Eno.607 赤座 花子

■ 赤座花子

劣悪な環境に置かれた者も、環境に迎合し、適応し、許容の受け皿を広げていくことで生き延びられるようになる。
暴力を振るわれることがあれば、暴力を受け入れられるようにする。
陰口を叩かれることがあれば、陰口を受け入れられるようにする。

受け止めるのではない。受け入れるのだ。
ものともしないように受け皿を広げて、そこに投げ入れる。容量が大きいと、一個入っても大して変わらない。


たとえば島のサバイバル。
動物を捌くのも、銛で突くのも、全部、そういうものだと受け入れる。
食事が足りないのも、水が枯渇するのも、睡眠が足りないのも、全部。
そうしたら、2日目にはもう慣れた。海で流されたってなんということはない。
クラスメイトが死ぬかもしれないことも、直ぐに受け入れた。
拠点の外へ人が繰り出すのは、全く悲惨なことではなかった。

娯楽もそうだ。
こんな状況で遊びに興じていいのか、なんて思ったかすら定かでない。
楽しければそれでいいとスローガンを掲げたのも、もはやいつかは分からない。
同級生と卓を囲み、ゲームを繰り返し、時には無茶を吹っ掛けられて、涼しい顔でこなしていく。
そんな非日常を受け入れる。

であれば、人間関係もそうだろう。
昨日まで話したこともないクラスメイトに笑って声を掛ける。
無茶を平気で行う1人の仲間みたいに振る舞う。
より環境に適応した自分を出して、頼れるように、頼られるように。



だから昨日の発言も、そうだった。
資源の無駄遣いだと思った、時間の無駄遣いだと思った、
それで得られるものが無ければ、私たちはますます困窮するだろうと理解した。
だが、音頭を取っている人が肯定派で、周囲が肯定派なら、覆らない。
この現状を受け入れる。無茶をする自分を受け入れる。
下らない挑戦で死ぬかもしれない現実を受け入れた。



ふと思い付いた遊びに、1人のクラスメイトが乗ってくれた。
私は彼を深くは知らなかったし、その本心も理想も理解することはないだろう。
しかし、そういう立ち振る舞いをする都合上、私は初めて、窓部日向を受け入れた。

そうしたら、自分が何を話すべきなのか、思考が止まった。
見せかけの、張りぼての窓部日向としての言葉ばかりが受け皿から連ねられて、赤座花子は何処にも存在しなくなった。
嫌なものを嫌と否定し、負担のかかる状況を言葉の通りに話す自分になった。
このままだと、今までの自分が無くなってしまうかもしれないとすら感じた。
赤座花子に戻れるか定かではなかった。



でもそれでもよかった。
どうでもよかった。
赤座花子も、窓部日向も、大して変わりはない。

このまま服を返さなければどうなるんだろう。
一瞬だけ悪党めいた考えが立ち上って、
しかし彼の要求を受け入れて、私はまた赤座花子になる。

なれているかな。
赤座花子のこと、私にはよく分からなかった。