RECORD

Eno.1461 篠崎 駿の記録

追憶⑤-Cry Wolf

裏の世界の雪は、まるで生き物のように絶え間なく降り続いていた。

白い息が瞬時に凍り、踏みしめた足跡はあっという間に消えていく。

冷たい風が頬を削り、視界の端を白く染め上げる。

崩れかけた鳥居が並ぶ参道を、俺たちは彰の気配を頼りに進んだ。風が獣のように唸り、遠くで狼の遠吠えのような音が響く。

「……あれ、彰の声じゃないか?」

陽介が足を止め、耳を澄ました。風に乗って、掠れた泣き声のようなものが確かに聞こえてきた。

「うぇぇん……やだよ……やだよぉ……」

幼児の駄々っ子のような、甘ったるくてどこか粘ついた泣き声だった。

ため息が聞こえた。すぐに、呆れたような声が続いた。

「はぁ……何度言わせれば分かるんだい。君は何故僕の姿をしてるのか、何故この世界が存在してるのか──ただそれを言えばいいもの」

振り向いた先、すぐ横に彰本人が立っていた。

本物の彰は眉を寄せ、深いため息をついている。腕を組み、影の自分に冷ややかに語りかける。

「彰!」

雪が駆け寄ろうとした瞬間、俺たちも続いた。

「みんな、ちょうどいいところに来てくれた」

彰は俺たちを見て、ほっとしたように肩の力を抜いた。同時に、もう一度深いため息。

「この子の相手に、ほとほと参っていたところだったんだ」

彰は影に背を向け、俺たちの方へ歩み出す。すると影は泣きじゃくりながら、甲高い声で叫んだ。

「やだぁ!やだ、やだ、行かないで!!」

「君と話しても無意味だ。君が僕と雪を襲ったのは気がかりだけど……どうせ何も話さないだろう?」

彰は冷たくあしらう。

影は顔をぐしゃぐしゃに歪め、まるで三歳児のように地面を踏み鳴らした。

「なぁんで?なんで僕だけこんなに我慢しなくちゃいけないの!?どぉしてみんな僕のこと褒めてくれないの!?」

彰はわずかに眉を吊り上げた。

「僕と同じ顔……まるで僕だとでも言いたげだね。でも、君と僕とじゃ──」

言いかけた言葉を、影が鋭く遮った。

「何を誤魔化してるんだい?お前は僕だよ」

さっきまでの子供じみた仕草が、がらりと変わる。声が氷のように冷たくなった。

「子供の仕草は演技なんかじゃない。お前の本当の姿だ」

「だって、みんなお前に言うだろ? 『子供のくせに』って」

彰の肩が小さく跳ねた。

「どれだけ事件を解決しても、大人たちは言うんだ。『子供のくせに生意気だ』って……」

「大人がお前に求めてるのは“頭”だけ。誰もお前の本心なんて興味ない」

「“名探偵”扱いされるのも、お前の頭が欲しいから。事件が片付いたら『子供は帰れ』だ」

「世の中の二枚舌に、お前は何もできない。ただの“子供”だよ」

陽介が声を張った。

「彰!乗せられんな!そいつはただのまやかしだ!」

影は再び泣き顔に戻り、涙をぽろぽろこぼしながら訴える。

「僕、大人になりたい……誰にも認められる、カッコいい大人の“男”になりたい……そしたらみんな僕を認めてくれる……ちゃんと見てくれる……僕がいてもいい理由になってくれる……」

彰の瞳が揺れた。

「やめろ!!自分が存在してもいい意味なんて、自分で考えればいい!!」

影は冷たく笑う。

「無理だって言ってるだろ。今この瞬間も子供である現実をお前はどうする?」

彰は後退り、声が震えた。

「や、やめろ……」

影は追い打ちをかけるように、甘く、残酷に囁いた。

「本心じゃ憧れてるんだろ?小説の探偵みたいな、強くてかっこいい“大人”に。でもそれは裏を返せば、心の奥で自分を子供だと認めてるってことだ」

「認めなよ。お前はただの子供なんだ。自分じゃ何もできない、ただの子供なんだよ。葉隠“彰”くん?」

彰は唇を震わせた。

「やめろ!僕はそんな……そんな……」

だが言葉は続かない。反論できない彰を見て、影がニヤリと笑った。

「葉隠“アキラ”……男らしくていい名前だよな」

その瞬間、俺たちは凍りついた。

「でも、事実は変えられない。性別の壁を超えることなんて不可能だからな」

「そもそも、オトコじゃないのにかっこいい男になれるわけないんだよ」

陽介が唖然として呟いた。

「え……ちょ、あいつとんでもないこと言ったぞ……」

俺も掠れた声で続けた。

「男じゃないって……」

雪が目を大きく見開いた。

「彰が……女の子……?」

影は俺たちの反応を見て、鼻で笑った。

「君のお友達も驚いてるよ。当然だ。何十年も一緒にいたのに気づかなかったんだから」

彰は影から目を逸らし、小さく呟いた。

「駄々をこねてるつもりはない……それじゃ何も解決しない……」

影は高らかに笑った。

「それは言われた言葉じゃないか!『いつまでも駄々こねてたら解決しないよ、アキラくん』って!!」

「あの時、お前泣いてたよな? 自分の口から言うなんて、どういう風の吹き回しだ?」

彰は動揺から足を滑らせ、雪の上に尻餅をついた。

影が見下ろし、愉しげに笑う。

「ふふ……まだ誤魔化すつもりかい? アキラ」

彰の顔が、雪よりも白くなった。

影はゆっくりと近づき、彰の耳に唇を寄せる。吐息が凍り、言葉だけが熱を帯びて突き刺さる。

「それに、本当はそれとは別に…お前はずっと願ってたんだろ?」

彰の肩がびくりと震えた。

「そう、“雪”みたいに……なりたかったんだろ?」

一瞬、風が止んだ。

雪が、陽介が、俺が──全員が息を呑んだ。

影は満足げに舌打ちし、続ける。

「普通の、ただの女の子として生まれたかった。スカートをはいて、ただの“可愛い女の子”として、誰かに守られて、甘えて、泣いたって許されて…そうやって、楽に生きてみたかった」

彰の瞳が大きく見開かれた。

「違う……!」

掠れた声が漏れる。それは否定というより、喉の奥から引き裂かれる悲鳴だった。

影はさらに一歩踏み込み、心臓を抉るように囁いた。

「認めたくないんだろ?カッコいい“大人の男”になりたいって思ってるくせに、本当は全部投げ出して、雪みたいなただの“女の子”になりたくてたまらないんだろ?」

彰の手が雪を掴んだ。指先が震え、白くなる。

「やめろ……やめろっ……!」

「ほら、また駄々っ子みたいに泣きそうじゃないか……可愛いね、アキラ。普通の女の子らしくて」

影は彰の頬に手を伸ばす。

彰はそれを払おうとしたが、力が入らず、指先が空を掻いただけだった。

「お前はどっちも欲しくて、どっちもなれなくて、ずっと自分で自分を食い殺してる。カッコいい男になりたいって思えば思うほど、雪みたいな普通の女になりたいって本音が疼く。矛盾したまま、永遠に」

影は最後に、優しく、残酷に微笑んだ。

「お前は結局、僕みたいに泣いてるしかないんだよ」

彰の目から、ぽろりと涙がこぼれた。

それはすぐに雪に吸われ、跡形もなく消えた。

まるで、最初から存在しなかったかのように。

影は囁くように言った。

「駄々をこねたまま、一歩も動けずにいる。君の気持ちはわかるよ……」

耳元で、甘く。

「だって、君は僕なんだから」

彰は思わず影を突き飛ばした。

「違うっ!!僕は!!」

雪が叫ぶ。

「彰!駄目、言っちゃ!!」

影は笑いながら誘う。

「そうさ、我慢せずに言えよ。僕はお前なんかとは違うって……言えよ、言ってみなよ!!」

彰の喉が震えた。

「お前は……お前は……」

影が甘い毒を塗ったように微笑む。

「言えよ、『お前なんか僕じゃない』って。そう言えば楽になれるだろ?」

彰の瞳が揺れ、涙が頬を伝う。

雪が必死に叫ぶ。

「彰、ダメ!言ったら──」

だが、彰の唇は震えながら開いた。

「……違う」

掠れた声だった。

「僕は……お前なんかじゃ……」

彰は泣き腫らした顔を上げいった。

「お前なんか!僕じゃない!!!」

その瞬間、影の目が、狂おしく輝いた。

「そう、それでいい!!」

言葉が最後まで出る前に、世界が歪んだ。

影の身体が、音を立てて割れ始めた。

最初に裂けたのは顔だった。

彰と同じ輪郭のまま、口が耳まで裂け、無数の牙が覗く。

制服が弾け飛び、灰色の毛皮が雪のように舞い上がる。

両腕は肘から先が黒鉄の銃身へと変形し、銃口から熱を帯びた黒煙が漏れた。

背中から腰まで、真っ黒な長髪が滝のように噴き出し、狼の耳と尾が雪を蹴って立つ。

だが、それはただの狼ではない。

巨躯で、頭部から伸びる長髪は女の髪のように艶やかに揺れ、両腕の銃は淫靡な曲線を描いている。

矛盾そのものが形を得た、異形の狼だった。

狼は銃を鳴らして笑った。

「やっと出てこれた。見なよ、もう一人の僕。これが本当の君だよ」

声はもう子供っぽくも冷たくもない。

甘く、艶やかな女の声だった。

雪が後ずさる。

「……彰……?」

狼はゆっくりと首を振った。

長い黒髪が雪を撫でるように舞う。

「違う違う。私はもうそこにいるホンモノさんなんかじゃない。私は、ホンモノさんが一番怖がって、一番欲しかった──『どっちでもない自分』」

一歩踏み出すたび、雪が凍り、地面が軋んだ。

「カッコいい男になりたいって叫びながら、スカート履いて誰かに甘えたかったんでしょ?名探偵なんて呼ばれて嬉しかったくせに、『ただの女の子』って呼ばれたかったんでしょ?」

鉄砲の銃口が、彰を──本物の彰を──正確に捉える。

「どっちも欲しくて、どっちも諦めきれなくて、自分で自分を食い殺してた。だから僕は生まれた」

陽介が歯を食いしばった。

「てめぇ……!」

陽介がクレイオスを呼び出そうとするが、雷は微かに瞬くだけで形を成さない。

駿もハイペリオンを呼ぶが、炎は灯台の火のように小さく揺れるだけ。

狼は微笑んだまま首を振る。

「無駄だよ。君たちのアルターなんて、私の前じゃ玩具同然なの」

狼が舌なめずりした。

「さあ、どうする?ホンモノさん?」

銃口を彰に向けたまま、艶やかに笑う。

「このまま私が撃っちゃえば楽になれるよ?永遠に泣いてるだけの子供でいられる」

彰は膝をついていた。

雪に濡れた手が震え、唇を噛んでも声が出ない。

狼は残念そうに舌打ちした。

「ちぇっ、つまんないの。なーんにも言わないんだ」

視線を俺たちに移し、ギロリと睨む。

「それじゃ、先にお仲間さんたちを痛ぶっちゃおっかな」

言葉と同時に、狼の鉄砲が火を噴いた。

黒い弾丸が雪を抉り、俺と陽介を吹き飛ばす。

雪が懸命にアシストするが、蝶のように舞う黒弾は雪の肩を裂いた。

「雪ちゃん!!」

ひたすらに這いずって雪ちゃんに駆け寄る。

陽介も歯を食いしばり立ち上がるが、次の弾丸が再び二人を薙ぎ払う。

彰はただ、それを見ていた。

何もできない自分を、ただ見ていることしかできない。

「彰……助けて……!」

雪の掠れた声が、胸を抉る。

助けたい。

でも、どうすれば?

男として守りたい。

でも、自分は男じゃない。

女の子として守られたい。

でも、そんな資格はない。

どっちも欲しくて、どっちも諦めきれなくて、ずっと自分を殺してきた。

もう、いいや。

彰はゆっくりと立ち上がった。

震える足で、狼の前に歩み出る。

「……撃てよ」

狼が目を細める。

「え?なになに?なんて?」

「撃てって言ってるんだ」

彰は自分の胸を指差した。

「どうせ僕は矛盾したままで、誰の役にも立てない。だったら、いっそ消えてしまえばいい」

「僕が死ねば……お前も消えるんだろ?」

狼が笑みを深めた。

「ふふ、本気なの?」

彰は目を閉じた。

「本気だよ。僕なんかいなくなれば、みんな楽になる」

駿が叫ぶ。

「やめろ彰!!」

陽介も血を吐きながら叫ぶ。

「馬鹿野郎!死ぬんじゃねぇ!!」

雪が涙を流しながら首を振る。

「お願い……死なないで……!」

彰は微笑んだ。涙が頬を伝い、雪に落ちて赤い花を咲かせる。

「ごめん。僕、もう疲れたんだ」

狼が銃口を彰の額に押し当てる。

「いいよ、じゃあね、ホンモノさん」

引き金が引かれる寸前──

彰の握り締めた拳から、ぽたぽたと血が落ちた。

悔しさと無力感で爪が掌を抉り、血が滲む痛みさえ感じない。

その血が雪に染みた瞬間。

──ようやく気づいたか?

冷たく、しかしどこか優しい女の声が、頭の奥に響いた。

彰は目を見開いた。

「誰だ……?」

声は再び、静かに告げた。

「お前は今まで、自身の真実から目を背け、蔑ろにしてきた。男でありたいと願いながら、女として生きることを恐れ、女として甘えたいと願いながら、それを弱さと決めつけた」

「自らの真実を否定し続けた罪人──それがお前だ」

だが、すぐに優しく続けた。

「しかし、汝が自らの偽りを捨て、自身の真実から目を背けないと誓うとき、我は汝に力を貸そう」

彰は震えた。

「……僕に、力が?」

「そうだ。矛盾を抱えたまま、それでも立ち上がる力。自らを裁き、自らを赦す力」

彰は血塗れの手を開いた。

掌の傷が、痛い。

でも、その痛みが、今初めて自分のものだと感じた。

「……僕は」

声が震える。でも、確かに言葉を紡ぐ。

「僕は、生きる!そして、矛盾したままの自分からもう逃げたくない!!」

声の主は、彰の覚悟を聞き届けた。

「よかろう。我が力、我が名と共に発するがいい」

彰は血塗れの手を天に掲げ、叫んだ。

「来い──テミス!!」

その名と共に、白と黒の光が爆ぜた。

巨大な天秤が雪を裂き、出現する。

白いドレスと黒いマントを翻し、冷たくも美しい女神の姿をしたアルターが、彰の背後に静かに佇んだ。

「我が名は正義を司りし者、テミスなり。さぁ、汝よ。今こそ自身の影を討て!!」

光が収まったとき、彰はもう膝をついていなかった。

テミスが背後に控え、天秤が静かに揺れている。

その瞳は冷たく、しかしどこか哀しげに、異形の狼を見据えていた。

狼が、初めて笑みを消した。

「……ふん。やっと本気になった?」

甘い女の声に、わずかな焦りが混じる。

彰はゆっくりと歩み出す。

雪が足下で軋むたび、掌の傷が疼いた。それが心地よかった。

「僕は……もう逃げない」

掠れた声だったが、確かに届いた。

「男として生きたいと思ったことも、女として甘えたいと思ったことも、全部僕だ」

「どっちも欲しくて、どっちも諦めきれなくて、自分を殺してきたのも僕だ」

狼が銃口を向ける。

だが、彰は止まらない。

「お前は僕の“逃げ”続けた結果だ。認めたくない自分を、外に吐き出しただけの……影」

テミスの天秤が、かすかに鳴った。

「だから、もう終わりだ」

狼が怒りに顔を歪め、両腕の銃を一気に連射する。

黒い弾丸が雪煙を上げて迫る。

だが彰は右手を掲げた。

天秤が激しく傾き、雷が弾丸を呑み込む。

全ての軌道が歪み、弾丸は互いに激突して粉々に砕け散った。

狼が目を見開く。

「なっ……!?」

彰はさらに一歩進んだ。

もはや、今の彼女に恐怖という概念は存在しなかった。

「お前の能力は“否定”だろ?相手の心の矛盾を暴いて、アルターの力を封じる」

「でも、もう効かない」

狼が後退る。

長い黒髪が雪に絡まり、狼の尾が怯えたように震えた。

「なぜだ……なぜ、僕の力が……!」

光が狼を貫いた瞬間──彰は叫んだ。

「みんな、今だ!!」

影の能力が完全に崩れた。

狼の身体がひび割れ、灰色の毛皮が雪のように剥がれ落ちる。

その隙を、誰も逃さなかった。

まず動いたのは陽介だった。

「クレイオス!!」

暴風が吹き荒れ轟いた。

凍てついた空を裂き、暴風が狼の右腕の銃を直撃した。

鉄の銃身が歪み、黒煙を上げて爆ぜた。

「てめぇが彰を泣かせたんだよ!!」

陽介の目が燃えていた。

怒りが、純粋な力が、クレイオスを完全解放していた。

それに続いて俺が跳んだ。

「来いっ!ハイペリオン!!」

紅に滾る炎が渦を巻き、槍となって狼の左腕を貫いた。

銃が溶け、赤熱した鉄が雪に落ちて湯気を立てる。

「お前は…彰の弱さなんかじゃねぇ!!」

「彰はな、誰より強くて、誰より優しいんだよ!!」

狼が悲鳴を上げる。

両腕を失い、長い黒髪が雪に絡まって身動きが取れなくなる。

雪が走り出す。

「私だって…私だって守れる!!」

雪がモシュネの中で祈ると、三人の体に力がみなぎった。

その力で、彰たちも本調子を取り戻す。

狼が最後に牙を剥いた。

「なぜだ!私は……私はお前の本当の──」

彰が静かに歩み寄る。

テミスが背後に控え、天秤が静かに光る。

「違う」

彰は影の自分自身の瞳を真正面から見据えた。

「お前は僕の“逃げ”だった。でも、もう逃げない」

天秤が垂直に立ち、決定的な音を鳴らす。

「テミス!!」

雷が交差し、四人の力が一つに重なる。

陽介の雷が。

駿の炎が。

雪の神託が。

そして彰の雷が。

「「「「終わらせる!!」」」」

四人の声が重なった瞬間──

異形の狼は、光に呑まれた。

光が完全に消えた。

雪原にはもう異形の狼も、銃も、黒髪も、何も残っていない。

ただ、一人だけ。

小さく縮こまって、両膝を抱えて泣いている影がいた。

彰と同じ顔。

同じ髪。

でも、制服ではなく、白いワンピースを着て、裸足で雪の上に座っている。

見た目は十歳前後に戻ったような、幼い“アキラ”だった。

「うぇ……うぇぇ……やだ……ひとりぼっち、やだよ……僕……僕、悪い子だから……置いてかれちゃう……」

震える肩。

頬を伝う涙が雪に落ちて、小さな穴を開けていく。

陽介が息を呑み、俺は一歩前に出ようとした。

雪が不安げに彰を見上げる。

けれど、彰は静かに手を上げて制した。

「……みんな、少し離れてて」

彰はゆっくりと歩み寄り、影の前で膝を折った。

影は怯えたように顔を上げ、すぐにまた顔を伏せる。

彰は、そっともう一人の自分の肩に手を置いた。

「……怖がらないで」

声は震えていた。でも、確かに届いた。

「僕はずっと…知らないふりしてた」

もう一人の彰がびくりと身体を強張らせる。

「僕は女だってことを認めたくなくて。ずっと『大人の男になりたい』って思ってた。でも本当は……」

彰は自分の胸に手を当てた。

「本当は、子供のままでいたかった。女の子のままでいたかった」

涙が、彰の頬を伝い落ちる。

「でも、それを認めたら全部終わりだと思ってた。探偵としての自分も、みんなとの絆も、僕の居場所も……全部なくなっちゃうって」

影が、ゆっくりと顔を上げた。

同じ顔から、同じ涙がこぼれている。

「だから…君を閉じ込めた。『子供でいたい』って思ってる自分を『女の子でいたい』って思いたがってる自分を心の奥に鍵をかけて、知らないふりをしてきた」

彰は、震える手で影の頬に触れた。

「ごめんね。ずっと、ひとりにしてて」

影の瞳が大きく揺れる。

「……僕は…許してもらえるの……?」

彰は首を振った。

「許すも何もないよ」

「君は僕で、僕は君だ」

そして、はっきりと言った。

「僕が本当に望んでたのは……大人の男になることなんかじゃなかった」

影が息を呑む。

「本当の自分を、ちゃんと見てほしかった。誰かに…なんかじゃない。自分自身に、認めてほしかったんだ」

彰は両手を広げた。

「だから、もう逃げない」

「女であることも、子供でいたい気持ちも、全部抱えて……それでも僕は、僕として生きていく」

もう一人の彰が、ぽろぽろと涙をこぼしながら、立ち上がる。

「……ほんとに……?僕……戻ってもいいの……?」

彰は優しく微笑んだ。

「うん。おかえり」

もう一人の彰が、小さく駆け出した。

「うぇぇぇんっ!!」

小さな身体が、彰の胸に飛び込む。

彰はしっかりと抱きしめた。

「よしよし……もう大丈夫だよ」

「怖かったね。寂しかったね」

「でも、もう二度と離さない」

もう一人の彰は彰の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。

「ありがとう……ありがとう…… 僕……もう、泣かない…… だって……もう、ひとりじゃないもん……」

小さな身体が、光の粒に変わっていく。

白いワンピースが雪に溶け、幼い影は最後に微笑んだ。

「大好きだよ……僕……」

光は優しく、彰の胸に吸い込まれていった。

彰は目を閉じて、静かに呟いた。

「……僕も、大好きだよ」

胸の奥に、温かいものが灯った。

もう、何も隠さない。

何も捨てない。

女であることも。

子供でいたい気持ちも。

全部、自分だ。

彰は立ち上がった。

涙でぐしゃぐしゃの顔で、でも確かに笑って。

「……行こう」

陽介が鼻をすすりながら笑った。

「お前、ほんと泣き虫だな」

俺は照れ隠しに頭を掻く。

「……まぁ、似合ってるよ。その顔」

雪が駆け寄って、彰の手をぎゅっと握った。

「うん。一緒に、帰ろう」

彰は頷いた。

雪が降り続ける裏の世界で、
四人の影は、もう一つに重なっていた。