RECORD

Eno.251 鳴宮優希の記録

【0-2 冬の日の呪い】


【0-2 冬の日の呪い】

  ◇

「僕は仕事で数日、
 家を空けるよ。家のことは任せたよ……」

 それは、とある年の冬休み直前のこと。
 父親が出張に行った。
 地方の方へ行かなければならないらしく、
 数日は帰れないとのこと。
 優希たちは、行ってらっしゃいと見送った。

 日常は変わらない。
 小学4年生になった優希は、
 クラスの中でも常にトップの成績で、勉強態度も優秀で、
 先生たちからいつも褒められている、
 まさに優等生といった子供に育っていた。

 母親の言い付け通りに勉強に励んだ。
 だけれど娯楽を知らないから、友達なんて居なかった。
 学校が終われば寄り道なんてせず、直行で家に帰っていた。

 優希はその日もいつも通りに勉強していた。
 母親は買い物へ出掛けていった。
 ひと区切りついたところで、
 少し水分を摂ろうと伸びをして
 階段を下りてリビングに行ったところ。
 視界の端、片付け忘れの服を見つけた。

 ゴシック風のその服は、
 妹、結華のものだと一目で分かった。
 この家でそのような服を着ているのなんて、
 あの子しかいないから。

「…………」


 片付けなきゃとは思ったものの、
 優希はその服をかわいいと思った。
 だから鏡の前に立って、
 服を自分の前に当ててそれを鏡に映してみた。
 いつも男の子の格好をしている自分だけれど、
 そのゴシックな服も似合う気がした。

「…………かわいい」


 それを、優希は“好き”と感じた。
 抑圧されてきた優希は初めて、
 自分の“好き”を見つけられた。

「この服ってどう着るんだろ。
 えっと……えっと……」

 自分の服を脱いで、妹の服を着てみようとして。
 ちゃんと着られたから、鏡の前に立ってみて。

「……かわいい!」

 そこに映った自分は、とてもとてもかわいかった。
 そんな自分を、大好きだと心から思った。
 この時だけは罪もしがらみも全て忘れて、
 幸せな気持ちになれていた。

「ユイはいーなぁ。
 いつもこんなかわいいのを着られて……」

 ちょっと羨ましく思っていたら。

 ガチャ。
 家の鍵の、
 開く音。


「あ」

 優希はその場に固まった。
 頭の中、ぐるぐる。

 知っている。
 生まれ間違えた自分は、
 男の子の格好をしなければならないこと。
 だからこんな格好をしているのは、
 本来ならばとても悪いこと。
 僕は、大変な罪を犯してしまったのだ。

「…………優希」


 出掛けていた母親の手から、買い物袋が落ちた。
 固まる優希に、母親は近付いてくる。

「……お前は、なんて、こと」
「…………ぁ」

「今すぐその服を脱げ!
 お前にその服を着る資格なんてない!」


 掴み掛かられた。
 だけれど優希は必死で抵抗した。
 従うだけをやめようとした。
 ようやく見つけた自分の“好き”を、
 どうしても邪魔されたくなかったんだ。

「やだ! 僕は脱がない!」
「私に抵抗するつもりなの???」
「やだ!!!!!」
 母親から離れ、
 優希は睨むような目線を投げた。


「僕……わたしも!
 こんな服をもっと着てみたいの!
 ねぇどうしてユイだけなの? ユイばっかりずるい!
 わたしも、わたしの好きなもの、好きにして良いじゃん!」



 初めての、反抗だった。
 抑圧されて生きてきました。洗脳されて生きてきました。
 そんな中で、初めての、反抗。

 好きなものを、見つけられたから。
 奪われたくなかったんだ。
 どうしても、どうしても!


「…………そう」


 母親の声が、低くなる。
 明らかに怒らせたのは分かっている。
 けれど今、逆らわなければ、
 もっと酷いことになるような気がしていた。

「……悪い子には罰を。
 分かっているわよね?」


 母親のその手にはいつの間にか、裁ち鋏。
 まさか、と思った。
 その瞬間、裁ち鋏の刃が容赦なく服を切り裂いた。

「…………あ」

 動けなくなったそのうちに、
 裁ち鋏は何度も何度も服を切り裂いて、ボロボロにした。
 あれだけ“好き”と思ったゴシックの服は、
 見るも無惨な姿になっていた。
 気付いたら優希は下着姿で立っていて、
 その肌にも幾つか赤い線が出来ていて。

 過呼吸。息が、吸えない。
 眩暈がする。


 それを、階段から降りてきていた結華も、見ていた。
 結華の大切な服が、ボロボロに切り刻まれる瞬間を。
 その目に宿った負の感情を、優希は見ていた。
 どうすることも出来なかった。

「お前はこれでも着てろ!」


 母親の怒号。
 優希は渡された男の子の服を、
 言われるままに着た。
 だけれど母親の怒りは、
 それだけでは収まらないみたいだった。

「……ごめ、な、さ、」

「優希、こっちへ来なさい」


 腕を引かれる。抵抗する気力は消えた。
 そのまま雪の降る外へ連れ出された優希は、
 冬の物置へ押し込められた。
 ガチャリ、鍵の閉まる音。
 視界は狭い暗闇に閉ざされた。
 まさかと思って扉を叩いたら、声。

「お前は一生ここで反省してろ!
 母親に逆らった悪い子は、こうなるんだよ!」


 お母さま、どうしてですか。
 わたしはただ 好きなものを着たかっただけなのに。


 涙が溢れた。
 泣いていたら、母親の怒鳴り声。

「泣きたいのはこっちの方だよ!
 お前のような出来損ないを産んだ私の気持ちになってみろよ!
 お前のそれは何の涙だ?
 この期に及んで私に逆らうつもりかよ!」


 鎖の音。掛けられたのは恐らく南京錠。
 決して、決して、ここから出られないように。
 優希を罪の牢獄に閉じ込める為に。

 そして、足音、彼方へ。
 待ってと叫べども、無視される。

 違う。違う。わたしは。僕は。

「…………ここから、出してよ」
「……良い子になる、か、ら」
「もう……逆らわない、から」
「おねがい」「おかあさま」

「…………たすけて」


 届かない、聞こえない。

 しんしん、雪が降っている。
 冬の凍える寒さが、少しずつ体温を奪っていく。
 物置の扉を叩いても爪を立てても、
 助けなんて来る訳がない。
 恐ろしいほどの静寂が、暗くて狭くて寒い物置の中に漂った。

 優希は否応なく、思い知る。
 ねぇ、もう答えられるよね?
 さん、はい!

──お母さまに逆らうのは、悪いこと。
──自分の好きなものを主張するのも、悪いこと。

──悪いことをする子は、閉じ込められる。
──悪い子には、居場所なんてない。

──そして僕は生まれながらの出来損ないで、罪人だから!

 心に深く、刻まれる。
 暗闇と身を刺す寒さと共に、刻まれる。
 冬の風が鎖を撫でて、ガチャガチャと騒がしい音を立てた。
 裁ち鋏でつけられた傷が、痛んだ。

「…………は、ぁは、は、」


 物置の中で、優希は笑った。
 壊れたように、しばらく笑った。

 ぴしり。心に入ったヒビから目を背けて、
 己の在り方を見直して。

 もう絶対に逆らわないから、
 どうか僕にまた居場所をくれよ。
 もう絶対に自分の意志を示さないから、
 悪い子にはならないから。

 そして、心の目を自分で潰したんだ。

 ガチャガチャ、鎖が鳴っていた。
 視界はただ、暗闇ばかり。

 良い子でいるよ。
 お母さま、お母さま、ねぇ──。

  †

「悪い子は罰せられる」
「罪には罰を、悪には裁きを」

 この日、優希は、心に悪魔トラウマを飼った。
 決して消えないそれの名は──