般的には普通だ」


その方が良い。一般的。普通。……また、無機質な答えでした。
どうやら[わたし]では、[きみ]の本音が分かったとしても、零させることは出来ないようです。



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「…………、ごめん。僕、やっぱりまだ生きてたい」


だから、[きみ]がそう言った時にはとても驚いたのです。
[きみ]がそう思ったであろう日の記憶は[きみ]にとって曖昧なはずなのに、それを言葉にして吐露したことに、驚いたのです。

あぁ、よかった。[きみ]は自分の目で見ていたいんですね。
例え人の表情を捉えきれずとも、それでも見ていたいと思ったのでしょうから。
それは[わたし]にとって、とても良いことだと思いました。
[わたし]の方が良いだろうと言った[きみ]が得たのは、承認欲求だとか、独占欲だとか。そういった汚らしい社会欲求で。
それはおそらく、[わたし]のかけらだったものですから。とても嬉しく思ったのです。


――でも、約束は守らなくちゃ。
[きみ]は[わたし]に言ったんだよ。


「……君が、僕よりも上手く・・・僕になってくれるなら、あげるよ」




[きみ]が傷つくのはかなしい。
普通と異常の段差に躓いて、起き上がることすらままならずに一人で泣いてしまう[きみ]だから。
朝にベッドから起き上がれない[きみ]だから。
ふとした時に駅のホームで、線路から目が離せない[きみ]だから。



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「…………。……」


「僕の方が、君よりも上手く・・・できる」


[わたし]は[きみ]が見えないものまで見れるし。
[わたし]は[きみ]が分からないものまで確かめられるし。
[わたし]は[きみ]が識れないものまで知れるし。




その方が良いと、言っただろう。





「――……、autoscopyは影の病やドッペルゲンガーと呼ばれる現象のひとつです。医学的には自己像幻視と名付けられています」


「autoscopyは人の願いを叶えることで契約を成就させ、自身が対象の実体を得ることが可能な悪魔です」


「その性質から、万魔殿では、"鏡の悪魔"として知られています」
「鏡や窓など姿の反射するものを媒介して対象に接触し、言語によるコミュニケーションを得意とします」



「…………。……」
よすが・・・


「きみの見たいものは、ぼくが全部見てあげるからね」