RECORD

Eno.22 雲隠 運太郎の記録

●体表炭化水素

─2017年





 俺は白質切截式卵母細胞移植適合術を受けた。


 親父が頭を撫でてくれたことなんて無くて、
 触診の際に頭に触れるぐらいだった。

 お袋が抱きしめてくれたことなんて無くて、
 検査台に乗せられる時に抱き上げられるぐらいだった。


 眼の前で弟が泣き叫ぼうと、俺は何も感じなくなっていた。
 弟が本で殴ってくることも無くなって、

「兄さん、おはようございます」



 とても頭が良く、礼儀正しく、優しくていつも誰かを助けようと考えてるような人間になった。



 優しくもなくて、時々暴れて、口も悪いけど、
 俺の自慢だった弟は、泣き叫びながら、死んだ。



 なんで急に、全ての違和感に気づいた?
 幸せな夢から覚めた?
 コロちゃんに触ったから?



 どこまでが夢で、どこまでが本物だ?

 今の俺は本当に人間?












「うんたろー、遅いから様子見に来ちゃった。
 どうしたの?」



 トアの声がする。

「…………」



 少しでも気を緩めたら吐きそうだった。

 トアは本物なのか?
 それとも、施術とやらが生み出した幻なのか?

「…………」



「えいっ」


「……ッ!?」



「なにかあったの?
 大丈夫、大丈夫だよ~」



「トア……」



 全てを取り戻しても、トアは変わらなかった。
 トアは施術によって生み出された偽りの幸福じゃなかった。

 その喜びが徐々に体を満たして……

「………?」



 ガサ、ガサと、何かが蠢く音。
 トアの胸からする。

 人の心音って、こんな音だったっけ。

 学校の授業で脈の測り方や心臓、心音については学んだし、
 俺は抱きしめられて、心音を聞くことが好きだった。
 夢なのか真実なのか、俺にはもう違いがわからないけれど。

 少なくとも、こんな音ではなかったはず……


「蟻」




 白質切截式卵母細胞移植適合術。
 蟻型怪異である、ヒプノスの卵を移植。

 そういえば、トアも……俺とは逆だけど。額の眉あたりに、切れた痕がある。

「そうか、トアも……」



 いつから?

「ちょっと休んでから、戻ろっか」



 そうだ、額の傷は、出会ったときから。


 トアが怒った姿を見たことない。
 拒絶されたこともない。
 とても頭が良く、礼儀正しく、優しくていつも誰かを助けようと考えてるような人間だった。





 おそらく俺の生まれ育った場所は、巨大な蟻の巣だ。