RECORD

Eno.1461 篠崎 駿の記録

Love You

昨日は色々あったけど、松葉市の朝は、十一月の冷たい霧に包まれていた。

俺の部屋の窓から見える湖面は、灰色に霞み、遠くの山がぼんやりと浮かぶ。スマホを握りしめ、雪ちゃんのメッセージを何度も読み返す。

『おはよう。今日も寒いね』

シンプルな言葉。でも、返信に指が止まる。好きだって言ったのに、どう接すればいい? 昔みたいに「雪ちゃん」って呼ぶだけでいいのか? それとも、もっと……恋人らしく?

結局、悩みに悩んでメッセージを書いた。

『おはよう。うん、寒いね……あのさ、今日、商店街行かない? 散歩がてら』

これでいいのかと何度も思いながらも送信ボタンを押した。こんなメッセージでいいのかと胸がざわつく。

雪ちゃんはすぐに返事を送った。

『いいよ! 待ってる』

よし。決まりだ。

午後一時、駅前の待ち合わせ場所。俺はコートを羽織り家を出た。

父さんはまだ帰ってきていない、それほど忙しいという事だろう。

駅から商店街へ向かう道は、落ち葉が積もり、足音が柔らかく響く。雪ちゃんは、ベンチに座って待っていた。

翠色の髪をポニーテールにまとめ、タートルネックにスカート、コートを羽織ってる。頰が少し赤い待たせてしまったのだろうか

「あ、駿君」

雪ちゃんが立ち上がる。俺は近づき、軽く手を上げる。

「待たせた?」

「ううん、今来たところ」

並んで歩き出す。商店街は、昔と変わらず賑やかだ。魚屋の威勢のいい声、八百屋の新鮮な野菜の匂い。

子供たちが自転車で駆け抜け、落ち葉を巻き上げる。でも、俺たちの間には、微妙な距離がある。

肩が触れそうで触れない。手を繋ごうか迷う。告白したのに、こんなにぎこちないなんて。

「なんか……変だよね」

雪ちゃんがぽつり。視線を前へ向け、息が白い。

「うん。俺も、正直、どう話せばいいか分からなくて」

正直に言うと、雪ちゃんがくすっと笑う。

「私も。好きだって言ったのに、急に恥ずかしくなっちゃって」

「そうだよな……優のこともあるし」

名前を出したら、雪ちゃんの歩みが少し遅くなる。俺も止まる。商店街の喧騒が、遠く聞こえる。

「優ちゃんのこと、忘れられないよね。でも……それでいいんだと思う。私たち、優ちゃんの分まで生きなきゃ」

雪ちゃんの言葉に、胸が熱くなる。俺は頷き、そっと手を差し出す。

雪ちゃんが瞬き、それから……握り返す。温かい。指が絡む。心臓の音が、耳に響く。

手を繋いだまま、歩き出す。

奥へ進むと、喫茶店の看板が見えた『松葉珈琲』

父さんの知人の溝口 修二郎さんの店だ。古い木の扉、ガラス窓に映る俺たち。

「ここ、入ろうか」

「うん」

扉を開けると、ベルが鳴る。店内は温かく、コーヒーの香りが広がる。

カウンターに溝口さんがいて、豆を挽いてる。客は数人、静かなジャズが流れる。

「お、駿じゃないか。久しぶりだな」

溝口さんが顔を上げ、目を細める。俺と雪ちゃんを見て、にやり。

「雪ちゃんも一緒か。久しぶりだな」

「溝口さん、お久しぶりです」

「史彦から聞いてたぞ。付き合ってるんだって?お二人さん」

「ち、違うよ。いや……まあ」

雪ちゃんが慌てて手を離す。俺も赤面。溝口さんが笑う。

「座れ座れ。オススメは今日のブレンドだ。松葉産の豆、苦味が効いてるぞ」

カウンター席に並んで座る。溝口さんがカップを置く。湯気が立ち上り、香ばしい。

「溝口さん、父さんって…今、何やってるんです?」

「アイツは相変わらずだよ。事件ばっかで、コーヒー飲む暇もないってさ」

雑談が始まる。溝口さんは、昔の話を振る。俺が子供の頃、父さんと一緒に店に来て、アイスコーヒーこぼした話。

そして、ふと雪ちゃんを見て、懐かしそうに呟く。

「そういえば、美咲先生とは……もう大分前か」

雪ちゃんが瞬きする。俺も耳を傾ける。溝口さんは豆を計りながら、遠い目で語り始めた。

「俺がこの店を開いた頃。美咲先生はまだ研修医でな、夜勤明けにフラッと入ってきて『コーヒー、濃いの』って。疲れきった顔してたけど、笑顔が綺麗でさ」

雪ちゃんが小さく微笑む。母親の若い頃の話なんて、初めて聞いたのだろう。

「それから、毎週のように来るようになった。夜勤の帰りに、コーヒー飲んで、愚痴聞いてやって…」

溝口さんが苦笑い。カップを拭く手が、ゆっくりと止まる。

店内が静かになる。ジャズのサックスが、優しく流れる。

「父さんのことも聞きたいな」

俺が言うと、溝口さんが頷き、カウンターに肘をつく。遠い目で、ゆっくりと語り始めた。

「史彦か…あいつは昔から真っ直ぐだった。中坊の頃、俺は不良でさ。あいつともよく喧嘩したよ」

雪ちゃんが瞬きする。俺も初めて聞く話だ。

「それから、俺が店開く時、史彦が借金の保証人になってくれた。そこからあいつの愚痴聞いてやったりとかしてな…」

溝口さんがカップを置く。湯気が立ち上る。

差し出されたカップを雪ちゃんがカップを両手で包み一口飲んだ。

「美味しいです…」

溝口さんが目を丸くして、照れ臭そうに髭を掻く。

「ハハッ、そりゃあ嬉しいな」

俺と雪ちゃんは顔を見合わせて笑う。ぎこちない空気が、少し溶ける。

「二人とも、どうしたんだ? なんか、ぎこちないな」

「……告白したんですけど、どう接すればいいか分からなくて」

俺が言うと、溝口さんが頷く。

「そりゃ、最初はそうだ。俺も…まあ、昔はな。でもよ、時間をかけろ。自然に、昔みたいに」

雪ちゃんが小さく頷く。

「私たち、幼馴染だから…それが恋人になるって、変な感じで」

「変じゃないさ、告白したって事はお互いに好きだったわけだ。あとは時間の問題だよ」

溝口さんの言葉に、俺たちは笑い合う。

コーヒーを飲み終え、外へ出る。商店街の空は茜色。手を繋ぎ直す。自然に。

「また、来よう」

「うん。溝口さん、優しいね」

夕陽が水平線に溶け、街灯がぼんやりと灯り始める。商店街の喧騒は遠のき、落ち葉が風に舞う。俺たちは並んで歩き出す。

駅へ向かう道。手を離さない。指が絡んだまま、温かい。

「今日は……楽しかった」

雪ちゃんがぽつり。俺も頷く。

「うん。俺も楽しかった」

沈黙が落ちる。でも、それは心地いい沈黙だ。足音が揃い、息が白く混じる。

駅が近づく。改札の前で立ち止まる。雪ちゃんが俺のコートの袖を、そっと引いた。

「ねえ、駿君……」

「ん?」

雪ちゃんが顔を上げる。夕陽が頰を染め、翠色の髪が風に揺れる。瞳が潤んで、星みたいに瞬く。

「日曜日……空いてる?」

「空いてるけど…どうした?」

雪ちゃんが一歩近づく。距離が縮まる。息がかかるくらい。彼女の指が、俺の手の中で小さく震える。

「一緒に……お洋服、買いに行かない?」

声が小さくて、甘くて。俺の胸が、どきりと鳴る。

「商店街のブティックとか、ヨウコウとか……私、駿君と、もっとお揃いのもの、着たいなって」

雪ちゃんの瞳が、俺をまっすぐ捉える。頰が赤い。恥ずかしそうに、でも、決して目を逸らさない。

雪ちゃんが俺の手に、ぎゅっと力を込める。指が絡み、離れない。

俺は彼女の手を、両手で包む。温かい。震えが伝わる。

「良いよ、行こう。俺も雪ちゃんと同じ気持ちだから」

雪ちゃんが小さく頷く。涙がまた溢れる。でも、笑ってる。

「じゃあ……日曜の朝、十時に駅前で」

「ああ。待ってる」

雪ちゃんがつま先立ちになる。俺の首に、そっと腕を回す。唇が、頰に触れる。冷たい。でも、すぐに熱くなる。

「……大好き」

耳元で囁く。息が甘い。俺も、彼女の腰に手を回す。ぎゅっと抱き寄せる。

「俺も」

離れる。雪ちゃんの瞳が、濡れてる。俺は指で、涙を拭う。

「じゃあ…また今度だね」

雪ちゃんが手を振って改札へ。振り返る。もう一度、笑う。俺も手を上げる。

背中が小さくなるまで、見送る。

俺はスマホを取り出し、陽介にメッセージを送った。

『日曜、雪ちゃんとデート』

すぐに返信。

『えぇーマジィ!?でも楽しんでこいよ!!』

そのメッセージを見て思わず俺は笑い、夜の道を歩き出す。

これからだ。優の笑顔と、雪ちゃんの弁当と、父さんの背中と、母さんの記憶と。

全部抱えて、歩いていく。