RECORD

Eno.207 曲輪木 丑緒の記録

淀川のよどみつ流れつ行く末の

 仁平年間、近衛天皇の御代。
 草木も眠る丑三つ時。東三条の森より出ずる黒雲が御殿を覆うことはや数日。
 霊験あらたかな高僧貴僧による祈祷も甲斐なく、公卿の詮議の果て、武士と陰陽寮が合同で警護にあたることとなった。
 武士の代表は、兵庫頭の源頼政。
 頭の固い武士どもの中じゃあまともに話せる手合いだ。

「して、どうする。陰陽寮」
「陰陽寮代表みたいな言い方よしてくださいよ。オレはただの下っ端で」
「主が此度の代表なのだろう」

 鬼のような形相で団栗どんぐりほどの眼が睨む。

「いやまあ、そうですがね」

 そんで陰陽寮の代表がオレ、朽網くたみ寒月かんげつ

「さしもの雷上動とて、あれは射抜けん」

 目の前に広がるのは空一面の黒い雲。
 夜闇のうちにあってなお黒い――まるで空の果て宇宙のように。
 故に、其は穿つこと能わず、捉えること敵わず。
 不壊の黒雲、空無辺。
 正体不明の化性ではなく、『正体不明』という概念の具象と言うべき存在とでも言おうか。

「頼政殿の強弓なれば雲を吹き散らすこともできましょうがね」

 雷上動は、源氏の至宝。
 夢の中で楚国の名人より賜った弓、その弓勢の強さたるや甲冑七枚を貫くと言われた代物だ。
 しかし、武士は苦々しく宙を睨めつけるのみ。

「あれが、吹き散らした程度でどうなるものでもあるまい」 

 放つ瘴気の禍々しきこと、尋常ではない。
 時折聞こえる鵺鳥の如き鳴き声が、かの黒雲が意思持つ化性であることを確信させる。

「結論から言うと、あの黒雲を討つことは敵いません」
「では、我らはこのまま彼奴のなすがままか」
「いえ。ですが都の噂はご存知でしょう。
 かの黒雲に乗った化性が、夜な夜な御殿を襲っていると」
「根も葉もない噂話よ。あれは、あの雲そのもの・・・・が悪しき存在だ。
 あれを御する何かが在るわけではない。違うか」

 なんでこっちが卜占使って総動員で割り出したようなことを、このおっさんは知ってるんだろうか。
 武士の獣じみた勘というやつは本当に厄介だ。

「その通り、慧眼恐れ入ります」

 厄介で、しかして味方であるうちは心強い。

「ですが、頼政殿。あなたが、都の民が、黒雲に乗った妖怪変化が居る、と思えば、そこに居るのです。
 破邪顕正の呪とは、八幡大菩薩の加護とはそのように働きます」
「フム?」
「神の秘するところなれば神秘。秘封さえ暴けば、形なき化性は浮世の噂にさえ流される脆き存在でしかありません」

 神秘について、陰陽寮は経験を積んできた。
 秘するが故に力を持つ。そのものを識らぬが故に、その力を振るうことを許されし存在、怪奇。
 奴らを解体することこそ、我らの職務。

「よくわからん。己は何をすればいい」

 ……ほんっと、武士ってやつばらは!!!

「雷上動……雷の如き一矢であれば、天にある雲を裂くことも叶いましょう。
 ほんの刹那で構いません。彼奴の一角を崩していただきたく」
「それだけでいいのか」
「我らの術には天に座す雲を割く力はありませぬが」

 雲を割くような無茶を、術もなしにをやってのけるから恐ろしいのだ、この武士という生き物は。

「形なきものを縛り、堕とすことなら百戦錬磨」
「承った」

 太鼓でも叩くようにずどんと背中を叩かれる。
 何の暴力だよ。
 激を入れたつもりか?



「南無八幡大菩薩!」

 雷鳴の如き大音声と共に放たれた一矢は、正しく雷の如き一矢だった。
 閃光のように疾走る矢は、黒雲の中央を撃ち抜き、吹き散らし、注文通り千々に裂いてみせた。
 まったく、こうも完璧に仕事をこなされたら、こちらも成功させぬわけにはいかぬというもの。

「天摩す不遜の黒雲よ、名付けの咒にて汝を縛ろう、
 最も猛き虎さえ口噤み、震えながらに逃げ出すことより、汝の名は、怪奇『虎噤』!」

 手に握った符を天に突きつける。
 咒言によって成立した術によって、千切れた黒雲の一部と、オレの腕が繋がる。
 墨が水盆を汚すように、天の雲がオレの右腕に染み渡り、瞬く間に黒く染め上げようとする。

「訣!」

 瞬間、二枚目の符が発動。
 鼠の胎児とオレの乳歯一本を仕込んだ、変わり身の呪符だ。
 遠巻きに見守っていた武士どもからどよめきが漏れる。
 黒雲から吸い上げた何かによって、胎児の肉が爆発的に成長し、化性として受肉したのだ。

「これは……狸?」
「四つ足は虎のようだぞ」
「尾は蛇の如くだが、この、顔は……」
「にんげ、」

「猿だ」

 認識がこの形のない化け物を形作る。
 こんな化け物が、人の頭を持っていては困る。

「猿の頭に狸の胴、虎の四肢に蛇の尾とはね」

 故にそう、強弁する。

「頼政殿が見事、怪奇を討ち取ったり!!!」

 オレの声に呼応するよう鬨の声が上がり、オレの些細な嘘を塗りつぶしていく。



「して、それはどうする」
「封じます」
「封じられるものか? 死してなおただならぬ瘴気よ」

 勝ち戦に湧く武士を尻目に、頼政殿が『虎噤』を見て目を細める。
 天を覆う黒雲こそ消え去ったものの、邪な気がこの『虎噤』の死骸をとりまこうとしているのを、確かに感じることができた。

「無理でしょうね」
「では、どうする」
「そこで、これです」

 足元に転がしておいた丸太をオレは足蹴にする。

「虚ろ舟……これに封じて、流します」
「どこへ流す。かくも不浄なるもの、下流への被害は避けられまい」

 至極もっともな懸念に、オレは笑みで応える。
 不機嫌そうに鼻を鳴らした頼政殿が口を開く前に、オレは慌てて弁明する。

「時の流れの果てにです。この丸太は、時繰りの虚ろ舟。
 遥か先の未来、千年も先に向かい漂う船です」
「時を流れる船とな……」
「下流に向けて流すだけですがね」

 頼政殿はううむと唸ると、ぼそりと呟いた。

「丸投げではないか」
「まあ、そうとも言いますね。
 でも、オレの優秀な子孫はきっと、千年もすればこいつを祓う術を編み出しているでしょうから」

 まあ、実際のところどうなるかはわからない。
 しかし都を覆う破滅の運命を覆すことには成功したのだ。
 オレにできるのはせいぜいその程度。
 死骸を丁寧にかきあつめ、虚ろ舟の内にしまい込み、封をする。
 
「流れよ」

 と唱えれば、船は時の狭間に落ちて、消えていった。
『虎噤』を追う瘴気の気配もまた、それに引かれるように消えていく。

「八幡大菩薩の加護が、あの化性にもあればいいのですが」

 奴の名付け親にあたるオレができるのは、せいぜいそう祈るだけだ。
 それ以上、何かをしてやろうとは思えなかった。

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 つきをみていました。
 なにがわるかったのかおしえてほしかったからです。
 とら・・は、とらつぐみは、なにをまちがえたんでしょうか。
 どうしてとじこめられてしまったのでしょうか。
 つきはなまえをくれたのに、こたえはくれませんでした。
 こたえがないまま、ずっとくらいみちをながれていました。
 ずっとずっと、ながれていました。
 ずっとずっと、ずっとずっとずっと、ずっと。


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 そして、時の果てで虚ろ舟は開かれる。

「うわ、レッサーパンダだ!」
「れっさーぱん?」
「僕はうしお。君の名前は?」