RECORD
Eno.896 百堂 巡の記録
s07.ショセツがいっぱい
初めの記憶は何だったろう。
ねえやを探す幼子の手を引いて歩いた土の道。
酔っ払った不躾な男の歩みを遮ってでんと落ちた己の影。
何だかそういうモノであったように思うけれど、どれもこれもは明確でない。
だって、誰も知らないのだ。
だって、誰もがそれを知っていたから。
▼
「センセイって狐なんだっけ?」
「そんな説もありますねえ」
講義の終わった後。
いつも通りの雑談、その今日の話題の的は新調したという朱墨でさくさく添削をしている講師になった。話を振った猫又の教え子は雑談ついでに朱墨に前脚を突っ込む隙を伺っているが、残念ながらガードは堅い。
我らが塾長、大体何につけてもそんな感じだと猫又は思っている。ガードが堅いと言うかのらりくらりとしていて、今だって「説」とか言って明言しない。
「ショセツあるってやつね。好きねそれ」
「好きって言うかそうとしか言えないんですよねえ、君と違って先生これって正体無いんですよ」
「無いんだ」
「そこに無いので無いですね」
無いならしょうがない。
なあなあで納得しかけた猫又は、あれ、と撫で心地の良さそうな毛並みに覆われた黒い頭をほてりと傾げた。
「でも名前はあるじゃないの、センドウさん」
表だとどうやら別の名前らしいし、裏でも割とそっちを使っているのを耳にしているけど。確かなんか塾長の怪奇としての名前はそういうものである。
名前がある、とは正体があるということ。
例え正体不明であっても「正体不明の怪奇」という個は成立しているはず……というところまで猫又は深く考えてはいなかったが、つまりそんなニュアンスの疑問であった。
対する塾長はと言えば、あーね、と呑気に頷いている。
「センドウさんってどう書くか知ってます?」
「知らない」
「諸説あるんですよ」
またショセツである。
先導、千道、旋同、三途から取って千途。つらつらつらと裏紙に赤色で並ぶ全部が「センドウさん」であるし、なんならまだまだあるのだと神秘は言う。一応先導と千道が主力。
名前の数だけならお城が動く某映画の魔法使いとタメを張れるかもしれない。
「名前がいっぱいあるだけならまだしも、話す人によって正体も全然別物なんですよね。狐に狸に天狗に鬼だの」
「猫は?」
「ありますよ猫又説」
じゃあちょっと猫なのでは?
閃いた顔をする猫又に「だからって猫成分入ってるわけじゃないですよ」と塾長は先手を打った。なのでマタタビは効きません。
「例え話ですけど、大判焼きって知ってます?」
「今川焼きでしょ」
「しまった過激派だった。まあなんか、あんな感じでべらぼうに名前やら起源やらのレパートリーがある中で『あの形であの味がするやつ』って概念はあるじゃないですか」
あれが僕、と己を指さす人間を象った指先。
「名前の読みだけ決まってるローカル色の強い『なんか道案内してくれたり惑わしてくるやつ』が先生なんですよ」
「すごい雑」
「すごい雑なので諸説もばかすか増えます」
昔からいるようなこと言ってる割に標識とかいう現代的なものを使うのはなんかそういう理由らしい。
今どき知らない人が迷子の手を引いたりしたらそれはもう怪奇じゃなくて不審者なので、諸説増えた結果怪奇として生き残ってるのかもしれない。
「じゃあセンセイこの先もショセツで変わってくのね」
「噂が残ればですけどね。まあ、センドウさんの名前がつく前からいるので残るっちゃ残るでしょうけど」
もし思いっきり噂が変質したらそれは同一怪奇とは言えないだろうから、そうなれば実質死んだも同然。その辺に関しては彼の噂の行く先を祈っておくしかない。
まあ元々アイデンティティっぽいものが羽織しか無いひとではあるけど。
「3代目」は黒髪の綺麗なあらあらうふふ系お姉さんであったらしいし、人格とかそういうのは多分塾長にとってどうでもいい枠なんだろう。
「じゃあアタシが表行ったらたまにセンドウさんの話したげるね」
「管理局に怒られますよ? いやまあ……うーん、噂をまとめる程度なら怒られないのかな……」
程々にしてくださいよ。
微妙な顔で口にした塾長の言葉をOKと受け取って、猫又はどこかいそいそした調子で耳をぴんと立てて見せた。
「じゃあ猫又説集める」
「止めてください、先生ほんとに猫又になっちゃう」
ねえやを探す幼子の手を引いて歩いた土の道。
酔っ払った不躾な男の歩みを遮ってでんと落ちた己の影。
何だかそういうモノであったように思うけれど、どれもこれもは明確でない。
だって、誰も知らないのだ。
だって、誰もがそれを知っていたから。
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「センセイって狐なんだっけ?」
「そんな説もありますねえ」
講義の終わった後。
いつも通りの雑談、その今日の話題の的は新調したという朱墨でさくさく添削をしている講師になった。話を振った猫又の教え子は雑談ついでに朱墨に前脚を突っ込む隙を伺っているが、残念ながらガードは堅い。
我らが塾長、大体何につけてもそんな感じだと猫又は思っている。ガードが堅いと言うかのらりくらりとしていて、今だって「説」とか言って明言しない。
「ショセツあるってやつね。好きねそれ」
「好きって言うかそうとしか言えないんですよねえ、君と違って先生これって正体無いんですよ」
「無いんだ」
「そこに無いので無いですね」
無いならしょうがない。
なあなあで納得しかけた猫又は、あれ、と撫で心地の良さそうな毛並みに覆われた黒い頭をほてりと傾げた。
「でも名前はあるじゃないの、センドウさん」
表だとどうやら別の名前らしいし、裏でも割とそっちを使っているのを耳にしているけど。確かなんか塾長の怪奇としての名前はそういうものである。
名前がある、とは正体があるということ。
例え正体不明であっても「正体不明の怪奇」という個は成立しているはず……というところまで猫又は深く考えてはいなかったが、つまりそんなニュアンスの疑問であった。
対する塾長はと言えば、あーね、と呑気に頷いている。
「センドウさんってどう書くか知ってます?」
「知らない」
「諸説あるんですよ」
またショセツである。
先導、千道、旋同、三途から取って千途。つらつらつらと裏紙に赤色で並ぶ全部が「センドウさん」であるし、なんならまだまだあるのだと神秘は言う。一応先導と千道が主力。
名前の数だけならお城が動く某映画の魔法使いとタメを張れるかもしれない。
「名前がいっぱいあるだけならまだしも、話す人によって正体も全然別物なんですよね。狐に狸に天狗に鬼だの」
「猫は?」
「ありますよ猫又説」
じゃあちょっと猫なのでは?
閃いた顔をする猫又に「だからって猫成分入ってるわけじゃないですよ」と塾長は先手を打った。なのでマタタビは効きません。
「例え話ですけど、大判焼きって知ってます?」
「今川焼きでしょ」
「しまった過激派だった。まあなんか、あんな感じでべらぼうに名前やら起源やらのレパートリーがある中で『あの形であの味がするやつ』って概念はあるじゃないですか」
あれが僕、と己を指さす人間を象った指先。
「名前の読みだけ決まってるローカル色の強い『なんか道案内してくれたり惑わしてくるやつ』が先生なんですよ」
「すごい雑」
「すごい雑なので諸説もばかすか増えます」
昔からいるようなこと言ってる割に標識とかいう現代的なものを使うのはなんかそういう理由らしい。
今どき知らない人が迷子の手を引いたりしたらそれはもう怪奇じゃなくて不審者なので、諸説増えた結果怪奇として生き残ってるのかもしれない。
「じゃあセンセイこの先もショセツで変わってくのね」
「噂が残ればですけどね。まあ、センドウさんの名前がつく前からいるので残るっちゃ残るでしょうけど」
もし思いっきり噂が変質したらそれは同一怪奇とは言えないだろうから、そうなれば実質死んだも同然。その辺に関しては彼の噂の行く先を祈っておくしかない。
まあ元々アイデンティティっぽいものが羽織しか無いひとではあるけど。
「3代目」は黒髪の綺麗なあらあらうふふ系お姉さんであったらしいし、人格とかそういうのは多分塾長にとってどうでもいい枠なんだろう。
「じゃあアタシが表行ったらたまにセンドウさんの話したげるね」
「管理局に怒られますよ? いやまあ……うーん、噂をまとめる程度なら怒られないのかな……」
程々にしてくださいよ。
微妙な顔で口にした塾長の言葉をOKと受け取って、猫又はどこかいそいそした調子で耳をぴんと立てて見せた。
「じゃあ猫又説集める」
「止めてください、先生ほんとに猫又になっちゃう」