RECORD

Eno.76 九条瑚白の記録

新春交歓会

白金の巨体は、朝の光をゆっくりと吸い込みながら、静かな呼吸を始めていた。

新造客船《セラフィール》。
ただの船ではない。その内部には広大なドーム、街のようなプロムナード、星海を模したホール、そして最新鋭の生命支援システムまで搭載された“ひとつの都市”だった。

新春交歓会の式典会場の前には、すでに大勢の招待客が集まっている。
空気は柔らかく期待に満ち、どこか優しい熱を帯びていた。

故郷である人界へと帰った瑚白は胸に手を当て、深く息を吸った。
いよいよ――この船が世界へ旅立つ瞬間が始まる。

ステージの上ではライブパフォーマンスや、ダンスが披露され時間が来ると、自然にざわめきが波のように落ち着いていく。
会場の照明がふっと落ち、正面のステージだけが淡い光を宿した。

そこに立ったのは、
《セラフィール》の生みの親であり、オーナーでもある――瑚白だった。

白を基調とした礼装に身を包み、
静謐な湖面のように落ち着いた眼差しで、集まった人々を見渡す。

その仕草は厳格さよりもむしろ、温度のある優しさを感じさせた。

瑚白は一歩だけ前に出る。
「本日は、お忙しい中 《セラフィール》 の就航式にご参列いただき、誠にありがとうございます。」

静かな声だった。だが、会場の空気をきゅっと引き締める。
ただの挨拶ではない。船に込められた願いが、ひとつひとつ言葉に宿っていた。

「この船は、わたしたち人類が “どこへ向かうのか” を示す象徴です。
 旅は時に、恐れと迷いを連れてきます。
 けれど――その先に広がる景色は、必ず新しい希望へと続いている。」

瑚白の声は、ほんのわずかに揺れた。
彼にしては珍しい、感情の色だった。

「《セラフィール》は、その“希望”を運ぶ船でありたい。
 誰もが安心して旅を楽しめる場所。
 帰りたいと思える……第二の家のような存在であれたら、
 それほど嬉しいことはありません。」

ふと、アオイの視線に気付いた瑚白の視線が一瞬だけアオイの方に向く。
淡く、静かに――しかし確かに、柔らかく微笑んだ。

「――どうか、この船を愛していただけますように。」

深く頭を下げると、会場から大きな拍手が湧き上がった。
その音は船体に反響し、まるで巨体が喜びに震えるようだった。

照明が、ゆっくりと暖かな色を帯びる。
そしてステージの奥から柔らかな光球が生まれるように現れた。

セラフィールだ。

光球は一歩、また一歩進むほど少女の形を取り、足跡は光の粒が淡雪のようにふわりと舞う。

その顔には、少しの緊張と――大きな喜びが混ざっていた。

会場の空気が自然と和らぐ。
瑚白ですらわずかに口許がほころぶほどだった。

少女は小さく深呼吸をし、
胸の前で手をそっと重ねた。

「……あの。
 きょ、今日は……その……来てくれて……ありがとう……」

最初の一言は震えていた。
会場から、くすり、と優しい笑いが起きる。

「えっと……まだ、うまく言えないけど……。
 わたしは、この船が……
 皆さんにとって“帰ってこれる場所”になれたらいいなって……思っています。」

光がゆっくりと強まり、彼女の頬が淡く染まる。

「これから……どうか、よろしくお願いします。」

ただの挨拶。
けれど、彼女の言葉は胸を温かく満たすものだった。

瑚白は小さく頷き、「上出来だ」と呟いた。

リボンカットのアナウンスが流れると瑚白と少女、アオイが並び立ち、セレモニーの象徴である
純白のリボンが静かに張られる。

その瞬間だけ、空気が再び張り詰めた。

瑚白が魔力の刃を形成し、セラフィールへ目で合図する。
3人は同時に刃に手を添え、ゆっくりとリボンへ近づける。

――しゃり。

刃が触れた音は、砂を裂いたのかと思えるほど驚くほど柔らかかった。
リボンは静かに、静かに裂けていく。
そして、音もなく落ちた。

瞬間。


花弁の光が溢れ、会場全体を包む。
派手ではなく、静かに降り積もる金の雪のような祝福。

息を呑むほど、綺麗だった。

船首ではシャンパンが割られ、新しい船の門出が祝われる。

「……よく、がんばったね」

「えへへ……」

「後で美味しいものでも3人で食べに行きましょうか」

そんなやり取りをほんの少しだけ交わしセレモニーは終了間際、オーナーである瑚白はナイフをスタッフへと返し一歩前へと進む。

静かに、けれど確かに、
《セラフィール》は“船”から“物語”へと変わった。

瑚白は最後にもう一度だけ会場を見渡し、こう締めくくった。

「――では。
 ここに、《セラフィール》の就航を宣言します。」

「皆様どうか、良き旅路を」

拍手が波のように広がる。
その音に合わせて、船体全体が優しく光を返した。