RECORD
Eno.1461 篠崎 駿の記録
Interaction
休日の朝、俺はいつもより三十分遅く目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光が強くなっている。十一月の終わりなのに、今日は珍しく風が穏やかだ。
冷蔵庫に残っていた卵で目玉焼きを作り、父さんの分のコーヒーも淹れて、メモを一枚冷蔵庫に貼る。
『昼までには帰ってくる』
自転車に跨り、坂を下る。潮の匂いが鼻をくすぐる。学童は日曜だから休み。
どこか行きたい場所はないかとペダルを踏みながら考えるうち、足は自然と「みつばち堂」に向いていた。
昔からある小さな駄菓子屋。四人でよく来たな。
ガラス戸を開けると、チリンチリンと鈴が鳴る。
「おっ、駿ちゃんじゃないか。久しぶりだねぇ」
店のおばちゃんが笑顔で迎えてくれる。もう七十は超えているはずなのに、腰はシャキッとしてる。
カウンターの奥で、聞き覚えのある声がした。
「ねえ、あの十円のラムネ、全部買っちゃおうよ」
振り返ると、そこにいたのは──
広斗、武、透の三人だった。
広斗は棚の前で両手に駄菓子を抱え、武は眼鏡を上げながら値札を真剣に見つめ、透は少し離れたところでうろうろしている。
「お前ら、どうしてここに?」
俺が声をかけると、広斗がぱっと振り向いた。
「篠崎兄さん!」
三人が同時に駆け寄ってくる。広斗は俺の腕にしがみつき、武は照れ臭そうに後ろで立ち止まり、透は小さく手を振った。
「お兄さんも駄菓子好きなんだ!」
「まあな。昔からここに来てたんだよ」
おばちゃんがニコニコしながら言った。
「この子たち、最近よく来るようになったんだよ。広斗くんが『新しいお兄さんが来てから学童が楽しい!』って自慢しててね」
広斗が得意げに胸を張る。
「だって本当だもん! 篠崎兄さんが来てから、毎日楽しいんだもん!」
俺は苦笑いしながら、棚を見回した。
「で、何買うんだ?」
武が小声で言った。
「……俺、五十円しかないんだ」
透もポケットから小銭を出して、恥ずかしそうに並べる。
「僕、四十二円……」
広斗だけが百五十円札を握りしめていたが、それでも三人分の欲しいものは足りそうにない。
俺は財布から千円札を出した。
「今日は俺のおごりだ。好きなの選べ」
三人の顔がぱっと明るくなる。
「ほんと!?」「やったー!」「……ありがとうございます」
しばらくして、四人で店の前のベンチに座り、駄菓子を広げていた。
広斗は美味棒を十本まとめ食いし、武はストロングカツを丁寧に半分に割り、透はラムネを一つずつ大事に口に運んでいる。
風が心地よく、遠くで波の音がする。
ふと、武がぽつりと言った。
「……お兄さんは、お母さんと仲いい?」
急な質問に、俺は少し驚いた。
「まあ、昔はな。俺が小さい頃に亡くなったけど」
三人が同時に俺を見上げる。
広斗が口をへの字にした。
「え……ごめん」
「いいよ。もうだいぶ前だから」
武が眼鏡を外して、膝の上で弄びながら続けた。
「俺……お母さんと、うまく話せないんだ」
透が隣で小さく頷いた。
「僕も……お父さん、仕事ばっかりで」
広斗だけが少し離れたところで、空を見上げていた。
「俺は、お母さん大好きだけど……でも、時々怒鳴られると、なんか怖くなっちゃう」
三人の声が、駄菓子のパッケージをカサカサ鳴らす音に混じる。
俺はゆっくりと口を開いた。
「俺もさ、前、父さんと全然口きかなかった時期があったよ」
三人が驚いたように俺を見た。
「父さん、帰りは遅いし、帰ってもすぐ寝ちゃって、俺、八つだったから、父さんとどう接すれば分からなくてね」
風が少し強くなった。
「でも、ある日父さんが俺の部屋に来て、何も言わずに母さんの写真見て泣いてて、それ見て、初めて気づいたんだ。父さんも、悲しんでたんだって」
武が小さく呟いた。
「……俺も、時々お母さんの部屋の前通ると、泣いてる声がする」
透が続けた。
「僕もお父さんのスーツのポケットに、僕の写真入ってるの見たことある」
広斗が急に立ち上がった。
「俺、明日からもっとお母さんに『ありがとう』って言おうかな」
俺は微笑んだ。
「いいと思うよ」
「武も……少しずつでいいから、お母さんと話してみたら?」
武が眼鏡をかけ直して、小さく頷いた。
「……うん」
透が笑顔を見せた。
「お兄さん、来週の学童も来るよね?」
「ああ、約束だ」
広斗が俺の腕にまたしがみついてきた。
「ずっと来ててよ! 篠崎兄さん、俺たちのヒーローだもん!」
駄菓子を食べ終わり、三人は自転車のカゴに乗り、それぞれの家へ帰る。
「じゃあね、お兄さん!」
「また来週!」
「……ありがとうございました」
三人の背中が坂を下っていく。
俺はしばらくベンチに座り、空を見上げていた。
十二月の空は高くて、遠くでカモメが一羽、ゆっくりと輪を描いている。
(母さん……見ててくれるかな)
風が優しく頰を撫でた。
駄菓子屋の鈴が、チリンチリンとまた鳴った。
きっと、あれは三人の笑い声の残り響きだ。
冷蔵庫に残っていた卵で目玉焼きを作り、父さんの分のコーヒーも淹れて、メモを一枚冷蔵庫に貼る。
『昼までには帰ってくる』
自転車に跨り、坂を下る。潮の匂いが鼻をくすぐる。学童は日曜だから休み。
どこか行きたい場所はないかとペダルを踏みながら考えるうち、足は自然と「みつばち堂」に向いていた。
昔からある小さな駄菓子屋。四人でよく来たな。
ガラス戸を開けると、チリンチリンと鈴が鳴る。
「おっ、駿ちゃんじゃないか。久しぶりだねぇ」
店のおばちゃんが笑顔で迎えてくれる。もう七十は超えているはずなのに、腰はシャキッとしてる。
カウンターの奥で、聞き覚えのある声がした。
「ねえ、あの十円のラムネ、全部買っちゃおうよ」
振り返ると、そこにいたのは──
広斗、武、透の三人だった。
広斗は棚の前で両手に駄菓子を抱え、武は眼鏡を上げながら値札を真剣に見つめ、透は少し離れたところでうろうろしている。
「お前ら、どうしてここに?」
俺が声をかけると、広斗がぱっと振り向いた。
「篠崎兄さん!」
三人が同時に駆け寄ってくる。広斗は俺の腕にしがみつき、武は照れ臭そうに後ろで立ち止まり、透は小さく手を振った。
「お兄さんも駄菓子好きなんだ!」
「まあな。昔からここに来てたんだよ」
おばちゃんがニコニコしながら言った。
「この子たち、最近よく来るようになったんだよ。広斗くんが『新しいお兄さんが来てから学童が楽しい!』って自慢しててね」
広斗が得意げに胸を張る。
「だって本当だもん! 篠崎兄さんが来てから、毎日楽しいんだもん!」
俺は苦笑いしながら、棚を見回した。
「で、何買うんだ?」
武が小声で言った。
「……俺、五十円しかないんだ」
透もポケットから小銭を出して、恥ずかしそうに並べる。
「僕、四十二円……」
広斗だけが百五十円札を握りしめていたが、それでも三人分の欲しいものは足りそうにない。
俺は財布から千円札を出した。
「今日は俺のおごりだ。好きなの選べ」
三人の顔がぱっと明るくなる。
「ほんと!?」「やったー!」「……ありがとうございます」
しばらくして、四人で店の前のベンチに座り、駄菓子を広げていた。
広斗は美味棒を十本まとめ食いし、武はストロングカツを丁寧に半分に割り、透はラムネを一つずつ大事に口に運んでいる。
風が心地よく、遠くで波の音がする。
ふと、武がぽつりと言った。
「……お兄さんは、お母さんと仲いい?」
急な質問に、俺は少し驚いた。
「まあ、昔はな。俺が小さい頃に亡くなったけど」
三人が同時に俺を見上げる。
広斗が口をへの字にした。
「え……ごめん」
「いいよ。もうだいぶ前だから」
武が眼鏡を外して、膝の上で弄びながら続けた。
「俺……お母さんと、うまく話せないんだ」
透が隣で小さく頷いた。
「僕も……お父さん、仕事ばっかりで」
広斗だけが少し離れたところで、空を見上げていた。
「俺は、お母さん大好きだけど……でも、時々怒鳴られると、なんか怖くなっちゃう」
三人の声が、駄菓子のパッケージをカサカサ鳴らす音に混じる。
俺はゆっくりと口を開いた。
「俺もさ、前、父さんと全然口きかなかった時期があったよ」
三人が驚いたように俺を見た。
「父さん、帰りは遅いし、帰ってもすぐ寝ちゃって、俺、八つだったから、父さんとどう接すれば分からなくてね」
風が少し強くなった。
「でも、ある日父さんが俺の部屋に来て、何も言わずに母さんの写真見て泣いてて、それ見て、初めて気づいたんだ。父さんも、悲しんでたんだって」
武が小さく呟いた。
「……俺も、時々お母さんの部屋の前通ると、泣いてる声がする」
透が続けた。
「僕もお父さんのスーツのポケットに、僕の写真入ってるの見たことある」
広斗が急に立ち上がった。
「俺、明日からもっとお母さんに『ありがとう』って言おうかな」
俺は微笑んだ。
「いいと思うよ」
「武も……少しずつでいいから、お母さんと話してみたら?」
武が眼鏡をかけ直して、小さく頷いた。
「……うん」
透が笑顔を見せた。
「お兄さん、来週の学童も来るよね?」
「ああ、約束だ」
広斗が俺の腕にまたしがみついてきた。
「ずっと来ててよ! 篠崎兄さん、俺たちのヒーローだもん!」
駄菓子を食べ終わり、三人は自転車のカゴに乗り、それぞれの家へ帰る。
「じゃあね、お兄さん!」
「また来週!」
「……ありがとうございました」
三人の背中が坂を下っていく。
俺はしばらくベンチに座り、空を見上げていた。
十二月の空は高くて、遠くでカモメが一羽、ゆっくりと輪を描いている。
(母さん……見ててくれるかな)
風が優しく頰を撫でた。
駄菓子屋の鈴が、チリンチリンとまた鳴った。
きっと、あれは三人の笑い声の残り響きだ。