RECORD

Eno.223 宇迦盧 司の記録

神饌

宇迦盧の家にとってその日は特別な一日だ。
今は別邸に住まう爺ちゃん婆ちゃんも、前日から老体を押して遠路遥々この家に帰って来る。
盆や正月を除けば、その二人がこの家に帰って来るのは今日だけだ。
顔を合わせればその度に、祖父母は俺に向けて"大きくなった"とその頬を綻ばせる。
孫というのはそんなに可愛いものなのかな、なんて考えつつも、愛されると分かるのは悪い気分じゃなかった。

そうして家族団欒を終えれば、家族───俺も含めて───は行事の準備に取り掛かる。
世間一般に通りよく、そして平たく言ってしまえばそれは"お供え"だ。
この屋敷は広く、母屋の他に離れも備えられているが、そこの一室に小さな"お宮"がある。
そこへ来る十五日、家族全員で料理を取り揃える。それが、俺が幼い頃からあったこの家の習慣だった。

そして宇迦盧の人間は、皆揃って料理が出来る。
直系筋の父や祖父は勿論のこと、そこに嫁入りしてきた母や祖母も同様に。
この家に生まれた子は幼い頃から料理を仕込まれ、余所から家門に加わるにも炊事の腕を認められる必要があると。
そんなことを、少し前に家族に聞いたことがあった。
なのでそんな面々が揃えば、割烹料理さながらのお供え物が出来上がる。

余談だが、こういう調理した状態でのお供え物を「熟饌」と呼ぶらしい。これは大学の講義で知ったことだ。

やがて日を跨ぐ頃、出来上がった料理をお宮に運び、そこで暫し自分達は手を合わせる。
その時に思い浮かべるのは、無病息災だとかだとか家内安全だとかの当たり障りのないこと。
そんなことをこの眼の前のお宮に住まう神様に願い上げれば、供犠はお終い。
準備にえらく時間がかかる割に、実際にお宮の前に居る時間はせいぜい十分から十五分程度。
お供え物だって、献上した後は自分達で美味しくいただいてしまう。

その僅かな時間のために、祖父母はわざわざこの家に帰ってきて。
その僅かな時間のことを、宇迦盧の人間は習慣としてずっと守っているのだった。


傍から見れば、このしきたりには余分な労力が多い。
そもそも宇迦盧の人間に料理の腕前が求められるのも、恐らくはこの日のため。
けれども何故か不思議と……"自分達"にはこれが必要な気がしていた。
きっと今までの宇迦盧家の人達もそう思ったから、ずっと続いてきたのだろう。
だからこれからも多分、この供犠は執り行われ続けるのだ。



そのお宮に祀られているモノの名を。たとえ誰も知らなくとも。