RECORD

Eno.22 雲隠 運太郎の記録

●おはよう

 



 雲隠留次郎。
 俺の弟。

 とても頭が良かった。
 其の上、礼儀正しく、優しくていつも誰かを助けようと考えていた。






 大人になったら医者になるは当然の未来。
 そんな人間だった。






 いや、本当にそうだった?







「……」


「なぁ、留ちゃん……なんで」



「なんで……俺の膝に乗るの?」



「……いいだろ、別に」


「いや、俺うごけ」


「いいだろ、別に」



 弟は俺にいつもひっついてきた。
 お陰で外に友達と遊びに行くことはおろか、紙飛行機も作れない。
 俺が困っていてもお構い無し。


 正直、うっとおしい。

 それに


「うるさいなぁぁ!!」


*ゴッ*



 時折、弟に本で殴られた。
 弟は体が弱いから、俺が反撃したら怪我しちゃう。
 だから我慢した。
 でも本で殴るのは困った。痛いから。

「あっ、ご、ごめん」


 いつも都度謝ってくれるけど。痛いもんは痛い。

「時々頭がぐちゃぐちゃになって、全部わからなくなる」


 ぐちゃぐちゃになるって、なに?





 親父もお袋も、俺には目もくれない。
 でも弟には付きっきりの日がよくあった。
 弟は体が弱くて手がかかって、けれど頭が良くて学校の成績もすごい。

 親父もお袋も弟に構ってくれるのに、なんで俺に引っ付いて俺を困らせてくるんだろう。


「……こちらへ来なさい」



「……!!」




 弟はよく親父に連れられて、ある部屋に入っていった。
 その部屋に入ったあとはずっと隅でじっとしている。

 そうなると俺は自由になった。
 弟があの部屋に入れられることを少しだけ喜んでいたのと同時に
 両親を取られることを羨んでいた。


 でも、




何の部屋なんだろう。






 俺は一度、親父の目を盗んでその部屋に入ってみた。
 両親が構ってくれる理由がこの部屋に詰まっていると思ったから。

 普通の家族・・・・・みたいに、俺を見てくれるものが……


 

 なにもなかった。

 ただ暗い部屋だった。

 壁には引っ掻いたような赤い跡があった。
 そういえば、弟の指先、爪はボロボロだった。
 部屋に入れられる際の弟の表情は恐怖に染まっていた。

「うっ」



 頭が痛い。
 耳鳴りのような、キーンとした音がどんどん大きくなる。
 頭の中に糸を入れられてるような感覚がしてくる。

(頭がぐちゃぐちゃになりそう…!!)



 その部屋が、弟をわざと精神的におかしくさせるための部屋だったと理解したのは随分先になる。

 俺はすぐに、その部屋から逃げ出した。
 寵愛の部屋などではなかった。


 両親の愛を一身に受けていたわけではないと知って、
 弟のことをちゃんと見てやれてなかったのは自分だと知った。




「留ちゃん」


「……なに?」


「ごめんな」


「なんで兄貴が謝んの」


「留ちゃんが酷いことされてんの、知らなかった」


「…………兄貴、俺も、ごめん」


「そっか。
 やっぱり、おかしいのかな、俺達の家って」


「そうなんじゃない?

 ……あのさ、兄貴、お願いがあるんだけど」




 雲隠留次郎。
 俺の弟。

 とても頭が良かった。
 この日々を能天気に享受していた俺と違って、家のおかしさに気がついていた。

 礼儀正しくもなく、優しくもなかったけど、
 俺の自慢の弟だった。







 どうして、忘れていたんだろう?