RECORD
Eno.50 架川琳司の記録
After Ep.0
夏休みも終盤になり、中学から高校時代を過ごした祖父母の家で迎える休暇最後の朝。
この日はまだ空も暗いうちから起き出して、家中の符を順に貼りかえて回っていた。
滞在中の一週間ほどをかけて祖母の教え通りに書き上げた符は、
真新しい和紙に文字と文様を記した墨と朱の色が映えて、
却って土産物屋の玩具のような風合いを見せている。
昔は地域の人々の用に供するために行っていた符の書写も、
祖母の代には求める人もごく僅かとなり、
今となってはもう符の効力自体が表世界では乏しくなった。
つまりは早晩消えゆく『神秘』になったと考えるほかなく、
もはや後世に受け継がれることもないだろう。
最後に玄関扉の符を貼りかえると、先に用意しておいたライターと
水の入ったペットボトルを持ち出し、回収した古い符とともに抱えて家を出た。
前方に見える山々の黒い影と、それを覆うように広がる赤く染まった朝焼け空は、
一見して裏世界の景色に酷似していたが、現代のこの地は既に
ほとんどの『神秘』を手放している。
かつて人と共に在ったものの名残を感じさせる光景も、
間もなく高く昇ってくる日の光によってかき消される定めだ。
家の裏手に回ると庭に出る。
敷地の外に群生していたキンミズヒキは、今や手入れをする者のなくなった
庭の中までも黄色い花で埋めつくしていた。
祖母の温室があった跡も、龍牙草の別名を持つ野草の尖った葉がすっかり覆い隠している。
その膝丈の草が生い茂る中には、人の背丈ほどの長い茎をのばした場違いな植物が
ぽつぽつと見えるが、それは温室内の薬草が残した種が
毎年夏の間にいくらか芽吹くためらしい。
草むらに僅かに痕跡の残る通り道を辿る間にも、一本、二本と、
小さな黒い実をつけているそれが目に入った。
やがて人のまず立ち入らない庭の隅の、土の露出した一角に辿り着く。
しゃがみこんでペットボトルを脇に置くと、地面に据えた紙の束にライターで火をつけた。
直ぐに炎に包まれるそれが灰になる様子をぼんやりと見守る。
『科学』の産物の発した火が、『神秘』の技法で象った物を消し去っていく、そのさまを。
『科学』によって『神秘』を退ける。
少なくとも『神秘』を認識できない人々が多数を占める表世界では、
これが人の為に人が為すべき、正しい在り様なのだろう。
人が『神秘』に触れて不幸になった例は少なくない。
母然り、大学で出会った友人たち然り、――自分もまた、然り。
それでも、この身の起源は『神秘』と切り離せるものでは無くて。
だからこそ――
ふと気付けば目の前の炎の色は既に消え、細く煙を上げる灰だけが土の上に残っていた。
ペットボトルを手に取り、中の水を燃えがらにかける。
立ち上がって視線を上げれば、空はもうだいぶ明るくなっていて、
その色は黄色から澄んだ青に変わりかけていた。
この日はまだ空も暗いうちから起き出して、家中の符を順に貼りかえて回っていた。
滞在中の一週間ほどをかけて祖母の教え通りに書き上げた符は、
真新しい和紙に文字と文様を記した墨と朱の色が映えて、
却って土産物屋の玩具のような風合いを見せている。
昔は地域の人々の用に供するために行っていた符の書写も、
祖母の代には求める人もごく僅かとなり、
今となってはもう符の効力自体が表世界では乏しくなった。
つまりは早晩消えゆく『神秘』になったと考えるほかなく、
もはや後世に受け継がれることもないだろう。
最後に玄関扉の符を貼りかえると、先に用意しておいたライターと
水の入ったペットボトルを持ち出し、回収した古い符とともに抱えて家を出た。
前方に見える山々の黒い影と、それを覆うように広がる赤く染まった朝焼け空は、
一見して裏世界の景色に酷似していたが、現代のこの地は既に
ほとんどの『神秘』を手放している。
かつて人と共に在ったものの名残を感じさせる光景も、
間もなく高く昇ってくる日の光によってかき消される定めだ。
家の裏手に回ると庭に出る。
敷地の外に群生していたキンミズヒキは、今や手入れをする者のなくなった
庭の中までも黄色い花で埋めつくしていた。
祖母の温室があった跡も、龍牙草の別名を持つ野草の尖った葉がすっかり覆い隠している。
その膝丈の草が生い茂る中には、人の背丈ほどの長い茎をのばした場違いな植物が
ぽつぽつと見えるが、それは温室内の薬草が残した種が
毎年夏の間にいくらか芽吹くためらしい。
草むらに僅かに痕跡の残る通り道を辿る間にも、一本、二本と、
小さな黒い実をつけているそれが目に入った。
やがて人のまず立ち入らない庭の隅の、土の露出した一角に辿り着く。
しゃがみこんでペットボトルを脇に置くと、地面に据えた紙の束にライターで火をつけた。
直ぐに炎に包まれるそれが灰になる様子をぼんやりと見守る。
『科学』の産物の発した火が、『神秘』の技法で象った物を消し去っていく、そのさまを。
『科学』によって『神秘』を退ける。
少なくとも『神秘』を認識できない人々が多数を占める表世界では、
これが人の為に人が為すべき、正しい在り様なのだろう。
人が『神秘』に触れて不幸になった例は少なくない。
母然り、大学で出会った友人たち然り、――自分もまた、然り。
それでも、この身の起源は『神秘』と切り離せるものでは無くて。
だからこそ――
ふと気付けば目の前の炎の色は既に消え、細く煙を上げる灰だけが土の上に残っていた。
ペットボトルを手に取り、中の水を燃えがらにかける。
立ち上がって視線を上げれば、空はもうだいぶ明るくなっていて、
その色は黄色から澄んだ青に変わりかけていた。