RECORD

Eno.1461 篠崎 駿の記録

Discovery

土曜日の夕方、松葉市の駅前は師走の喧騒に包まれていた。

俺は約束の五分前に『龍華』の暖簾をくぐった。

店内は、油とニンニクと胡麻油の匂いが混じり合い、カウンターの奥で中華鍋が鳴っている。

「あ、篠崎さん!」

奥のテーブル席から、真二が手を振った。制服の上にパーカーを羽織り、竹刀袋は椅子の横に立てかけてある。

顔はまだ泣き腫れた跡が残っているが、目は少しだけ澄んでいた。

「早いな。俺も今来たところだ」

俺が座ると、真二はメニューを差し出す。

「姉ちゃんがいつも頼んでたのは、焼き餃子と青椒肉絲と……あと、ここの麻婆豆腐は辛えけど美味いって言ってました」

注文を済ませ、ウーロン茶が運ばれてくる。

俺はコップを傾け、真二は両手でコップを包むように持つ。

沈黙が落ちた。外のネオンが窓に反射して、真二の横顔を赤く染める。

「……あのさ」

真二が、ぽつりと口を開いた。

「この前、墓で話したこと……満のこととか」

俺は頷く。真二はカップを見つめたまま、続ける。

「実は、満にも姉ちゃんのこと、ちゃんと話してなかったんです。俺、怖くて」

息を吐く。白い息が、湯気と混じる。

「姉ちゃんが死んだ時、俺、中学入ったばっかりで。父さんも母さんも、なんにも言わなくて。誰も、姉ちゃんの話してくれなかった。だから俺も、誰にも話せなかった。満にも、『姉ちゃんは事故で』って、それだけしか」

真二の指が、カップの縁をなぞる。

「でも、この前……満と夜の公園で素振りしてて、ふと言っちゃったんです。『俺、姉ちゃんのこと、まだ引きずってる』って」

俺は黙って聞く。餃子が運ばれてきて、鉄板がジュウッと音を立てる。

「そしたら満、竹刀止めて、俺の目を見て……『私もだよ』って」

真二の声が、少し震える。

「満の姉貴も……三年前に交通事故で死んでるんですって。俺、全然知らなくて」

胸が締め付けられる。俺は箸を置く。

「満、ずっと黙ってたらしい。俺と同じで、誰にも言えなくて。でも俺が話した途端、全部話してくれた。姉貴のこと、事故のこと、犯人のこと……全部」

真二は餃子を口に運び、熱さに目を細める。

「それで、なんか……変な感じなんですけど」

微笑む。初めて見る、本当の笑顔だった。

「俺たち、似た者同士だったんだなって。腫れ物扱いされてたのも、実は満も同じだったって。俺だけじゃなかった」

俺はビールを飲み干す。喉が熱い。

「満が言ったんです。『私たちは、姉ちゃんたちの分まで生きなきゃ』って」

真二は窓の外を見る。駅前のイルミネーションが、瞳に反射する。

「だから俺……もう、少しだけ前に進もうかなって」

俺は頷く。言葉が見つからない。

ふと、真二がポケットから何かを取り出した。小さな写真だった。

「これ……姉ちゃんが高校の時、篠崎さんに撮ってもらったやつですよね」

差し出された写真。優が、笑っている。俺が撮ったやつだ。

「姉ちゃんの部屋、片付ける時に見つけて。裏に、篠崎さんの名前書いてあった」

裏返すと、確かに俺の字で『優へ 駿』とあった。

「俺……これ、持ってていいですか?」

真二の声が、小さくなる。

「姉ちゃんの笑ってる顔、ちゃんと覚えてたいから」

俺は頷く。写真を返すと、真二は大事そうに財布にしまった。

麻婆豆腐が運ばれてきて、真二はスプーンで一口。顔を赤くして水を飲む。

「辛え……でも、姉ちゃん好きだった味だ」

俺も食べる。確かに辛いが、どこか優しい味がした。

食べ終わる頃、外はもう真っ暗だった。

会計を済ませ、店を出る。冷たい風が頰を打つ。

「篠崎さん」

真二が、立ち止まった。

「今日は……ありがとうございました」

頭を下げる。竹刀袋が、肩に食い込む。

「俺、また墓参りに行きます」

「ああ」

俺は頷く。

「次は、満ちゃんも誘ってやれ」

真二は驚いた顔をして、それから笑った。

「はい……そうします」

別れ際、真二が小さく手を振った。駅に向かう背中が、イルミネーションに照らされて、少しだけ大きく見えた。

俺は逆方向に歩き出す。ポケットの中で、優がくれた手紙が、少しだけ軽くなった気がした。

これからも、きっと真二は泣く日があるだろう。

でも、もう一人じゃない。

優の分まで、俺たちで生きていく。

冷たい夜風が、優しい嘘のように頰を撫でた。