RECORD
Eno.1461 篠崎 駿の記録
Beyond
松葉市の駅を降りた瞬間、潮の香りが鼻をくすぐった。十一月の風は冷たく、頰を刺すが、どこか懐かしい。
ホームは変わらず小さく、改札を出ると父さんの古びたパトカーが目に入るはずだったが——いない。まあ、刑事だ。忙しいんだろう。
リュックを肩にかけ、駅前の通りを歩き出す。街路樹の葉は赤く染まり、落ち葉がアスファルトを埋め尽くす。
昔、四人で自転車を飛ばした道。雪が先頭で、彰が後ろから文句を言い、陽介が笑いながら追いかける。あの頃の俺は、いつも最後尾だった。
「……ふう」
息が白く、すぐに消える。まずは散策だ。家は岬ヶ丘の近く。急ぐ必要はない。
駅から十分ほど歩くと、湖畔の遊歩道に出る。水面は鉛色で、遠くに山の稜線。
ベンチに腰を下ろし、リュックから水筒を取り出す。陽介が詰めてくれたお茶。温かい。蓋を開けると、湯気が立ち上り、指先を優しく包む。
視線を上げると、向こうから人影。ボサボサの翠色の髪を揺らしながら現れたのは幼馴染の雪ちゃんだった。
彼女はタートルネックの上にコートを羽織り、足早に歩いている。息が白く、頰が赤い。
「……駿君?」
雪ちゃんが足を止めた。目を丸くする。俺は立ち上がり、軽く手を上げる。
「雪ちゃん……?」
「え、帰ってきたの?」
彼女が駆け寄ってくる。息が上がっており、頬が赤い。
「ああ。ちょっとね。陽介にお前は休めっって言われて」
「陽介……相変わらずだね」
雪ちゃんが苦笑いし俺たちは自然と並んで歩き出す。
「彰は?」
「警察と協力して事件追ってるみたい」
雑談は他愛ない。ハロウィンの夜、陽介が作った角煮がしょっぱすぎた話。雪ちゃんの声は昔と同じ。少し低めで、時折笑いが混じる。でも、どこか遠慮がちだ。
湖面を渡る風が強くなる。雪がコートの襟を立てる。
「寒い?」
「ううん、大丈夫」
岬ヶ丘の頂上へ続く坂道は、落ち葉で滑りやすくなっていた。
俺たちは肩を並べ、息を合わせて上る。彼女のコートの裾が風に翻り、時折俺の腕に触れる。
「駿くん、足元気をつけて」
「雪ちゃんこそ」
昔と同じ呼び方。幼稚園の頃から、こうだった。
頂上に着くと、雪が先にベンチに腰を下ろした。俺も隣に。街並みが眼下に広がり、遠くの山が茜色に染まる。
沈黙が落ちる。雪ちゃんが膝の上で手を組み、指を絡める。指先が震えている。
「……駿君」
「ん?」
雪が俺を見る。瞳が揺れてる。風が髪を乱し、頰にかかる。
「私……ずっと、言えなかったことがある」
俺は黙って頷く。雪は視線を湖に移すが、すぐに真っ直ぐ俺を捉える。
「私……駿君が好き」
雪ちゃんの声が震える。でも、言葉は途切れない。
「優ちゃんの事は知ってる……私も優ちゃんと駿君が付き合ってるって知った時は嬉しかった」
胸が熱くなる。優の笑顔が脳裏をよぎる。四年前の夏、病院のベッドで握った冷たくなった手。
「でも…私、ずっと言えなかった。優ちゃんに悪いって思って」
俺は立ち上がり、彼女を抱き寄せる。雪の体温が伝わる。心臓の音が聞こえる。速い。
雪ちゃんが俺の背中に腕を回す。強く、強く。震えが伝わってくる。
「……ごめん」
雪の声が耳元で震える。
「謝らなくていい」
俺たちはしばらく、何も言わず抱き合ったまま。風が吹き抜ける。湖の水面が、夕陽を反射して揺れる。
やがて、雪ちゃんが離れ。涙を拭い、言った。
「……優ちゃんのお墓、行こう」
「ああ」
松葉市の墓地は、岬ヶ丘の裏手にひっそりとあった。
石段を上ると、潮の香りが混じった風が頰を撫でる。十一月の空は高く、雲がゆっくりと流れていた。
優の墓は、家族用の区画の端にあった。白い石に「如月 優」と彫られている。
雪ちゃんが持ってきた白い菊を、俺はそっと花立に挿した。
紫陽花のお守りを、墓石の根元に置く。優がくれた、「これで守ってあげる」って笑った。
「……優」
雪ちゃんが先に膝をつき、線香に火をつける。細い煙が立ち昇り、風に揺れて墓石の縁をなぞる。俺も隣に膝をつき、手を合わせた。
優との思い出は、短いけれど鮮明だった。初めてのデートで食べたアイス。丘の上で見た花火。
『駿は私の代わりに出来るだけ長く……おじいちゃんになるまで生きて』
あの暗闇の中で、すり抜けた手の温もり。光が俺の中に入ってきた、あの瞬間。
「優……俺、雪ちゃんが好きだ」
言葉が、自然に出た。胸の奥が熱い。優の笑顔が、少しだけ遠ざかる。でも、それは悲しみじゃなかった。優は、きっと、笑ってる。
雪が顔を上げた。涙で濡れた瞳が、俺を捉える。
「駿君……」
「でも、優の事は絶対に忘れない……おじいちゃんになっても絶対に……」
雪ちゃんが小さく頷く。俺たちは立ち上がり、墓に一礼した。菊の花が、風に揺れる。紫陽花のお守りが、夕陽に光る。
墓地を後にし、俺たちは海沿いの遊歩道へ向かった。波の音が、遠くから聞こえてくる。夕陽が水平線に沈みかけ、空が茜色に染まる。
ベンチに腰を下ろす。雪が俺の隣に座り、膝の上で手を組んだ。波が寄せては返す。白い泡が、砂浜に消えていく。
俺は深呼吸して、雪を見た。
「雪ちゃん」
「うん……」
「俺も雪ちゃんに伝えたいことがある」
彼女が瞬きする。風が髪を乱し、頰にかかる。俺はそれをそっと指で払い、彼女の目を見つめる。彼女の瞳が、揺れた。
「俺は雪ちゃんが好きだ。雪ちゃんの隣にいたい。ずっと。おじいちゃんになるまで」
雪ちゃんの唇が震える。涙がまた溢れる。でも、今度は笑顔と一緒に。
「……私もだよ」
彼女の声は、風に乗って海へ届いた。俺たちは手を繋ぎ、水平線を見つめた。夕陽が沈み、星が一つ、瞬き始める。
ホームは変わらず小さく、改札を出ると父さんの古びたパトカーが目に入るはずだったが——いない。まあ、刑事だ。忙しいんだろう。
リュックを肩にかけ、駅前の通りを歩き出す。街路樹の葉は赤く染まり、落ち葉がアスファルトを埋め尽くす。
昔、四人で自転車を飛ばした道。雪が先頭で、彰が後ろから文句を言い、陽介が笑いながら追いかける。あの頃の俺は、いつも最後尾だった。
「……ふう」
息が白く、すぐに消える。まずは散策だ。家は岬ヶ丘の近く。急ぐ必要はない。
駅から十分ほど歩くと、湖畔の遊歩道に出る。水面は鉛色で、遠くに山の稜線。
ベンチに腰を下ろし、リュックから水筒を取り出す。陽介が詰めてくれたお茶。温かい。蓋を開けると、湯気が立ち上り、指先を優しく包む。
視線を上げると、向こうから人影。ボサボサの翠色の髪を揺らしながら現れたのは幼馴染の雪ちゃんだった。
彼女はタートルネックの上にコートを羽織り、足早に歩いている。息が白く、頰が赤い。
「……駿君?」
雪ちゃんが足を止めた。目を丸くする。俺は立ち上がり、軽く手を上げる。
「雪ちゃん……?」
「え、帰ってきたの?」
彼女が駆け寄ってくる。息が上がっており、頬が赤い。
「ああ。ちょっとね。陽介にお前は休めっって言われて」
「陽介……相変わらずだね」
雪ちゃんが苦笑いし俺たちは自然と並んで歩き出す。
「彰は?」
「警察と協力して事件追ってるみたい」
雑談は他愛ない。ハロウィンの夜、陽介が作った角煮がしょっぱすぎた話。雪ちゃんの声は昔と同じ。少し低めで、時折笑いが混じる。でも、どこか遠慮がちだ。
湖面を渡る風が強くなる。雪がコートの襟を立てる。
「寒い?」
「ううん、大丈夫」
岬ヶ丘の頂上へ続く坂道は、落ち葉で滑りやすくなっていた。
俺たちは肩を並べ、息を合わせて上る。彼女のコートの裾が風に翻り、時折俺の腕に触れる。
「駿くん、足元気をつけて」
「雪ちゃんこそ」
昔と同じ呼び方。幼稚園の頃から、こうだった。
頂上に着くと、雪が先にベンチに腰を下ろした。俺も隣に。街並みが眼下に広がり、遠くの山が茜色に染まる。
沈黙が落ちる。雪ちゃんが膝の上で手を組み、指を絡める。指先が震えている。
「……駿君」
「ん?」
雪が俺を見る。瞳が揺れてる。風が髪を乱し、頰にかかる。
「私……ずっと、言えなかったことがある」
俺は黙って頷く。雪は視線を湖に移すが、すぐに真っ直ぐ俺を捉える。
「私……駿君が好き」
雪ちゃんの声が震える。でも、言葉は途切れない。
「優ちゃんの事は知ってる……私も優ちゃんと駿君が付き合ってるって知った時は嬉しかった」
胸が熱くなる。優の笑顔が脳裏をよぎる。四年前の夏、病院のベッドで握った冷たくなった手。
「でも…私、ずっと言えなかった。優ちゃんに悪いって思って」
俺は立ち上がり、彼女を抱き寄せる。雪の体温が伝わる。心臓の音が聞こえる。速い。
雪ちゃんが俺の背中に腕を回す。強く、強く。震えが伝わってくる。
「……ごめん」
雪の声が耳元で震える。
「謝らなくていい」
俺たちはしばらく、何も言わず抱き合ったまま。風が吹き抜ける。湖の水面が、夕陽を反射して揺れる。
やがて、雪ちゃんが離れ。涙を拭い、言った。
「……優ちゃんのお墓、行こう」
「ああ」
松葉市の墓地は、岬ヶ丘の裏手にひっそりとあった。
石段を上ると、潮の香りが混じった風が頰を撫でる。十一月の空は高く、雲がゆっくりと流れていた。
優の墓は、家族用の区画の端にあった。白い石に「如月 優」と彫られている。
雪ちゃんが持ってきた白い菊を、俺はそっと花立に挿した。
紫陽花のお守りを、墓石の根元に置く。優がくれた、「これで守ってあげる」って笑った。
「……優」
雪ちゃんが先に膝をつき、線香に火をつける。細い煙が立ち昇り、風に揺れて墓石の縁をなぞる。俺も隣に膝をつき、手を合わせた。
優との思い出は、短いけれど鮮明だった。初めてのデートで食べたアイス。丘の上で見た花火。
『駿は私の代わりに出来るだけ長く……おじいちゃんになるまで生きて』
あの暗闇の中で、すり抜けた手の温もり。光が俺の中に入ってきた、あの瞬間。
「優……俺、雪ちゃんが好きだ」
言葉が、自然に出た。胸の奥が熱い。優の笑顔が、少しだけ遠ざかる。でも、それは悲しみじゃなかった。優は、きっと、笑ってる。
雪が顔を上げた。涙で濡れた瞳が、俺を捉える。
「駿君……」
「でも、優の事は絶対に忘れない……おじいちゃんになっても絶対に……」
雪ちゃんが小さく頷く。俺たちは立ち上がり、墓に一礼した。菊の花が、風に揺れる。紫陽花のお守りが、夕陽に光る。
墓地を後にし、俺たちは海沿いの遊歩道へ向かった。波の音が、遠くから聞こえてくる。夕陽が水平線に沈みかけ、空が茜色に染まる。
ベンチに腰を下ろす。雪が俺の隣に座り、膝の上で手を組んだ。波が寄せては返す。白い泡が、砂浜に消えていく。
俺は深呼吸して、雪を見た。
「雪ちゃん」
「うん……」
「俺も雪ちゃんに伝えたいことがある」
彼女が瞬きする。風が髪を乱し、頰にかかる。俺はそれをそっと指で払い、彼女の目を見つめる。彼女の瞳が、揺れた。
「俺は雪ちゃんが好きだ。雪ちゃんの隣にいたい。ずっと。おじいちゃんになるまで」
雪ちゃんの唇が震える。涙がまた溢れる。でも、今度は笑顔と一緒に。
「……私もだよ」
彼女の声は、風に乗って海へ届いた。俺たちは手を繋ぎ、水平線を見つめた。夕陽が沈み、星が一つ、瞬き始める。