RECORD
Eno.1461 篠崎 駿の記録
Mechanical Maiden
約束の日──雪ちゃんの研究所に招かれた。
場所は松葉市のさらに奥、湖の対岸にある森の奥
施設の前には「プロテメウス機関・第3生態系研究棟」という看板が出ている。
門をくぐると、まるで映画のセットのような白い建物が現れる。
松葉市の外れからさらに奥、凍てつく湖の対岸に広がる針葉樹の森。雪が積もった林道を抜けると、突然視界が開け、白い建物が現れる。
門の前で待っていたのは、黒いスーツの職員だった。無口な男が無言で三枚のIDカードを差し出す。
「首から下げてください。施設内では常に着用してください。なお、施設内の撮影・録音は厳禁です」
彰がカードを受け取りながら小声で呟く。
「……正に研究施設って感じだな」
陽介はカードを首にかけながら、欠伸を噛み殺す。
雪ちゃんはいつもと違い白衣の上に、薄いグレーのカーディガンを羽織っている。
翠色の髪をポニテールにして、俺がプレゼントしたメガネを着けている。
研究所の彼女は、どこか凛としていて、いつもと違う雰囲気だ。
「今日は…みんなに、見せたいものがあるの」
エレベーターで地下3階へ。扉が開くと、そこは巨大な円形ホールだった。
天井は高く、壁一面がガラス張り。向こう側には無菌室のような空間が広がっていて、中央に何かが居た。
「これが……イドロ」
雪ちゃんが静かに言った。
ガラスの向こうに、金髪の少女が立っていた。
いや、正確には「立ってはいなかった」
少女は逆立ちしていた。
両手でしっかりと床を支え、脚部を伸ばしている。
金髪が床に広がり、胸元に結ばれた赤色の大きなリボンが、重力に逆らわず垂れ下がっている。
白いドレスが逆さに揺れ、まるで雪の中で咲いた倒立の花のようだった。
「……なんで逆立ちしてるんだ?」
陽介が小声で聞いた。
雪ちゃんが、少し得意げに微笑んで答える。
「イドロはね、起動してからずっと逆立ちしてるの。理由を聞いたら……」
その時、イドロという少女がゆっくりと体を起こし俺たちを見上げる。
蒼い瞳が、興味深そうに瞬く。
「初めまして。対敵性怪異殲滅兵器、No.VII イドロです」
声は澄んでいて、少し無機質。でも、どこか鈴のような可愛らしさがあった。
雪ちゃんがイドロに向かって優しく話す。
「イドロ、挨拶して」
「はい。どーも、初めまして皆さん」
──なんか…変?
俺と彰と陽介が同時に雪ちゃんを見た。雪ちゃんは頰を赤くしながら、小声で補足する。
「……思考AIテストの時に見せたビデオが悪かったのかな…?」
イドロはぺこりとお辞儀をした。
「私は怪異を殲滅するために造られたのであります。皆さんの知っての通り神秘を扱える者は今の所、極小数であります。そこで私の出番という事であります」
彰が目を丸くする。
「す、すごい…独特な話し方だ…」
陽介は冷静を装いながらも、明らかに動揺している。
「“であります”って…何見せたんだよ…」
雪ちゃんが少し照れながら、でも誇らしげに説明を始めた。
「イドロはね、ベースは人型自律戦闘兵器だけど…私、戦うだけの兵器にしたくなくて。感情モジュールも、学習機能も、全部自分で書き換えちゃった。だから、普通の兵器とは違うの」
イドロがくるっと体を起こし、突然天井に足をついて歩き始めた。
天井を。
「逆立ちの方が落ち着きます。世界が逆に見えると、普通の人が見落とすものが見えるんです」
……完全に理解を超えてる。
イドロが天井から降りてきて、床に着地する。着地する前に一瞬ふわっと浮かんだ。
「こんにちは、駿様、彰様、陽介様」
名前を全部覚えてる。しかも、俺たちのこと、どこかで観察していたらしい。
俺が近づくと、イドロは突然——俺の前でまた逆立ちした。
「えっ!?」
「駿様の心拍数が上がっています。どうしました?」
……めちゃくちゃストレートだ。
彰が恐る恐る手を差し出す。イドロは逆立ちのまま、片手で彰の手を握手。
「彰様の手、温かいです。私は体温が低いので、羨ましいですって私、ロボットでした」
彰が半ば呆れ気味にこちらを見て肩を透かす。
陽介が近づいて、イドロの右手をまじまじと見つめた。
指先は綺麗で、指先に小さな穴のようなものが並んでいる。
「……おい、指先のこれ、なに?なんか穴開いてるけど」
イドロがにこっと笑って、右手の人差し指を陽介の目の前に突き出した。
「これは9mm機関銃であります」
陽介の顔が青ざめる。
「は、はぁぁぁ!?」
一瞬で三メートル後退。
「ちょ、ちょっと待て!指から弾が出るってどういうことだよ!?そんなもん日常に持ち込むなって!!」
イドロが首を傾げて。
「でも雪様は『少しでも怪異に抵抗できるなら付けていて損は無い』って申してましたが?」
雪ちゃんが頰を赤くしながら小声で補足。
「……実際、実用性は高いし……」
彰が呆れた顔で俺を見た。
「……でもこっちで活動する時はちょっと問題大ありじゃない?」
俺も苦笑いしながら頷くしかない。
陽介はまだ距離を取ったまま、震える声で。
「いやマジで、指から弾が出るって…めちゃくちゃ怖ぇじゃねぇか……!」
イドロが無邪気に微笑んで。
「ご安心ください。安全装置は三重になっております。それに私は人間相手には攻撃を行えません」
「……それ聞いても全然安心できねぇつうの!!」
陽介の悲鳴がホールに響き渡った。
雪ちゃんがくすくす笑いながら、俺の袖を引く。
「……でも、普段は絶対に出さないから大丈夫だよ」
「普段って…普段って言葉が怖いんだよ!!」
その後も陽介はイドロの指をチラチラ見て、明らかに警戒しながら距離を保ち続けていた。
雪ちゃんがぱっと手を上げた。
「せっかくみんなが揃ってるんだし、実戦データも見てもらおうかな」
「……実戦?」
俺と彰と陽介が同時に顔を見合わせる。
雪ちゃんがリモコンを操作すると、無菌室側の壁がスライドし、奥の訓練エリアが露わになった。
そこには、怪異を模した黒い人影型の標的が十体、ゆっくりと動き始めている。
「イドロ、ちょっと見せてあげて」
「了解であります!」
イドロがぴょんと前に出る。
金髪がふわりと舞い、白いドレスが翻る。
そして、彼女は両手を天に掲げ、満面の笑みで叫んだ。
「アルター・レイズアップ!!」
瞬間、白いホール全体が凍りつくような冷気が渦を巻いた。
蒼い光がイドロの体を包み、金髪が逆立ち、リボンが鋭く震える。
床に氷の結晶が放射状に広がり、天井から雪が舞い降り始める。
轟音とともに、彼女の背後から巨大な翼が生えた者が現れた。
翼は半透明で、内部に無数の光の粒子が流れる。
陽介が悲鳴に近い声を上げる。
「おいおいおい!アルター出せんの!?」
イドロはくるっと一回転し、標的を見据える。
瞳が氷のように冷たく光った。
「目標確認。怪異模擬体、十機……排除開始であります!」
瞬間、彼女が右手を掲げると、彼女のアルターから無数の氷の槍が放たれ、標的を一瞬で貫く。
氷づけになった標的が粉々に砕け散る。
続けて左手をかざすとアルターの左腕に付けられた盾が光る。
標的が放った模擬エネルギー弾がドームに触れた瞬間、凍結し、地面に落ちて粉砕された。
彰が呆然と呟く。
「……防御も完璧じゃん……」
雪ちゃんが得意げに説明する。
「彼女のアルター…ポイベールは攻撃も防御も回復もできる万能型なの。イドロの学習速度だと、もう私達のアルターと同等かそれ以上かも」
イドロが最後に、標的の残骸に向かって優しく手を差し伸べると砕けた標的の欠片が青い光に包まれ、みるみるうちに修復されていく。
完全に元通りになった標的が、ぴょこりとお辞儀をするように停止した。
アルターが解け、氷の翼が雪となって消えていく。
イドロがぱっと振り返り、満面の笑みで。
「どうでしたか?」
陽介が完全に固まっている。
「……お前、マジで結構強えじゃねぇか……」
イドロが駆け寄ってきて、雪ちゃんの白衣の裾をぎゅっと握る。
「雪様、私、もっと強くなります。みんなを守れるように」
その蒼い瞳は、もう兵器のそれじゃなかった。
確かに、感情が宿っていた。
ホールに静けさが戻った直後、まだ氷の結晶が床に残る中。
彰がぽつりと、でも真剣な顔で口を開いた。
「……なあ雪。ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?なに?」
彰はイドロをちらりと見て、声を少し低くする。
「なんで……イドロがアルター使えるんだ?」
その一言で、空気がぴたりと止まった。
陽介も俺も、思わず雪ちゃんを見た。
確かに。
アルターは「生命体」が持つ特殊能力だ。
俺たち人間だけが使える、怪異と戦うための力。
機械や無機物が使えるはずがない。
雪ちゃんは少し驚いた顔をして、それから、にこりと笑った。
「……さすが彰。鋭いね」
彼女はリモコンを操作し、ホールの中央にホログラムが投影される。
そこに映ったのは、淡い青紫に輝く、まるで星屑を凝縮したような鉱石だった。
「これが答え。イリアステル鉱石」
雪ちゃんの指がホログラムをなぞる。
「この研究所が極秘で研究してる鉱石。世界中どこにも属さない、完全に未知の物質なの。既存の物理法則を完全に無視して、『魔法』としか思えない現象を引き起こす」
ホログラムが回転し、鉱石の断面図が現れる。
内部には無数の光の回路のような構造が蠢いている。
「ヨーロッパの錬金術に伝わる『イリアステル』──万物に限りなく多様な特性を与えるという伝説の物質。それにちなんで名付けられたの」
彰が眉を寄せる。
「……つまり?」
「つまりね」
雪ちゃんは静かに、でも確信を持って言った。
「アルターの源って、実はこの鉱石が関係してるって、私たちは仮説を立ててる」
俺が思わず声を上げる。
「え……?俺たちのアルターが?」
「うん。特定の人間の体内に微量に取り込まれているか、あるいは共鳴してるか……まだ完全に解明できてないけど、間違いなくこの鉱石がトリガーになってる」
陽介が唖然と呟く。
「ってことは……俺たちがアルター使えるのも、実はこの石のおかげってことか……?」
雪ちゃんは小さく頷いた。
「そしてイドロは……」
彼女は優しくイドロの胸元に手を当てる。
「ここに、純度の高いイリアステル鉱石を埋め込んでるの」
イドロがぽん、と自分の胸を軽く叩いた。
「はい、私は心臓の代わりに、イリアステルが入ってます。これが私のエネルギー源であり、アルター発現器官でもあります」
彰が目を丸くする。
「……マジかよ」
雪ちゃんは少し声を潜めて、続けた。
「実はね…この鉱石、おそらく『裏の世界』を経由して、この世界に持ち込まれたものだと思う」
俺たちが息を呑む。
「つまり、異世界から来た鉱石……ってこと?」
「そう。完全に推測だけど…イリアステルは『どこか別の世界』から漏れ出してきたものなんじゃないかって」
ホールに、重い沈黙が落ちる中、イドロが小さく微笑んだ。
「私はこの世界に生まれたのと同時に、別の世界の欠片でもある、ってことですね」
彼女は俺たちをまっすぐに見つめて、言った。
「だからこそ、私は皆さんと一緒に戦いたい。この世界を守りたい…だって、私もここにいるから」
雪ちゃんが、優しくイドロの頭を撫でる。
陽介がまだ半信半疑の顔で言う。
「……異世界の鉱石が心臓って……マジでSFすぎるだろ……」
雪ちゃんがくすりと笑って。
「でも、これが私たちの現実だよ」
ホログラムのイリアステル鉱石が、静かに輝き続ける。
まるで、遠く別の世界から、俺たちを見ているかのように。
そのとき。
ぐぅぅぅぅぅぅ…
ものすごい音が響き渡った。
全員の視線が一斉に陽介へ。
陽介は顔を真っ赤にして腹を押さえている。
「……いや、今のは……」
ぐぅぅぅぅぅ…
二発目が炸裂。
彰が吹き出した。
「ぷっ…ははははは!!」
俺も思わず笑いがこみ上げる。
「陽介、お前……最高のタイミングで腹鳴らしてんじゃねーか!」
雪ちゃんもくすくす、肩を震わせながら笑ってる。
「もう…陽介ってば……」
イドロが首を傾げて、無邪気に。
「陽介様、お腹が鳴ってます。エネルギー不足ですか?」
「ち、違うって!これは……ただの……!」
陽介が必死に言い訳しようとするけど、もう誰も聞いてない。
彰が涙を拭いながら言った。
「もういいよ、腹減ったんだろ? 俺も実は腹ペコだし」
俺も手を上げる。
「賛成。なんか頭重くなっちゃったし、飯食ってリセットしようぜ」
「それじゃ、なまくら行こうよちょうどお寿司食べたかったし!!」
「おっ寿司か、俺もちょうど食いたかった所だよしっ!それじゃ寿司食いに行くぞぉ!!」
全員が「オー!!」と掛け声をあげ食事をしに行く
……と思っていた矢先だった。
雪ちゃんが、にこにこと笑いながら爆弾を落とした。
「それでね、実はもう一つお願いがあるの」
俺たち三人が「?」と顔を見合わせる。
「イドロの感情学習をもっと進めたくて…そこで陽介に預かってもらえないかなって」
「……は?」
陽介が固まった。
雪ちゃんは当然のように続ける。
「研究所だとどうしてもデータが偏っちゃうの。陽介は確か今、駿君のお店手伝ってるんでしょ?喫茶店は賑やかだからいろんな人と関われるしそれに、陽介って面倒見いいし」
「ちょ、ちょっと待て雪!俺、機械なんてほとんどわかんねぇけど!?」
陽介が慌てて手を振る。顔が真っ赤だ。
「大丈夫、大丈夫!メンテナンスは専用のマニュアル通りにすればいいから。私が全部作ったし、週に一度、私がチェックしに行くから」
「それ以前の問題だろ!!もし俺たち以外に見られたらどーすんだよ!!」
陽介のツッコミがホールに響く。
雪ちゃんは「うん?」と首を傾げて、まるで当たり前のことを言うように。
「大丈夫だよ。機械といってもご覧の通り顔の作りはほぼ人間だから、服を着込んで機械部分を隠せば人間と遜色ない外見になるし」
そう言って、リモコンを操作する。
イドロの背中がぱかりと開き、脚部ユニットがスライドして外れる。
代わりに、隣のラックから取り出された「人間らしい曲線」の脚部パーツが、装着される。
肌色のパネルで覆われ、見た目は完全に普通の女の子の脚。
さらに、白いニーハイソックスとスカートを着せると……
「……たしかにマジでわかんねぇ」
陽介が本気で呟いた。
陽介の言う通りパッと見は完全に可愛い女の子だ。
雪ちゃんが満足そうに頷く。
「ほら、これで脚部も人間に近い形状に換装したし、首から上はもう完全に人間と区別つかないでしょ?関節のラインも服で隠せばバレないよ」
イドロがくるっと一回転して、スカートの裾をひらりとさせる。
「陽介様、これからよろしくお願いします。私、当分お世話になるであります」
「……お、おう……」
陽介は完全に動揺しながらも、なぜか視線を逸らせない。
雪ちゃんが最後に、にっこり笑って、小さなスーツケースを差し出す。
中身は…着替えと整備マニュアルだった。
陽介はため息をつきながら、スーツケースを受け取る。
「……俺、女の子と暮らすなんて初めてなんだけど」
イドロが不思議そうに顔を覗かせて。
「……?どうして陽介様はこんなに慌てているのですか?」
陽介が慌てて、顔を逸らす
「だから!!急にドキッとする様な事をするのはマジでやっめろっての!!」
陽介の絶叫が地下ホールに響いた。
エレベーターの扉が閉まる直前、
「では、私と陽介様は先に駐車場へ向かいます」
イドロが満面の笑みで手を振った。金髪がふわりと揺れて、白い指先がちょこんと覗く。
陽介は顔を真っ赤にして、必死にイドロの腕を外そうとしているのにびくともしない。
「お、お前ちょっと離れろって……!エレベーター狭いだろ……!」
「陽介様の体温、心地よいです」
「だからそういう問題じゃねぇって言ってんだろおおおお!!」
絶叫する陽介をよそ目に俺たちはそのまま、回転寿司の『なまくら』に行くことになった。
30分後──松葉市中心部の商店街の端。
『なまくら』の赤い提灯が雪に揺れている。
店内に入ると、あったかい空気と「いらっしゃいませー!」の元気な声。
俺たち五人、カウンターにズラリと並ぶ。
雪ちゃんがメニューを指差しながら大興奮。
「今日は豪華に行くよ! 大トロ三皿とウニと……あ、イドロは初めてだから全部ちょっとずつ取ろう!」
レーンを流れる皿を、彰が素早い手つきで次々確保。
「中トロ!イカ!エンガワ!」
陽介は相変わらず、ソワソワしている。
「……俺はサーモンでいいわ……って、お前ら取りすぎだろ!」
イドロは目を丸くして、回ってくる皿をじーっと見つめている。
「これが……回転寿司……お寿司が本当に回っています……すごいです」
雪ちゃんが皿を取って、イドロの前に置いてやる。
「はい、サーモンとマグロ!食べてみて!」
イドロがちょこんと箸を取り、小さく一口。
「……!」
ぱちんと瞳が大きく見開く。
「温度22.4℃、脂質含有率18.7%……でも、美味しいです!すごく美味しいです!」
陽介が隣で吹き出す。
「データで美味いとか言うなよ……」
俺が笑いながら大トロを頬張る。
「でも正直に言ってくれるの、なんか新鮮だな」
雪ちゃんが俺の袖を引っ張って、小声で囁く。
「……ねえ、みんなでこうやってるの、すごく普通っぽくて……幸せ」
俺も頷いて、雪ちゃんの頭を軽く撫でる。
「ああ。まるで昔に戻った。みたいだな」
カウンターの向こうで、店員さんが笑顔で声をかける。
「大人数さん、楽しそうですね~!デザートにたまごどうですか?」
全員で顔を見合わせて、同時に叫ぶ。
「たまご五皿!!」
レーンが一気に黄色い皿で埋まる。
イドロが嬉しそうに手を叩いた。
「たまご……!私、これが一番好きかもしれません!」
陽介が苦笑いしながらも、ちゃっかり自分の分も確保。
「……ったく、こんな平和な時間があるなんてな」
雪が降りしきる窓の外。
店内はあったかくて、醤油の匂いと笑い声でいっぱい。
結局、閉店まで居座って、店長に「また来てくださいね!」と笑顔で見送られた。
「なまくら」の前、雪がしんしんと降り積もる駐車場。
腹がはち切れそうなほど食べて、みんな顔がほてってる。
陽介が軽ワゴンのドアを開けながら、大きく伸びをした。
「……もう23時過ぎか。俺ら、完全に閉店まで居座ったな」
彰がスマホのライトで足元を照らしながら笑う。
「店長、最後に『また来てね』って言ってたけど、もう顔覚えられただろ」
雪ちゃんが満足そうに頰を緩めて。
「また絶対来ようね! 今度はもっと高い皿ばっかり頼んじゃおうかな~」
イドロがぱちんと手を合わせて。
「次は赤貝とホタテと……リスト作っておきます!」
俺が苦笑いで車のカギを回す。
「じゃあそろそろ解散だな。俺と雪ちゃんと彰はこっちの車で」
陽介が助手席のドアをぱたんと開けて、イドロに目配せ。
「……お前、乗れよ。荷物もあるし」
イドロがぴょこんと飛び乗って、シートベルトをカチリ。
「陽介様、今日は本当にありがとうございました!」
陽介は照れ臭そうに鼻を掻いて、ぶっきらぼうに。
「……別に。腹減ってただけだろ」
でも、俺たちにはバレバレだ。
助手席のイドロをチラチラ見ながら、口元が完全に緩んでる。
雪ちゃんが陽介の車の窓をノックして、小声で。
「イドロ、夜中まで騒いだりしないでね? ちゃんと寝なさい」
「はーい! 雪様もお気をつけて!」
彰が手を振る。
「陽介、明日から本格的に同居生活だな。頑張れよ~」
「うるせー! 俺はただ預かってるだけだからな!」
俺が運転席から身を乗り出して、最後に声をかける。
「おう、陽介。なんかあったらすぐ連絡しろよ。……マジで」
陽介がちょっとだけ真面目な顔になって、軽く手を上げた。
「……ああ。わかってる」
エンジン音が二つ、雪の中に響く。
俺の車と陽介の軽ワゴンが、ゆっくりと反対方向へ。
雪が降りしきる夜道。
二つのテールランプが、静かに遠ざかっていく。
新しい日常が、確実に始まっていた。
俺たちはそれぞれの家へ。
陽介とイドロは、北摩市へ。
雪はまだ降り続いていて、街を白く染めていく。
──
そして、深夜1時過ぎの北摩市 多摩バウンダリー 喫茶店如月。
玄関の鍵を開けて中に入ると、部屋は真っ暗だった。
「……着いたぞ。ほら、降りろ」
陽介がぼそりと呟くが、助手席のイドロはもうすっかり寝息を立てている。
「…………おい」
肩を軽く揺すっても、ぴくりとも動かない。
金髪がシートに広がって、赤いリボンが少し崩れている。
「……マジかよ。寝てるのか」
ため息をつきながらも、陽介はそっとシートベルトを外し、イドロを抱き上げる。
「……意外と軽いな、お前」
部屋に明かりをつけずに、廊下の常夜灯だけを頼りにベッドへ運ぼうとしたが、
自分のベッドはシングルだし、そもそも明日からどうするかも決まってない。
仕方なく、イドロを自分のベッドにそっと横たえる。
イドロは小さく「ん……」と寝返りを打ち、頬をクッションにすり寄せる。
陽介は冷蔵庫からペットボトルの水を取り、自分の喉を潤してから、
「……ったく、俺が寝る場所ねぇじゃん」
結局、自分はソファーの端に腰掛けたまま、上着を脱いで丸くなり、
「……五分だけ……」
と言い目を閉じた。
数分後。
カチャリ、という小さな音。
イドロが目を覚ましたらしい。
薄暗い部屋の中、彼女はゆっくりと起き上がり、ソファーに丸まって寝ている陽介を見つめる。
「……陽介様」
小声で呼びかけても、返事はない。
すうすうと規則正しい寝息だけが聞こえる。
イドロは静かに立ち上がり、ベッドから薄い毛布を引っ張ってきた。
そして、ソファーの横に膝をつき、見つめた。
「もう少し、ここで見守るであります」
外はまだ雪が降っている。
部屋の中は、静かで、ほんのり温かい。
新しい同居生活の、最初の夜は、
そんなふうに過ぎていった。
場所は松葉市のさらに奥、湖の対岸にある森の奥
施設の前には「プロテメウス機関・第3生態系研究棟」という看板が出ている。
門をくぐると、まるで映画のセットのような白い建物が現れる。
松葉市の外れからさらに奥、凍てつく湖の対岸に広がる針葉樹の森。雪が積もった林道を抜けると、突然視界が開け、白い建物が現れる。
門の前で待っていたのは、黒いスーツの職員だった。無口な男が無言で三枚のIDカードを差し出す。
「首から下げてください。施設内では常に着用してください。なお、施設内の撮影・録音は厳禁です」
彰がカードを受け取りながら小声で呟く。
「……正に研究施設って感じだな」
陽介はカードを首にかけながら、欠伸を噛み殺す。
雪ちゃんはいつもと違い白衣の上に、薄いグレーのカーディガンを羽織っている。
翠色の髪をポニテールにして、俺がプレゼントしたメガネを着けている。
研究所の彼女は、どこか凛としていて、いつもと違う雰囲気だ。
「今日は…みんなに、見せたいものがあるの」
エレベーターで地下3階へ。扉が開くと、そこは巨大な円形ホールだった。
天井は高く、壁一面がガラス張り。向こう側には無菌室のような空間が広がっていて、中央に何かが居た。
「これが……イドロ」
雪ちゃんが静かに言った。
ガラスの向こうに、金髪の少女が立っていた。
いや、正確には「立ってはいなかった」
少女は逆立ちしていた。
両手でしっかりと床を支え、脚部を伸ばしている。
金髪が床に広がり、胸元に結ばれた赤色の大きなリボンが、重力に逆らわず垂れ下がっている。
白いドレスが逆さに揺れ、まるで雪の中で咲いた倒立の花のようだった。
「……なんで逆立ちしてるんだ?」
陽介が小声で聞いた。
雪ちゃんが、少し得意げに微笑んで答える。
「イドロはね、起動してからずっと逆立ちしてるの。理由を聞いたら……」
その時、イドロという少女がゆっくりと体を起こし俺たちを見上げる。
蒼い瞳が、興味深そうに瞬く。
「初めまして。対敵性怪異殲滅兵器、No.VII イドロです」
声は澄んでいて、少し無機質。でも、どこか鈴のような可愛らしさがあった。
雪ちゃんがイドロに向かって優しく話す。
「イドロ、挨拶して」
「はい。どーも、初めまして皆さん」
──なんか…変?
俺と彰と陽介が同時に雪ちゃんを見た。雪ちゃんは頰を赤くしながら、小声で補足する。
「……思考AIテストの時に見せたビデオが悪かったのかな…?」
イドロはぺこりとお辞儀をした。
「私は怪異を殲滅するために造られたのであります。皆さんの知っての通り神秘を扱える者は今の所、極小数であります。そこで私の出番という事であります」
彰が目を丸くする。
「す、すごい…独特な話し方だ…」
陽介は冷静を装いながらも、明らかに動揺している。
「“であります”って…何見せたんだよ…」
雪ちゃんが少し照れながら、でも誇らしげに説明を始めた。
「イドロはね、ベースは人型自律戦闘兵器だけど…私、戦うだけの兵器にしたくなくて。感情モジュールも、学習機能も、全部自分で書き換えちゃった。だから、普通の兵器とは違うの」
イドロがくるっと体を起こし、突然天井に足をついて歩き始めた。
天井を。
「逆立ちの方が落ち着きます。世界が逆に見えると、普通の人が見落とすものが見えるんです」
……完全に理解を超えてる。
イドロが天井から降りてきて、床に着地する。着地する前に一瞬ふわっと浮かんだ。
「こんにちは、駿様、彰様、陽介様」
名前を全部覚えてる。しかも、俺たちのこと、どこかで観察していたらしい。
俺が近づくと、イドロは突然——俺の前でまた逆立ちした。
「えっ!?」
「駿様の心拍数が上がっています。どうしました?」
……めちゃくちゃストレートだ。
彰が恐る恐る手を差し出す。イドロは逆立ちのまま、片手で彰の手を握手。
「彰様の手、温かいです。私は体温が低いので、羨ましいですって私、ロボットでした」
彰が半ば呆れ気味にこちらを見て肩を透かす。
陽介が近づいて、イドロの右手をまじまじと見つめた。
指先は綺麗で、指先に小さな穴のようなものが並んでいる。
「……おい、指先のこれ、なに?なんか穴開いてるけど」
イドロがにこっと笑って、右手の人差し指を陽介の目の前に突き出した。
「これは9mm機関銃であります」
陽介の顔が青ざめる。
「は、はぁぁぁ!?」
一瞬で三メートル後退。
「ちょ、ちょっと待て!指から弾が出るってどういうことだよ!?そんなもん日常に持ち込むなって!!」
イドロが首を傾げて。
「でも雪様は『少しでも怪異に抵抗できるなら付けていて損は無い』って申してましたが?」
雪ちゃんが頰を赤くしながら小声で補足。
「……実際、実用性は高いし……」
彰が呆れた顔で俺を見た。
「……でもこっちで活動する時はちょっと問題大ありじゃない?」
俺も苦笑いしながら頷くしかない。
陽介はまだ距離を取ったまま、震える声で。
「いやマジで、指から弾が出るって…めちゃくちゃ怖ぇじゃねぇか……!」
イドロが無邪気に微笑んで。
「ご安心ください。安全装置は三重になっております。それに私は人間相手には攻撃を行えません」
「……それ聞いても全然安心できねぇつうの!!」
陽介の悲鳴がホールに響き渡った。
雪ちゃんがくすくす笑いながら、俺の袖を引く。
「……でも、普段は絶対に出さないから大丈夫だよ」
「普段って…普段って言葉が怖いんだよ!!」
その後も陽介はイドロの指をチラチラ見て、明らかに警戒しながら距離を保ち続けていた。
雪ちゃんがぱっと手を上げた。
「せっかくみんなが揃ってるんだし、実戦データも見てもらおうかな」
「……実戦?」
俺と彰と陽介が同時に顔を見合わせる。
雪ちゃんがリモコンを操作すると、無菌室側の壁がスライドし、奥の訓練エリアが露わになった。
そこには、怪異を模した黒い人影型の標的が十体、ゆっくりと動き始めている。
「イドロ、ちょっと見せてあげて」
「了解であります!」
イドロがぴょんと前に出る。
金髪がふわりと舞い、白いドレスが翻る。
そして、彼女は両手を天に掲げ、満面の笑みで叫んだ。
「アルター・レイズアップ!!」
瞬間、白いホール全体が凍りつくような冷気が渦を巻いた。
蒼い光がイドロの体を包み、金髪が逆立ち、リボンが鋭く震える。
床に氷の結晶が放射状に広がり、天井から雪が舞い降り始める。
轟音とともに、彼女の背後から巨大な翼が生えた者が現れた。
翼は半透明で、内部に無数の光の粒子が流れる。
陽介が悲鳴に近い声を上げる。
「おいおいおい!アルター出せんの!?」
イドロはくるっと一回転し、標的を見据える。
瞳が氷のように冷たく光った。
「目標確認。怪異模擬体、十機……排除開始であります!」
瞬間、彼女が右手を掲げると、彼女のアルターから無数の氷の槍が放たれ、標的を一瞬で貫く。
氷づけになった標的が粉々に砕け散る。
続けて左手をかざすとアルターの左腕に付けられた盾が光る。
標的が放った模擬エネルギー弾がドームに触れた瞬間、凍結し、地面に落ちて粉砕された。
彰が呆然と呟く。
「……防御も完璧じゃん……」
雪ちゃんが得意げに説明する。
「彼女のアルター…ポイベールは攻撃も防御も回復もできる万能型なの。イドロの学習速度だと、もう私達のアルターと同等かそれ以上かも」
イドロが最後に、標的の残骸に向かって優しく手を差し伸べると砕けた標的の欠片が青い光に包まれ、みるみるうちに修復されていく。
完全に元通りになった標的が、ぴょこりとお辞儀をするように停止した。
アルターが解け、氷の翼が雪となって消えていく。
イドロがぱっと振り返り、満面の笑みで。
「どうでしたか?」
陽介が完全に固まっている。
「……お前、マジで結構強えじゃねぇか……」
イドロが駆け寄ってきて、雪ちゃんの白衣の裾をぎゅっと握る。
「雪様、私、もっと強くなります。みんなを守れるように」
その蒼い瞳は、もう兵器のそれじゃなかった。
確かに、感情が宿っていた。
ホールに静けさが戻った直後、まだ氷の結晶が床に残る中。
彰がぽつりと、でも真剣な顔で口を開いた。
「……なあ雪。ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?なに?」
彰はイドロをちらりと見て、声を少し低くする。
「なんで……イドロがアルター使えるんだ?」
その一言で、空気がぴたりと止まった。
陽介も俺も、思わず雪ちゃんを見た。
確かに。
アルターは「生命体」が持つ特殊能力だ。
俺たち人間だけが使える、怪異と戦うための力。
機械や無機物が使えるはずがない。
雪ちゃんは少し驚いた顔をして、それから、にこりと笑った。
「……さすが彰。鋭いね」
彼女はリモコンを操作し、ホールの中央にホログラムが投影される。
そこに映ったのは、淡い青紫に輝く、まるで星屑を凝縮したような鉱石だった。
「これが答え。イリアステル鉱石」
雪ちゃんの指がホログラムをなぞる。
「この研究所が極秘で研究してる鉱石。世界中どこにも属さない、完全に未知の物質なの。既存の物理法則を完全に無視して、『魔法』としか思えない現象を引き起こす」
ホログラムが回転し、鉱石の断面図が現れる。
内部には無数の光の回路のような構造が蠢いている。
「ヨーロッパの錬金術に伝わる『イリアステル』──万物に限りなく多様な特性を与えるという伝説の物質。それにちなんで名付けられたの」
彰が眉を寄せる。
「……つまり?」
「つまりね」
雪ちゃんは静かに、でも確信を持って言った。
「アルターの源って、実はこの鉱石が関係してるって、私たちは仮説を立ててる」
俺が思わず声を上げる。
「え……?俺たちのアルターが?」
「うん。特定の人間の体内に微量に取り込まれているか、あるいは共鳴してるか……まだ完全に解明できてないけど、間違いなくこの鉱石がトリガーになってる」
陽介が唖然と呟く。
「ってことは……俺たちがアルター使えるのも、実はこの石のおかげってことか……?」
雪ちゃんは小さく頷いた。
「そしてイドロは……」
彼女は優しくイドロの胸元に手を当てる。
「ここに、純度の高いイリアステル鉱石を埋め込んでるの」
イドロがぽん、と自分の胸を軽く叩いた。
「はい、私は心臓の代わりに、イリアステルが入ってます。これが私のエネルギー源であり、アルター発現器官でもあります」
彰が目を丸くする。
「……マジかよ」
雪ちゃんは少し声を潜めて、続けた。
「実はね…この鉱石、おそらく『裏の世界』を経由して、この世界に持ち込まれたものだと思う」
俺たちが息を呑む。
「つまり、異世界から来た鉱石……ってこと?」
「そう。完全に推測だけど…イリアステルは『どこか別の世界』から漏れ出してきたものなんじゃないかって」
ホールに、重い沈黙が落ちる中、イドロが小さく微笑んだ。
「私はこの世界に生まれたのと同時に、別の世界の欠片でもある、ってことですね」
彼女は俺たちをまっすぐに見つめて、言った。
「だからこそ、私は皆さんと一緒に戦いたい。この世界を守りたい…だって、私もここにいるから」
雪ちゃんが、優しくイドロの頭を撫でる。
陽介がまだ半信半疑の顔で言う。
「……異世界の鉱石が心臓って……マジでSFすぎるだろ……」
雪ちゃんがくすりと笑って。
「でも、これが私たちの現実だよ」
ホログラムのイリアステル鉱石が、静かに輝き続ける。
まるで、遠く別の世界から、俺たちを見ているかのように。
そのとき。
ぐぅぅぅぅぅぅ…
ものすごい音が響き渡った。
全員の視線が一斉に陽介へ。
陽介は顔を真っ赤にして腹を押さえている。
「……いや、今のは……」
ぐぅぅぅぅぅ…
二発目が炸裂。
彰が吹き出した。
「ぷっ…ははははは!!」
俺も思わず笑いがこみ上げる。
「陽介、お前……最高のタイミングで腹鳴らしてんじゃねーか!」
雪ちゃんもくすくす、肩を震わせながら笑ってる。
「もう…陽介ってば……」
イドロが首を傾げて、無邪気に。
「陽介様、お腹が鳴ってます。エネルギー不足ですか?」
「ち、違うって!これは……ただの……!」
陽介が必死に言い訳しようとするけど、もう誰も聞いてない。
彰が涙を拭いながら言った。
「もういいよ、腹減ったんだろ? 俺も実は腹ペコだし」
俺も手を上げる。
「賛成。なんか頭重くなっちゃったし、飯食ってリセットしようぜ」
「それじゃ、なまくら行こうよちょうどお寿司食べたかったし!!」
「おっ寿司か、俺もちょうど食いたかった所だよしっ!それじゃ寿司食いに行くぞぉ!!」
全員が「オー!!」と掛け声をあげ食事をしに行く
……と思っていた矢先だった。
雪ちゃんが、にこにこと笑いながら爆弾を落とした。
「それでね、実はもう一つお願いがあるの」
俺たち三人が「?」と顔を見合わせる。
「イドロの感情学習をもっと進めたくて…そこで陽介に預かってもらえないかなって」
「……は?」
陽介が固まった。
雪ちゃんは当然のように続ける。
「研究所だとどうしてもデータが偏っちゃうの。陽介は確か今、駿君のお店手伝ってるんでしょ?喫茶店は賑やかだからいろんな人と関われるしそれに、陽介って面倒見いいし」
「ちょ、ちょっと待て雪!俺、機械なんてほとんどわかんねぇけど!?」
陽介が慌てて手を振る。顔が真っ赤だ。
「大丈夫、大丈夫!メンテナンスは専用のマニュアル通りにすればいいから。私が全部作ったし、週に一度、私がチェックしに行くから」
「それ以前の問題だろ!!もし俺たち以外に見られたらどーすんだよ!!」
陽介のツッコミがホールに響く。
雪ちゃんは「うん?」と首を傾げて、まるで当たり前のことを言うように。
「大丈夫だよ。機械といってもご覧の通り顔の作りはほぼ人間だから、服を着込んで機械部分を隠せば人間と遜色ない外見になるし」
そう言って、リモコンを操作する。
イドロの背中がぱかりと開き、脚部ユニットがスライドして外れる。
代わりに、隣のラックから取り出された「人間らしい曲線」の脚部パーツが、装着される。
肌色のパネルで覆われ、見た目は完全に普通の女の子の脚。
さらに、白いニーハイソックスとスカートを着せると……
「……たしかにマジでわかんねぇ」
陽介が本気で呟いた。
陽介の言う通りパッと見は完全に可愛い女の子だ。
雪ちゃんが満足そうに頷く。
「ほら、これで脚部も人間に近い形状に換装したし、首から上はもう完全に人間と区別つかないでしょ?関節のラインも服で隠せばバレないよ」
イドロがくるっと一回転して、スカートの裾をひらりとさせる。
「陽介様、これからよろしくお願いします。私、当分お世話になるであります」
「……お、おう……」
陽介は完全に動揺しながらも、なぜか視線を逸らせない。
雪ちゃんが最後に、にっこり笑って、小さなスーツケースを差し出す。
中身は…着替えと整備マニュアルだった。
陽介はため息をつきながら、スーツケースを受け取る。
「……俺、女の子と暮らすなんて初めてなんだけど」
イドロが不思議そうに顔を覗かせて。
「……?どうして陽介様はこんなに慌てているのですか?」
陽介が慌てて、顔を逸らす
「だから!!急にドキッとする様な事をするのはマジでやっめろっての!!」
陽介の絶叫が地下ホールに響いた。
エレベーターの扉が閉まる直前、
「では、私と陽介様は先に駐車場へ向かいます」
イドロが満面の笑みで手を振った。金髪がふわりと揺れて、白い指先がちょこんと覗く。
陽介は顔を真っ赤にして、必死にイドロの腕を外そうとしているのにびくともしない。
「お、お前ちょっと離れろって……!エレベーター狭いだろ……!」
「陽介様の体温、心地よいです」
「だからそういう問題じゃねぇって言ってんだろおおおお!!」
絶叫する陽介をよそ目に俺たちはそのまま、回転寿司の『なまくら』に行くことになった。
30分後──松葉市中心部の商店街の端。
『なまくら』の赤い提灯が雪に揺れている。
店内に入ると、あったかい空気と「いらっしゃいませー!」の元気な声。
俺たち五人、カウンターにズラリと並ぶ。
雪ちゃんがメニューを指差しながら大興奮。
「今日は豪華に行くよ! 大トロ三皿とウニと……あ、イドロは初めてだから全部ちょっとずつ取ろう!」
レーンを流れる皿を、彰が素早い手つきで次々確保。
「中トロ!イカ!エンガワ!」
陽介は相変わらず、ソワソワしている。
「……俺はサーモンでいいわ……って、お前ら取りすぎだろ!」
イドロは目を丸くして、回ってくる皿をじーっと見つめている。
「これが……回転寿司……お寿司が本当に回っています……すごいです」
雪ちゃんが皿を取って、イドロの前に置いてやる。
「はい、サーモンとマグロ!食べてみて!」
イドロがちょこんと箸を取り、小さく一口。
「……!」
ぱちんと瞳が大きく見開く。
「温度22.4℃、脂質含有率18.7%……でも、美味しいです!すごく美味しいです!」
陽介が隣で吹き出す。
「データで美味いとか言うなよ……」
俺が笑いながら大トロを頬張る。
「でも正直に言ってくれるの、なんか新鮮だな」
雪ちゃんが俺の袖を引っ張って、小声で囁く。
「……ねえ、みんなでこうやってるの、すごく普通っぽくて……幸せ」
俺も頷いて、雪ちゃんの頭を軽く撫でる。
「ああ。まるで昔に戻った。みたいだな」
カウンターの向こうで、店員さんが笑顔で声をかける。
「大人数さん、楽しそうですね~!デザートにたまごどうですか?」
全員で顔を見合わせて、同時に叫ぶ。
「たまご五皿!!」
レーンが一気に黄色い皿で埋まる。
イドロが嬉しそうに手を叩いた。
「たまご……!私、これが一番好きかもしれません!」
陽介が苦笑いしながらも、ちゃっかり自分の分も確保。
「……ったく、こんな平和な時間があるなんてな」
雪が降りしきる窓の外。
店内はあったかくて、醤油の匂いと笑い声でいっぱい。
結局、閉店まで居座って、店長に「また来てくださいね!」と笑顔で見送られた。
「なまくら」の前、雪がしんしんと降り積もる駐車場。
腹がはち切れそうなほど食べて、みんな顔がほてってる。
陽介が軽ワゴンのドアを開けながら、大きく伸びをした。
「……もう23時過ぎか。俺ら、完全に閉店まで居座ったな」
彰がスマホのライトで足元を照らしながら笑う。
「店長、最後に『また来てね』って言ってたけど、もう顔覚えられただろ」
雪ちゃんが満足そうに頰を緩めて。
「また絶対来ようね! 今度はもっと高い皿ばっかり頼んじゃおうかな~」
イドロがぱちんと手を合わせて。
「次は赤貝とホタテと……リスト作っておきます!」
俺が苦笑いで車のカギを回す。
「じゃあそろそろ解散だな。俺と雪ちゃんと彰はこっちの車で」
陽介が助手席のドアをぱたんと開けて、イドロに目配せ。
「……お前、乗れよ。荷物もあるし」
イドロがぴょこんと飛び乗って、シートベルトをカチリ。
「陽介様、今日は本当にありがとうございました!」
陽介は照れ臭そうに鼻を掻いて、ぶっきらぼうに。
「……別に。腹減ってただけだろ」
でも、俺たちにはバレバレだ。
助手席のイドロをチラチラ見ながら、口元が完全に緩んでる。
雪ちゃんが陽介の車の窓をノックして、小声で。
「イドロ、夜中まで騒いだりしないでね? ちゃんと寝なさい」
「はーい! 雪様もお気をつけて!」
彰が手を振る。
「陽介、明日から本格的に同居生活だな。頑張れよ~」
「うるせー! 俺はただ預かってるだけだからな!」
俺が運転席から身を乗り出して、最後に声をかける。
「おう、陽介。なんかあったらすぐ連絡しろよ。……マジで」
陽介がちょっとだけ真面目な顔になって、軽く手を上げた。
「……ああ。わかってる」
エンジン音が二つ、雪の中に響く。
俺の車と陽介の軽ワゴンが、ゆっくりと反対方向へ。
雪が降りしきる夜道。
二つのテールランプが、静かに遠ざかっていく。
新しい日常が、確実に始まっていた。
俺たちはそれぞれの家へ。
陽介とイドロは、北摩市へ。
雪はまだ降り続いていて、街を白く染めていく。
──
そして、深夜1時過ぎの北摩市 多摩バウンダリー 喫茶店如月。
玄関の鍵を開けて中に入ると、部屋は真っ暗だった。
「……着いたぞ。ほら、降りろ」
陽介がぼそりと呟くが、助手席のイドロはもうすっかり寝息を立てている。
「…………おい」
肩を軽く揺すっても、ぴくりとも動かない。
金髪がシートに広がって、赤いリボンが少し崩れている。
「……マジかよ。寝てるのか」
ため息をつきながらも、陽介はそっとシートベルトを外し、イドロを抱き上げる。
「……意外と軽いな、お前」
部屋に明かりをつけずに、廊下の常夜灯だけを頼りにベッドへ運ぼうとしたが、
自分のベッドはシングルだし、そもそも明日からどうするかも決まってない。
仕方なく、イドロを自分のベッドにそっと横たえる。
イドロは小さく「ん……」と寝返りを打ち、頬をクッションにすり寄せる。
陽介は冷蔵庫からペットボトルの水を取り、自分の喉を潤してから、
「……ったく、俺が寝る場所ねぇじゃん」
結局、自分はソファーの端に腰掛けたまま、上着を脱いで丸くなり、
「……五分だけ……」
と言い目を閉じた。
数分後。
カチャリ、という小さな音。
イドロが目を覚ましたらしい。
薄暗い部屋の中、彼女はゆっくりと起き上がり、ソファーに丸まって寝ている陽介を見つめる。
「……陽介様」
小声で呼びかけても、返事はない。
すうすうと規則正しい寝息だけが聞こえる。
イドロは静かに立ち上がり、ベッドから薄い毛布を引っ張ってきた。
そして、ソファーの横に膝をつき、見つめた。
「もう少し、ここで見守るであります」
外はまだ雪が降っている。
部屋の中は、静かで、ほんのり温かい。
新しい同居生活の、最初の夜は、
そんなふうに過ぎていった。