RECORD
Eno.59 墓畑次郎の記録
科学という現代の唯一神について
現代社会において『科学的であること』が、全ての言説、政策、倫理、教育、医療の正当性の根拠を持つ。
これは科学が単なる「方法論」ではなく、世界の一律した共有視座として人類に絶対的な権威を獲得している証拠である。
この構造は、宗教における『神の言葉』への論理に通じる部分がある。
科学的であれば正しい=科学に反すれば異端(似非科学、オカルトなど)という極端な思考は、しばしば現代人においてもよく取りざたされる。
また、ここまでではなくとも『未解明な物はいつか解明される』といった科学者への期待は文明人であれば誰しもが持ち得るものだろう。
ではなぜこのような思想が現代、特に表社会において普及したのだろうか。
中世ヨーロッパにおいて「唯一神」が異教の神々や土着信仰を駆逐したように、なぜ現代の科学は「非科学的」な神秘や迷信、感性、期待を未開として排除するに至ったのか。
それは「科学」は歴史的に、自然界の未知や神秘に対して 説明を与え、それを明らかにする役割 を担ってきたからだ。
神話や宗教的な「神秘的現象」を解明し、人間の理解の範囲に取り込むことで、不確定性や畏怖感を減らし、制御可能な知識に変換する「神秘の駆逐者」 としての機能が科学に長き歴史において付与されていったからであると私は考える。
紀元前、古代の人々は世界の理解の手段として、自然現象に対して人格、意思性を付与する事で説明をすることを選んだ。
雷は天の怒りであり、収穫は恩恵である。病は悪霊や呪いとなり、理不尽は神の気まぐれとして締めくくられた。
知の体系そのものに物語性があり、神話、宗教、シャーマニズムにおいて秩序を築く礎となる。
この時代の科学はあくまでも体系的なものではなく、もっと身近な技術として萌芽している。
バビロニアの天文記録や古代エジプトの建築など、きわめて実用的な観察が行われてはいるものの、そこには神秘との折り合いをつけるための最低限の生活を守るための知恵としての成り立ちがある。
それらが確かに現代の科学に通ずる『思考形』を持ち出したのは古代ギリシア、紀元前600年の話である。
この世の起源(アルケー)とは何か、という問いかけに対しタレスをはじめとした自然哲学者達が万物の礎を求めて「世界は論理と原理で成り立つ」とする思想が生まれた。
神秘と理性の共存を唱えつつも、数理や因果という物が注目され、神話的世界から切り離した自然現象において世界を説明し、学問の形が出来上がったのである。
自然現象に対する初期の哲学的考察や要素論的理解はアリストテレスの「四原因論」へとつながっていく。
古代ギリシアで育まれた自然についての哲学的考察を昇華し、体系化したのがアリストテレスという人物だ。
アリストテレスは、哲学・政治学・倫理学・美学・物理学・化学・生物学・地学のように、現代でいう人文社会科学から自然科学に至るまでのあらゆる領域で著作を残し、後世に多大な影響を与えている。
しかしこの時代においては観察よりも思弁が重視されたため、神秘を体系に組み込むにとどまり現代科学のような未知への解体には届く事はなかった。
アリストテレスの思想が既存の宗教と対立するものだったかというと、必ずしもそうではない。
中世ヨーロッパでは、科学は神が創造した秩序ある世界をより深く理解するための手段であり、それによって神の叡智に対する畏敬を示すものと捉えられていた。
もちろん、天文学や医学などが聖典と整合するかどうかで解釈に差はあったものの、こうした知の体系が広まった背景には宗教の保護と影響が大きく関わっていたことは否めない。
こうして神秘に「秩序」を見出しつつもそれを数理的に扱う流れは徐々に形成されていった。
自然現象はイコールで神の奇跡であることに変わりなく、その領域は神秘に満ちている。科学・宗教・魔術の区別は存在しえず、これらの学問は混淆されながらも前進を続けていた。
流れが転換点に達したのは17世紀から18世紀の頃である。
神秘が理法へと変わったのは、コペルニクスの地動説から始まった。科学と神秘の分離と対立の始まりである。
当時主流であった天動説へ異を唱え、『天は神の領域ではなく物理の届く範囲である』と提唱された本説は、〝コペルニクス的転回〟を近代科学の父ガリレオへもたらすこととなる。
彼の実験と観測により「自然法則」の実在を示す落体の法則をはじめとした様々な自然に基づいた運動法則が唱えられていく。
そしてガリレオの研究をより洗練しまとめ上げたニュートンの万有引力の法則や、ケプラーの重力の証明により宇宙は数式で記述が可能な事が明らかになった。
これにより神秘は雷・疫病・奇跡といった「人智を超えるもの」は、数式と理論によって「再現可能な自然現象」へと大きく変質させることを可能にしたのである。
人類は、世界を神の手から星の形に作り変えたのだ。
しかしこれは決して万事順調だったわけではない。
コペルニクスは司祭の立場上からか、地動説をガリレオが目につけるまで公に公表したがらず、彼の死後公表された本もワースト・セラーであった。
ガリレオが彼の説の検証を行い、改めて唱えられた地動説は聖典に反する内容であり異端的であるという当時のルター派を筆頭とした宗教家たちの強い拒否感から、かの有名な地動説裁判が起きるほどの騒動となる。
この裁判は後のニュートン力学による実証と正当な理論において問題視され、後の『科学VS宗教』という強い対立構造を定着させていくこととなる。
17 世紀においてニュートンやコペルニクスのように科学者であることと宗教家であることとは矛盾したことではなく、宗教科学的思考とは、むしろ緊密な関わりにあった。
信仰と密接に連関していた科学は、現代人イメージするよう中立的な客観的のみ営みではなく、むしろ、穏健な王制・国教会体制を擁護するという機能を有するいわばイデオロギーとしての科学だったのだ。
しかしその科学の領域が天にまで達した時、人はそこに神の影を見失ったのである。
啓蒙主義。「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。
17世紀を科学革命の時代とするなら、18世紀は啓蒙の時代だった。
アンシャン=レジーム体制を批判し古き王政、宗教を批判するその毒は、神を絶対視した世界観は動揺し、自然科学が著しく発展する一助となる。
この時代を象徴するのはディドロとダランベールが出版した『百科全集』だろう。
モンテスキューの三権分立論などの国家論、ヴォルテールの宗教的寛容論、ルソーの社会契約説など代表的な啓蒙思想、中世的な宗教世界観ではない革新的かつ『理性的』な世界への捉え方を示唆した本書は後のフランス革命の礎になり、百科全集派という啓蒙思想派閥を作り上げることに成功する。
これらは理性教とも呼ばれ、人間の理性や観察、実験による知を重視する考え方によって神秘に頼らず、個人の力で世界を理解することを人間性の解放と自由を追求しようという姿勢を示していた。
この思想は近代社会の基盤となり、民主主義や人権などの概念を形作った。現代社会においても、その影響は色濃く残っている。
こうして神秘が「未知」から「未解明」へと語られ方が変化した。
「神の隙間(God of the gaps)」――科学が広がるにつれ、神が説明すべき領域が減っていったのである。
これらの衰退は、裏世界、ないし神秘的生物の生存圏の縮小の始まりであった。
一度根付き、普及された科学は人類が繁栄するにつれ、より猛威を振るうこととなる。
産業革命が起きた19世紀において科学の全能感と神秘の崩壊はより著しくなる。
自然支配の成功の工業、医学、交通、エネルギー…科学が表世界の生活を一変させた。科学は大衆の生活に大きく食い込み、その恩恵を惜しみなく彼らに与えたのである。
科学が普及する事により、説明のつかないものの方が減った結果、唯物論的世界観が台頭しだす。
「見えるものだけが真実」「意識や魂も物理現象で説明可能」という考えは、神秘主義への弾圧と消費を招き表世界に辛うじて残っていた神秘を裏世界へと追い出す事となる。
魔術、錬金術、霊的信仰、民間療法や超常現象、一部芸術もここに含まれる。
これらは一概に迷信として括られ、「科学的」な人々にとって世界に不要なものとして断じられたのだ。
これらは実用性や真偽とは関係なく、「習った事から逸脱した」ことが罪とされた。
それはまさに、神に反する異端を排する宗教社会と酷似しているのではないだろうか。
しかし、これらは全て根絶されたわけではない。「啓蒙の名の下に神秘を殺す」ことは現在も不可能だ。
現代、20世紀以降神秘との境界は再び揺るぎだしている。
量子論と観測者問題の唱える「観測者が現象の結果に影響を及ぼす説」による科学が全て客観視できるという信仰に疑念が生じたのだ。
相対性理論・量子力学はそれまでの科学を支えていた「絶対的因果」の概念を崩す。
相対性理論は、時間と空間が相対的であることを示し、光速度不変の原理に基づいて因果関係が絶対的なものではないことを明らかにし、量子力学は、微視的な世界で確率的な現象を扱い、因果関係の決定論的な説明を困難なものと位置づけたからだ。
これは科学が一度「再現性」と「反証性」によってつけたはずの神秘との境界が再び曖昧になったことを示唆している。
また心理学や精神分析といった神秘と隣接した「無意識領域」への科学接近は、人類の意味世界への言語化の必要性にかられたものであり、これに呼応するように大衆文化による娯楽から、神秘の再演出と言ったオカルトの再興や再評価が始まっている。
この世界は決して科学では語り切れない目に見えぬ真実が潜んでいる事を、人々は再び観測しようとしているのだ。
神と同じく、「科学」は人々には見えない原理体系をしている。
専門家だけが扱える「言語(あるいは数式や理論)」が存在し、知識のない一般人は教科書やモニターに映る文字を漠然と信じるしかない。これは再現性ではなく、知識に対する盲信による一種の思考放棄に近い。
また、観測や実験結果も「解釈」に依存している。
これらは神官による神託と構造的に類似しており、科学の不可視性と中立性を幻想が支えていることの根拠となる。
この境界が曖昧な例としては『プラシーボ効果』や『量子意識理論』があがる。
科学は疑似的な宗教的構造が生まれ、排他的な「合理の顔をした信仰体系」を築く。
表世界において神秘が排除されたのは、この信仰が最も強大に、人類を支配したからに他ならない。
科学が進めば全てが改善するという、科学者を預言者や殉教者へと仕立て上げて技術的特異点を祈るこの文明こそ現代における神と呼んでふさわしい。
一般の人々が科学が慕う理由は合理的であるからではなく、
「不確実な世界において、最も整然とした安心を提供する体系」だからだ。
中世においては教会が、現代においては科学が、人間の「恐れ」「期待」「願い」を集約し、世界を秩序化してきた。
神が世界の理を記した「書物」を与えたように、科学は「論文」「理論」「数式」によって世界を記述する。
すなわち、
科学とは、神秘を殺して人間に秩序を与える最も洗練された物語である。
著:-Dr. Lyka Thorn



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これは科学が単なる「方法論」ではなく、世界の一律した共有視座として人類に絶対的な権威を獲得している証拠である。
この構造は、宗教における『神の言葉』への論理に通じる部分がある。
科学的であれば正しい=科学に反すれば異端(似非科学、オカルトなど)という極端な思考は、しばしば現代人においてもよく取りざたされる。
また、ここまでではなくとも『未解明な物はいつか解明される』といった科学者への期待は文明人であれば誰しもが持ち得るものだろう。
ではなぜこのような思想が現代、特に表社会において普及したのだろうか。
中世ヨーロッパにおいて「唯一神」が異教の神々や土着信仰を駆逐したように、なぜ現代の科学は「非科学的」な神秘や迷信、感性、期待を未開として排除するに至ったのか。
それは「科学」は歴史的に、自然界の未知や神秘に対して 説明を与え、それを明らかにする役割 を担ってきたからだ。
神話や宗教的な「神秘的現象」を解明し、人間の理解の範囲に取り込むことで、不確定性や畏怖感を減らし、制御可能な知識に変換する「神秘の駆逐者」 としての機能が科学に長き歴史において付与されていったからであると私は考える。
紀元前、古代の人々は世界の理解の手段として、自然現象に対して人格、意思性を付与する事で説明をすることを選んだ。
雷は天の怒りであり、収穫は恩恵である。病は悪霊や呪いとなり、理不尽は神の気まぐれとして締めくくられた。
知の体系そのものに物語性があり、神話、宗教、シャーマニズムにおいて秩序を築く礎となる。
この時代の科学はあくまでも体系的なものではなく、もっと身近な技術として萌芽している。
バビロニアの天文記録や古代エジプトの建築など、きわめて実用的な観察が行われてはいるものの、そこには神秘との折り合いをつけるための最低限の生活を守るための知恵としての成り立ちがある。
それらが確かに現代の科学に通ずる『思考形』を持ち出したのは古代ギリシア、紀元前600年の話である。
この世の起源(アルケー)とは何か、という問いかけに対しタレスをはじめとした自然哲学者達が万物の礎を求めて「世界は論理と原理で成り立つ」とする思想が生まれた。
神秘と理性の共存を唱えつつも、数理や因果という物が注目され、神話的世界から切り離した自然現象において世界を説明し、学問の形が出来上がったのである。
自然現象に対する初期の哲学的考察や要素論的理解はアリストテレスの「四原因論」へとつながっていく。
古代ギリシアで育まれた自然についての哲学的考察を昇華し、体系化したのがアリストテレスという人物だ。
アリストテレスは、哲学・政治学・倫理学・美学・物理学・化学・生物学・地学のように、現代でいう人文社会科学から自然科学に至るまでのあらゆる領域で著作を残し、後世に多大な影響を与えている。
しかしこの時代においては観察よりも思弁が重視されたため、神秘を体系に組み込むにとどまり現代科学のような未知への解体には届く事はなかった。
アリストテレスの思想が既存の宗教と対立するものだったかというと、必ずしもそうではない。
中世ヨーロッパでは、科学は神が創造した秩序ある世界をより深く理解するための手段であり、それによって神の叡智に対する畏敬を示すものと捉えられていた。
もちろん、天文学や医学などが聖典と整合するかどうかで解釈に差はあったものの、こうした知の体系が広まった背景には宗教の保護と影響が大きく関わっていたことは否めない。
こうして神秘に「秩序」を見出しつつもそれを数理的に扱う流れは徐々に形成されていった。
自然現象はイコールで神の奇跡であることに変わりなく、その領域は神秘に満ちている。科学・宗教・魔術の区別は存在しえず、これらの学問は混淆されながらも前進を続けていた。
流れが転換点に達したのは17世紀から18世紀の頃である。
神秘が理法へと変わったのは、コペルニクスの地動説から始まった。科学と神秘の分離と対立の始まりである。
当時主流であった天動説へ異を唱え、『天は神の領域ではなく物理の届く範囲である』と提唱された本説は、〝コペルニクス的転回〟を近代科学の父ガリレオへもたらすこととなる。
彼の実験と観測により「自然法則」の実在を示す落体の法則をはじめとした様々な自然に基づいた運動法則が唱えられていく。
そしてガリレオの研究をより洗練しまとめ上げたニュートンの万有引力の法則や、ケプラーの重力の証明により宇宙は数式で記述が可能な事が明らかになった。
これにより神秘は雷・疫病・奇跡といった「人智を超えるもの」は、数式と理論によって「再現可能な自然現象」へと大きく変質させることを可能にしたのである。
人類は、世界を神の手から星の形に作り変えたのだ。
しかしこれは決して万事順調だったわけではない。
コペルニクスは司祭の立場上からか、地動説をガリレオが目につけるまで公に公表したがらず、彼の死後公表された本もワースト・セラーであった。
ガリレオが彼の説の検証を行い、改めて唱えられた地動説は聖典に反する内容であり異端的であるという当時のルター派を筆頭とした宗教家たちの強い拒否感から、かの有名な地動説裁判が起きるほどの騒動となる。
この裁判は後のニュートン力学による実証と正当な理論において問題視され、後の『科学VS宗教』という強い対立構造を定着させていくこととなる。
17 世紀においてニュートンやコペルニクスのように科学者であることと宗教家であることとは矛盾したことではなく、宗教科学的思考とは、むしろ緊密な関わりにあった。
信仰と密接に連関していた科学は、現代人イメージするよう中立的な客観的のみ営みではなく、むしろ、穏健な王制・国教会体制を擁護するという機能を有するいわばイデオロギーとしての科学だったのだ。
しかしその科学の領域が天にまで達した時、人はそこに神の影を見失ったのである。
啓蒙主義。「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。
17世紀を科学革命の時代とするなら、18世紀は啓蒙の時代だった。
アンシャン=レジーム体制を批判し古き王政、宗教を批判するその毒は、神を絶対視した世界観は動揺し、自然科学が著しく発展する一助となる。
この時代を象徴するのはディドロとダランベールが出版した『百科全集』だろう。
モンテスキューの三権分立論などの国家論、ヴォルテールの宗教的寛容論、ルソーの社会契約説など代表的な啓蒙思想、中世的な宗教世界観ではない革新的かつ『理性的』な世界への捉え方を示唆した本書は後のフランス革命の礎になり、百科全集派という啓蒙思想派閥を作り上げることに成功する。
これらは理性教とも呼ばれ、人間の理性や観察、実験による知を重視する考え方によって神秘に頼らず、個人の力で世界を理解することを人間性の解放と自由を追求しようという姿勢を示していた。
この思想は近代社会の基盤となり、民主主義や人権などの概念を形作った。現代社会においても、その影響は色濃く残っている。
こうして神秘が「未知」から「未解明」へと語られ方が変化した。
「神の隙間(God of the gaps)」――科学が広がるにつれ、神が説明すべき領域が減っていったのである。
これらの衰退は、裏世界、ないし神秘的生物の生存圏の縮小の始まりであった。
一度根付き、普及された科学は人類が繁栄するにつれ、より猛威を振るうこととなる。
産業革命が起きた19世紀において科学の全能感と神秘の崩壊はより著しくなる。
自然支配の成功の工業、医学、交通、エネルギー…科学が表世界の生活を一変させた。科学は大衆の生活に大きく食い込み、その恩恵を惜しみなく彼らに与えたのである。
科学が普及する事により、説明のつかないものの方が減った結果、唯物論的世界観が台頭しだす。
「見えるものだけが真実」「意識や魂も物理現象で説明可能」という考えは、神秘主義への弾圧と消費を招き表世界に辛うじて残っていた神秘を裏世界へと追い出す事となる。
魔術、錬金術、霊的信仰、民間療法や超常現象、一部芸術もここに含まれる。
これらは一概に迷信として括られ、「科学的」な人々にとって世界に不要なものとして断じられたのだ。
これらは実用性や真偽とは関係なく、「習った事から逸脱した」ことが罪とされた。
それはまさに、神に反する異端を排する宗教社会と酷似しているのではないだろうか。
しかし、これらは全て根絶されたわけではない。「啓蒙の名の下に神秘を殺す」ことは現在も不可能だ。
現代、20世紀以降神秘との境界は再び揺るぎだしている。
量子論と観測者問題の唱える「観測者が現象の結果に影響を及ぼす説」による科学が全て客観視できるという信仰に疑念が生じたのだ。
相対性理論・量子力学はそれまでの科学を支えていた「絶対的因果」の概念を崩す。
相対性理論は、時間と空間が相対的であることを示し、光速度不変の原理に基づいて因果関係が絶対的なものではないことを明らかにし、量子力学は、微視的な世界で確率的な現象を扱い、因果関係の決定論的な説明を困難なものと位置づけたからだ。
これは科学が一度「再現性」と「反証性」によってつけたはずの神秘との境界が再び曖昧になったことを示唆している。
また心理学や精神分析といった神秘と隣接した「無意識領域」への科学接近は、人類の意味世界への言語化の必要性にかられたものであり、これに呼応するように大衆文化による娯楽から、神秘の再演出と言ったオカルトの再興や再評価が始まっている。
この世界は決して科学では語り切れない目に見えぬ真実が潜んでいる事を、人々は再び観測しようとしているのだ。
神と同じく、「科学」は人々には見えない原理体系をしている。
専門家だけが扱える「言語(あるいは数式や理論)」が存在し、知識のない一般人は教科書やモニターに映る文字を漠然と信じるしかない。これは再現性ではなく、知識に対する盲信による一種の思考放棄に近い。
また、観測や実験結果も「解釈」に依存している。
これらは神官による神託と構造的に類似しており、科学の不可視性と中立性を幻想が支えていることの根拠となる。
この境界が曖昧な例としては『プラシーボ効果』や『量子意識理論』があがる。
科学は疑似的な宗教的構造が生まれ、排他的な「合理の顔をした信仰体系」を築く。
表世界において神秘が排除されたのは、この信仰が最も強大に、人類を支配したからに他ならない。
科学が進めば全てが改善するという、科学者を預言者や殉教者へと仕立て上げて技術的特異点を祈るこの文明こそ現代における神と呼んでふさわしい。
一般の人々が科学が慕う理由は合理的であるからではなく、
「不確実な世界において、最も整然とした安心を提供する体系」だからだ。
中世においては教会が、現代においては科学が、人間の「恐れ」「期待」「願い」を集約し、世界を秩序化してきた。
神が世界の理を記した「書物」を与えたように、科学は「論文」「理論」「数式」によって世界を記述する。
すなわち、
科学とは、神秘を殺して人間に秩序を与える最も洗練された物語である。
著:-Dr. Lyka Thorn

「……」

「でもあんたは失敗した」

「あんたの夢は叶わなかった」
「自壊性ロマン主義もいい加減にしろよ」