RECORD

Eno.74 川崎 彩羽の記録

Case7:哲学的ゾンビ


哲学的ゾンビ(Philosophical Zombie)
とは、20世紀後半の哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提示した、
意識や心の哲学に関わる思考実験上の存在であり、
「外面的には人間とまったく同じでありながら、その内面における主観的体験(クオリア)を一切持たない存在」のことを示す語である。

チャーマーズは、外面的な行動や生理的・神経的なプロセスがまったく同じでも、
"主観的な経験が伴わない存在"が論理的に想定可能であることを指摘し、
物理的な説明のみから、それらの意識や主観性が導き出せないことを示した。

たとえば、「人間が針で刺された時には痛みを感じる」という経験について、
哲学的ゾンビの場合、実際には『痛み』という主観的体験が一切存在しない場合でも
「針で刺された際に痛がるふりをして、痛みによる身体反応も起こる(外面的には人間と同一)」
という状況が起こることが想定される。

この思考実験は、「意識や主観的体験を物理主義的・機能主義的に説明すること」に対する批判性の高い問題提起として
現代哲学に広く影響を与え、後の多くの哲学者によって批評された。
現代でも、意識研究、認知科学、人工知能倫理などの分野においても
「意識の存在条件」や「主観的経験の有無」をめぐる基本的な問いとして活発に議論されている。

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「主観的体験と機能的説明の差についての思考実験。
 知識を持つ事だけ、それらしく他から観測出来るだけでは
 人間らしさがあると言えるのか──という問い、な」


「ある種、客観的に見える事実は人間性を測る指標にはならないと、
 言ってるようなものだろうが……そうだな」


「まあ此れは──人間が自らの人間性を証明するため・・・・・・・・・・・・・
 生み出した架空の存在だからな」


「逆説的に此れは、
 “人間らしさは主観的経験の乱数のもとにある”という
 人間の信仰を表現したものと言えるだろう」


「乱数──経験から来る個人差、成長の差、認識の差
 それこそが、その曖昧さこそ、その揺らぎこそがクオリアであり、
 それこそが人間らしさなのだ、という思想だ」


「その反例として生み出されたのがこの哲学的ゾンビ。
 比較という形でしか自らが間違っていないという事を
 証明できず、それが出来ないと安心出来ないのが、人間なのだろう」






「何、難しい話でも無い。
 結局人間は不確実なものであり──
 確証を得るために大衆に論を認知させる。

 人間のそういう性質が──我々の様な者を生み出すのだろうな。」