RECORD

Eno.244 七種 仁音の記録

オードブル

『やあ、久しぶり。そっちは朝かな? こっちだと昼夜の「概念」はないからね、君にとって初めての朝食ってことになるのかな』


午前7時半、現在進行形でトースターに焼かれている食パンの香りが漂うアパートの一室。
室内にも関わらずフードを被った少女はトースターから視線を外し、机の上に置かれていたスマートフォンへと目を向けた。

「……」


無言のままスマートフォンを手に取る。そうして通話に応じるように耳元へと運ぶ……ことはなく、眼下の端末に文字を打ち込んだ。

『初めてじゃない。数は忘れたけど、もう慣れた』


『おっと、そうだった。まだこの時間のズレにはどうも慣れないね。計算するにも検証するにも、まだまだデータは不足してるから』


『まさか異世界だなんて、流石に想定外だよ』、そう零した通話相手の声からは喜色が滲んでいた。

『ともあれ入学おめでとう。まさか君が社会復帰、ならぬ社会進出とはね。「悲嘆ラメント」 が存命だったらさぞ羨んだだろうに』


『勉強だけ代わって欲しかった。億劫』


『残念、学業含めての学生生活だ。むしろ社会的にはそちらが本分さ。どこに価値を見出すかは人の自由だけどね。まさしく今の君みたいに』


チン、と小気味いい音と共にトースターから焦げ目の付いたトーストが飛び出した。
焼き立てのそれを構わず素手で摘み、かぶりつく。

『食べられればそれでいい』


『ご要望にお応えして、通信制じゃなくて全日制で用意は済ませてあるよ。存分に学食を堪能するといい』


『買い食い。食べ歩き。外食』


『君が学生として過ごす分にはどれも自由だろうさ。そういうあちら側との取り引きだからね。
最も、君が彼らとのルールを守りさえすればの話だけど』


微かな笑い声、それを聞き流しながら食パンを飲み込む。
スマートフォンの表示時刻は間もなく8時、残りのトーストは向かいながら食べることにしようと決めると、学生鞄を肩に掛けて立ち上がった。

『食べられればそれでいい』


メッセージを送られたのを確認すると、返答を待たずにそのまま通話を切った。

三枚のトースト片手に部屋を出る。通りすがりの隣人、五月初頭のやや肌寒い空気、車道を行き交う自動車に自転車。それらを意識することなく、少女は歩道を一人歩く。
行く先は束都中学校。神秘と日常の学び舎。これから少女は、非日常へと身を投じる日々を送ることとなる。

にも関わらず、少女の脳内を占めているのは、口内に広がる小麦の風味と、昼休みに食べる学食のメニューだった。