RECORD

Eno.1461 篠崎 駿の記録

I'm right by your side

約束の週末、俺は雪ちゃんの家に向かった。松葉市の郊外、湖畔に近い高台。十一月の陽射しが、木々の間から差し込む。枯れ葉が、靴底で軽く鳴る。

手に提げた袋には、卵焼き・野菜炒め・味噌汁の材料。エプロンはリュックに。カモノハシのキーホルダーが、ぴょこんと揺れる。

地図アプリの案内に従い、坂を上る。住宅街を抜けると——

「……でっけぇ……」

思わず声が漏れた。

白い外壁の大きな一軒家。庭には芝生が広がり、湖が見える大きな窓。門構えも立派で、まるで別荘のようだ。

どうやら雪ちゃんのお母さんが「一人暮らしするなら広めに」と言って購入したらしい。でも、こんなに立派だとは。

インターホンを押す。少し待つ。

ガチャリ、と鍵が回る音。重厚な木製の扉が、ゆっくり開く。

——目の前に、ペンギンが立っていた。

黒と白の羽がふわふわで、大きな目が俺をまっすぐ見つめる。

首を傾げ、クェッと小さく鳴き。足元で、ぴょん、と跳ねる。

一瞬、固まり。心臓が跳ねる。何故ペンギンがここに?

「……き、君は……」

その時、奥から慌てた足音。

「クエちゃん! だめ、勝手に——あ、駿君!」

雪ちゃんが現れる。エプロン姿で、翠色の髪をポニーテールに。今日はコンタクトではなく、あの翠色のフレームのメガネをかけている。

湖面のような瞳が、レンズ越しに少し大きく、澄んで見える。

「ご、ごめん! びっくりしたよね……? 今日はお休みだから、メガネで……」

頰が赤い。メガネが似合う。俺は思わず見とれる。

「似合ってる……すごく」

雪ちゃんが目を伏せる。指先でフレームをそっと触る。

「ありがとう……駿君がくれたから、今日はこれで」

片手に小さなゲージを抱えている。中で、ハムスターがくるくると回る。

「この子はクエリットペンギンのクエちゃん、私の機関で保護されてたペンギンで、私がお世話してるの。あとこの子はハーちゃん、結構お利口さんなんだよ」

「……ペンギンがペットって、初めて聞いた。機関って、雪ちゃんの職場?」

「うん、プロテメウス機関。私は生態系の研究してて…クエちゃんは怪我してたのを、私が引き続き世話してるの」

クエちゃんが俺の靴先に鼻をくっつける。冷たい。ゲージの中のハーちゃんが、ガラス越しに俺をじっと見つめる。

「……でっかい家に、ペンギンとハムスターか。雪ちゃんの世界、すごいな」

「母が『一人暮らしするなら広めに』って……でも、クエちゃんがいるから、ちょうどいいかなって」

雪ちゃんが照れ臭そうに笑う。俺は袋を提げたまま、玄関に上がる。

靴を脱ぐと、床が温かい。広々としたリビングとオシャレなキッチンが目を引く。

「クエちゃんは自分の部屋で魚食べるから、ちょっと待ってて」

雪ちゃんがクエちゃんを奥の部屋へ。ドアを閉めると、クェックェッと魚を頬張る音が聞こえる。

ハーちゃんのゲージはリビングの隅に。エサをあげて、雪ちゃんが戻る。

「よし、二人ともお利口に待っててね。じゃあ、始めようか」

俺はエプロンを広げる。カモノハシの刺繍が、雪ちゃんの視線を捉える。

「可愛い…着てみて?」

雪ちゃんが俺の背後に回り、エプロンをかける。紐を結ぶ手が、少し震える。

俺も彼女にエプロンを。シンプルな白いもの。似合う。

キッチンは広々としており、二人でも狭くない。

冷蔵庫を開けると、雪ちゃんが事前に買っておいた材料がずらり……が、奥の方に、栄養食の箱が山積みにされていた。

「これ……」

俺が箱を手に取る。プロテインシェイク、栄養バー、ゼリー飲料等の所謂栄養食品というやつだ。

「雪ちゃん、普段これで済ませてるの?」

雪ちゃんが目を逸らす。

「うん……研究所の仕事が忙しくて、食事作る時間なくて……」

「でも、これじゃ栄養偏っちゃうよ」

雪ちゃんが小さく頷き。翠色の髪が揺れる。

「今日はとりあえず。卵焼き、野菜炒め、味噌汁の美味しい作り方を作れるように教えるよ」

「わぁ…楽しみ!」

まず野菜の下準備。玉ねぎ、にんじん、キャベツ、ほうれん草。大根も味噌汁用に。雪ちゃんがまな板を拭き、玉ねぎを手に。

「玉ねぎって、どう切るの? いつもバラバラで……」

俺が包丁を手に、玉ねぎを半分に。

「玉ねぎは切り方次第で風味が変わるんだ。炒め物やスープに使うなら、繊維に沿って切るといいんだ」

俺が縦に薄切り。雪ちゃんが覗き込む。

「繊維に沿うと、シャキッとした食感と甘みが残って美味しいんだよ」

雪ちゃんが隣で必死にメモをとる

「へぇ……! 知らなかった!」

雪ちゃんが真剣に切り始める。丁寧に切るとだんだんと形が整う。

「次は味噌汁のコツを教えるね。味噌汁を作る時は火の通りが違う野菜は順番が大事なんだ」

俺が鍋に水を張り、昆布を投入。

「火の通りづらいもの例えばにんじんや大根を先に入れて。ほうれん草やわかめとかの火の通りが早い野菜は後半に入れる」

雪ちゃんが大根を横切りで投入。葉も別皿に。次に玉ねぎも横切り。

「沸騰したら昆布を出して、鰹節でだしを取る」

雪ちゃんがトングで昆布を。真剣な横顔。

「味噌はどうやって入れるといいの?」

「味噌はね、まず火を止めて、沸騰が鎮まってから入れるよ。熱すぎると風味が飛ぶからね」

雪ちゃんがメモ帳に「味噌→火を止めてから」と走り書き。

「良し。次は野菜炒めだね。野菜炒めは強火で、まずは油を熱して、にんじんから炒める」

雪ちゃんがフライパンを振る。ジュッと音。香ばしい。

「あっ…そういえば」

雪ちゃんが塩の瓶を手に、困った顔をする。

「『適量』って書いてあるけど……感覚が分からないの。いつも多すぎたり、薄すぎたり……」

俺が笑って、塩をパッパッと振る。

「こう。パッパッと入れるといいよ」

雪ちゃんが首を傾げる。

「パッパッ……? あっ、リズムが大事ってこと?」

「ああ、そう。指の動きで量が決まる。俺はいつも『パッパッ』って」

「確かに言われてみれば。私、サラララ〜って入れてたな。ちゃんと覚えおくね」

雪ちゃんが目を輝かせ、急いでメモ帳を取り出す。

ペンを走らせる雪ちゃん。真剣すぎて、頰がぷくっと膨らむ。

「良し、野菜炒めはこんな感じでいいかな。次は卵焼きを作る時のコツを教えるね」

俺が卵焼き器を火にかけ、強火で熱する。

「卵液は3回こす。こうすると、卵液がキメ細やかになって、ふわっと仕上がるんだ」

雪ちゃんがボウルに卵3個を割り、砂糖小さじ1、醤油小さじ1、だし大さじ1を加えて混ぜる。茶こしで3回こす。

「こんなに?」

「うん、そうすると気泡が消えて、滑らかになるんだ」

「次に卵焼き器は強火でよく熱す。油を引いて、煙が出るくらいまでね」

雪ちゃんが油を引くとジュッと音を立て煙が舞う。

「卵液は3回に分けて流し入れる。そうすれば卵白のタンパク質が固まって厚みを出してくれるんだ」

雪ちゃんが隣で必死にメモを取っている、その姿が少し愛らしかった。

「そして、入れる卵液はたっぷり1/3量ずつ入れる。そうすれば厚みのある卵焼きが作りやすいからね」

「まず最初の卵液は薄く広げて、表面がうっすら固まってきたら、卵焼き器の奥から1/3くらいを手前に折り、そのままひと呼吸おいて折り返す。この際にひと呼吸おくことで折り返して密着した部分の卵液が固まるんだ」

雪ちゃんが頷きながら、メモをとる。

「そして、二回目はさっきと同じ量を入れる。この時にさっき巻いたやつを少し上にして下にも卵液を流し入れる。あとは同じ様に入れれば完成だよ」

俺が実演。雪ちゃんが真似をする。まず卵液を薄く。巻き2回目は少し上にあげて卵液を卵焼きの下に流し入れる。

「すごい……! ふわふわ!」

完成。卵焼きは黄金色。野菜炒めはシャキシャキ。味噌汁は澄んだ香り。

「ちょっと待って。味噌汁の大根の葉、捨てないで」

俺が別皿の緑の葉を手に。

「これでふりかけ作ろう。簡単で美味しいよ」

雪ちゃんが目を丸くする。

「えっ? 葉で?」

「まず初めに大根の葉を幅5mmくらいで細かく刻む」

俺が包丁で、ざくざく。雪ちゃんも手伝う。

「次にフライパンにごま油を熱して、中火で炒める」

ごま油をジュッ。葉を投入。香ばしい匂い。

「しんなりしたら、削り節を加えてさっと炒め合わせる」

雪ちゃんが削り節をパラパラ。

「しょうゆ、酒、砂糖を小さじ1ずつ。汁けがなくなるまで炒めて…完成」

雪ちゃんがフライパンを振る。いい匂い。

「わぁ……! ご飯が進みそう!」

ダイニングテーブルに並べる。ふりかけは小皿に。クエちゃんの部屋から、くぅんくぅん。ハーちゃんはゲージでお昼寝。

「いただきます」

雪ちゃんが箸を進める。卵焼きを一口。

「……ふわっ! 甘さもちょうどいい!」

野菜炒め、味噌汁、ふりかけをご飯にのせて。

「これ、最高……! 葉っぱがこんなに!」

雪ちゃんの笑顔が、広い部屋を明るくする。

食後、片付け。雪ちゃんが洗い物を、俺が拭く。クエちゃんの部屋を覗くと、魚を完食して満足げ。ハーちゃんはゲージで回し車でくるくる。

雪ちゃんがふと手を止める。翠色の髪が、夕陽に揺れる。

「……ねえ、駿君ちょっと相談いいかな…」

「どうしたの?」

「私…その、物事をプラスに考えるの、あんまり得意じゃなくて」

雪ちゃんの声が小さくなる。皿を拭く手が、止まる。

「どうして?」

「だって……私、いつも『ダメだ』って思っちゃうの。料理も、失敗したら『やっぱり私には向いてない』って。仕事でミスしたら『私なんて役立たず』って」

雪ちゃんの瞳が、揺れる。指先が震える。

「今日だって……駿君に教えてもらうのも、『利用してるみたい』って思っちゃって。クエちゃんやハーちゃんに甘えてるのも、『私がダメだから』って」

俺がタオルを置く。雪ちゃんの肩に手を置く。

「雪ちゃん、それちょっと、ネガティブすぎるよ」

雪ちゃんが俯く。

「わかってる……でも、頭の中でぐるぐるしちゃって。『駿君は優しいけど、いつか迷惑だって思うかも』って……」

「俺は迷惑なんて思わないよ。雪ちゃんが料理したいって言ってくれたの嬉しいんだ」

雪ちゃんが顔を上げる。メガネ越しの瞳に涙が光る。

「でも……私、栄養食で済ませてたのも、『どうせ一人だし』って思ってたからで……」

「それも変えられる。今日みたいに、一緒に作ればいい」

雪ちゃんが小さく息を吐く。

「プラスに……考えたいけど、難しい……」

「じゃあ、雪ちゃん、今日の料理、失敗したところあった?」

雪ちゃんが首を振る。

「なかった……全部、美味しかった」

「それがプラスだよ。次はもっと上手くなる」

雪ちゃんが、ふっと笑う。

「……うん。駿君がいてくれるから、ちょっとずつ、プラスに考えられるかも」

「甘えてくれて、嬉しいよ。俺も、雪ちゃんに甘えてる」

雪ちゃんの頰が、桜色に。

その時、奥のドアがガチャリと開く。クエちゃんが、ぺたぺたと歩いてくる。雪ちゃんの足元に寄り添い、くェ…?と小さく鳴く。心配そうに、雪ちゃんの膝に頭をすり寄せる。

「クエちゃん……?」

クエちゃんが、雪ちゃんを見上げたまま、ぺたぺたと冷蔵庫へ。ペチペチペチ! と小さな翼で扉を叩く。

「お魚、まだ足りないの?」

雪ちゃんが苦笑い。クエちゃんが、くぅんくぅんと首を縦に振る。

「ごめんね、もうちょっと待ってて」

俺も笑う。

「クエちゃんも、雪ちゃんのこと心配してるんだな」

雪ちゃんが、クエちゃんの頭を撫でる。メガネの奥の瞳が、少し潤んでいる。

「うん……みんなに、甘えちゃってる」

「それでいいんだよ」

「楽しかった……また、デートしようね」

雪ちゃんが振り返る。エプロンの紐が緩んでいたので結び直す。

「うん、約束」

窓の外、湖が夕陽に染まる中雪ちゃんの手がそっと俺の手に重なる。

この大きな家が、俺の居場所の一つになった気がした。