RECORD
Eno.59 墓畑次郎の記録
B級映画の尺稼ぎ
「ではジローくん、今日は《殺人ロブスター》の映画を見よう!」
そう言ってプロジェクターを操作したのは、Dr.リュカ・ソーンだった。
彼は墓畑を見下ろす収容室の監視窓越しに立ち、相変わらずのテンションで映画を始めようとしている。
墓畑からすれば、それは複雑で、奇怪な関係だった。
FICSA──虚構科学を標榜する過激な思想団体の中心人物でありながら、リュカはなぜか最初から墓畑に妙にフレンドリーだった。なれなれしいと言っても差し支えない距離感だ。
彼は墓畑を含む「怪人」たち──蝙蝠、蛇、鮫、海月、シロアリ、そしてロブスター──すべてに対して親身だった。
自分が造り上げた存在に、まるで実の親以上の愛情を注ぎ、手間を惜しまない。そうした態度が彼にとって何を意味していたのか、墓畑には理解できなかった。
ただ一つ確かなのは、リュカは「共有できる娯楽」を好んだということ。
わざわざ拘束された墓畑の収容室にプロジェクターを取り付けてまで、映画を一緒に見たがるほどには、寂しがりだったということだ。
「……」
「今回はすごいぞ。なんせ鮫映画業界の大手・エルサレム社からのエントリーだ。ちゃんと殺人ロブスターが出る!」
「……びっくりするくらいハードルが低い」
「モンパニ映画を低予算で作るとなると、どうしても……コストがね」
「尺稼ぎでクソ地味な移動シーンと内輪揉めを延々見せられるこっちの身にもなれよ。肝心のモンスター、蚊帳の外なんだよ」
「今回は違うかもしれないだろ」
映画のセンスはいつだってカスだった。
映画の趣味も合わないし、散々酷い目にあわされていながら墓畑は、なんだかんだでリュカのことを「嫌い」と断じきれなかった。
攫われ、実験に疲弊し、自分を失っていく日々の中、リュカとの会話だけがほんの少しだけ息をつける時間だったからだ。
それはもはやストックホルム症候群と呼ぶにも色褪せていたが。
「ごめん、見てるの辛くなってきたから二倍速していい?」
「ふざけんなよお前マジ」
墓畑のぞんざいな口調にも、リュカは怒らなかった。
画面の中で浮気したのしてないのと揉め続ける男女が倍速で騒ぎ立てる。
しかし体感ではその動きすら遅々と感じるほど、映画は退屈だった。
港に現れた殺人ロブスターが水着の美女を襲い、その友人が復讐に立ち上がる──というチープなストーリー。
序破急もなければ、起承転結も存在しない。観ているだけで、どっと疲れる。クソ映画だ。
「殺人ロブスター出たの序盤とラストだけじゃねーか!」
「ロブがロブスターにリブステーキにされたのは驚いたね」
「驚きもくそもあるか! 着ぐるみのロブスターがバーベキューで肉焼いてるシーンを殺人シーンって言い張るのは無理があるだろ!」
「いや、あれ多分ザリガニだね。鋏が両方にあって小さかったし」
「ザリガニ!?」
「台詞はロブスターだったけど、たぶん予算足りなかったんだろうなあ」
「……俺は、あんなのにならないよな?」
そう問う墓畑に、リュカは笑って「ならないから安心して」と優しく言った。
スクリーンには、OPとEDにしか出番のないロブスターが威張ったように鋏を振っていた。
「……前に見てた特撮の続き、気になってたんだけど。どうして急にこんな映画を? 俺を苦しめるためか?」
「えっ、あれ? ああ……あれもうあと三話で最終回だから、もういいかなって」
「なんっでだよ!!」
「だってあの作品、悪の組織を倒しておしまいじゃん?」
その言葉に、墓畑は一瞬言葉を窮した。
「……あんた、自覚あったんだ。悪の組織って」
「私は自分のしてることを“悪”だとは思わないけど、怪奇という立場上、そういうポジションにはなっちゃうからね」
「……、ホラーと特撮以外のジャンルも見た方がいいよ」
「でも、これが好きなんだよね」
「どうして?」
リュカの指先が伸び、スクリーンの投影が途切れた。
壁はただの白に戻り、そこに映っていた馬鹿馬鹿しい映画が急に不気味に思える。
墓畑はそのスクリーンから目を逸らした。
リュカはそれに気づいたように振り向き、小さく笑って墓畑の頭を撫でた。顔の割に皺と傷の多い手だった。
「お約束ってあるじゃない。ホラーならファーストキルは金髪のセクシー美女。特撮なら名乗りとポーズの間は攻撃されない。
──そういうテンプレート、大衆が刷り込まれてきた儀式のようなもの」
「しょーもないやつだろ」
「それが案外、深いんだよ。ああいうのはそもそも商業的に成功したシーンの寄せ集めだからね。
ウケた手法が継承されて、お約束となり、秘伝のタレか信仰のように定着していく。
戦隊ものは全身カラータイツで5人組。幽霊は白ワンピで黒髪ロング。殺人鬼は仮面をつけて暗がりに立つ。……そういう“ミーム”なんだ」
「…、前に言ってた“虚構科学”ってやつか」
「そう。神秘と現実の境界を安定させるための再現儀式。
その理屈を応用すれば、この不安定な世界でも“裏”を保てる。でも使い方を間違えれば、君たちは消し飛ぶだけだ。だから、僕は……ちゃんと話しておくね。こういうのはさ、納得づくの方がいいんだ、洗脳は失敗フラグだからね……」
墓畑には、それが理解できなかった。
机上の空論とも言えない、どこか呪術的な理屈。科学を神秘に堕とし、信仰として奉るこの思想は、確かに多くの災難を撒き散らしてきた。
墓畑も、それが「間違っている」と感じてはいた。ただ、その思いを明確な言葉にできるほど、まだ何も知らなかった。
「観測は人類誰もが持つ原始的神秘だ。でもそこには、観測者の“認識”と“属性”が入り込む。……私はね、ジローくん」
墓畑は、ロブスター男になりたかったわけじゃない。
──そりゃそうだろ、と今だって思う。
ロブスターが好き、というのはただの子供の好み。映画の台詞から印象付けられただけで、なりたいなどと望んだことは一度もなかった。
シンボルとして、あるいはちょっとした愛着として。それだけの話だった。
裏世界でFICSAに拉致されたあの日から、墓畑の時間は止まった。
コンクリートむき出しの収容室。冷えすぎた空調。青ざめた指先。
天井からは眩しい照明が照りつけ、パイプベッドと金属の便器だけがある部屋。はめ込まれた小さな強化ガラス窓には、いつも誰かの視線があった。
──右腕が鋏型の爆弾に置き換えられた時、墓畑は恋人を失ったように泣いた。
初めて鏡を見たときは、卒倒した。
繰り返される改造は、彼から着実に「人間であること」を奪っていった。
リュカは言う。
「この世界を、《お約束》の通る虚構にしてやりたいのさ」
墓畑は答えなかった。
ただ、胸の奥に静かに問いを抱えた。
──それってただの……。
そう言ってプロジェクターを操作したのは、Dr.リュカ・ソーンだった。
彼は墓畑を見下ろす収容室の監視窓越しに立ち、相変わらずのテンションで映画を始めようとしている。
墓畑からすれば、それは複雑で、奇怪な関係だった。
FICSA──虚構科学を標榜する過激な思想団体の中心人物でありながら、リュカはなぜか最初から墓畑に妙にフレンドリーだった。なれなれしいと言っても差し支えない距離感だ。
彼は墓畑を含む「怪人」たち──蝙蝠、蛇、鮫、海月、シロアリ、そしてロブスター──すべてに対して親身だった。
自分が造り上げた存在に、まるで実の親以上の愛情を注ぎ、手間を惜しまない。そうした態度が彼にとって何を意味していたのか、墓畑には理解できなかった。
ただ一つ確かなのは、リュカは「共有できる娯楽」を好んだということ。
わざわざ拘束された墓畑の収容室にプロジェクターを取り付けてまで、映画を一緒に見たがるほどには、寂しがりだったということだ。
「……」
「今回はすごいぞ。なんせ鮫映画業界の大手・エルサレム社からのエントリーだ。ちゃんと殺人ロブスターが出る!」
「……びっくりするくらいハードルが低い」
「モンパニ映画を低予算で作るとなると、どうしても……コストがね」
「尺稼ぎでクソ地味な移動シーンと内輪揉めを延々見せられるこっちの身にもなれよ。肝心のモンスター、蚊帳の外なんだよ」
「今回は違うかもしれないだろ」
映画のセンスはいつだってカスだった。
映画の趣味も合わないし、散々酷い目にあわされていながら墓畑は、なんだかんだでリュカのことを「嫌い」と断じきれなかった。
攫われ、実験に疲弊し、自分を失っていく日々の中、リュカとの会話だけがほんの少しだけ息をつける時間だったからだ。
それはもはやストックホルム症候群と呼ぶにも色褪せていたが。
「ごめん、見てるの辛くなってきたから二倍速していい?」
「ふざけんなよお前マジ」
墓畑のぞんざいな口調にも、リュカは怒らなかった。
画面の中で浮気したのしてないのと揉め続ける男女が倍速で騒ぎ立てる。
しかし体感ではその動きすら遅々と感じるほど、映画は退屈だった。
港に現れた殺人ロブスターが水着の美女を襲い、その友人が復讐に立ち上がる──というチープなストーリー。
序破急もなければ、起承転結も存在しない。観ているだけで、どっと疲れる。クソ映画だ。
「殺人ロブスター出たの序盤とラストだけじゃねーか!」
「ロブがロブスターにリブステーキにされたのは驚いたね」
「驚きもくそもあるか! 着ぐるみのロブスターがバーベキューで肉焼いてるシーンを殺人シーンって言い張るのは無理があるだろ!」
「いや、あれ多分ザリガニだね。鋏が両方にあって小さかったし」
「ザリガニ!?」
「台詞はロブスターだったけど、たぶん予算足りなかったんだろうなあ」
「……俺は、あんなのにならないよな?」
そう問う墓畑に、リュカは笑って「ならないから安心して」と優しく言った。
スクリーンには、OPとEDにしか出番のないロブスターが威張ったように鋏を振っていた。
「……前に見てた特撮の続き、気になってたんだけど。どうして急にこんな映画を? 俺を苦しめるためか?」
「えっ、あれ? ああ……あれもうあと三話で最終回だから、もういいかなって」
「なんっでだよ!!」
「だってあの作品、悪の組織を倒しておしまいじゃん?」
その言葉に、墓畑は一瞬言葉を窮した。
「……あんた、自覚あったんだ。悪の組織って」
「私は自分のしてることを“悪”だとは思わないけど、怪奇という立場上、そういうポジションにはなっちゃうからね」
「……、ホラーと特撮以外のジャンルも見た方がいいよ」
「でも、これが好きなんだよね」
「どうして?」
リュカの指先が伸び、スクリーンの投影が途切れた。
壁はただの白に戻り、そこに映っていた馬鹿馬鹿しい映画が急に不気味に思える。
墓畑はそのスクリーンから目を逸らした。
リュカはそれに気づいたように振り向き、小さく笑って墓畑の頭を撫でた。顔の割に皺と傷の多い手だった。
「お約束ってあるじゃない。ホラーならファーストキルは金髪のセクシー美女。特撮なら名乗りとポーズの間は攻撃されない。
──そういうテンプレート、大衆が刷り込まれてきた儀式のようなもの」
「しょーもないやつだろ」
「それが案外、深いんだよ。ああいうのはそもそも商業的に成功したシーンの寄せ集めだからね。
ウケた手法が継承されて、お約束となり、秘伝のタレか信仰のように定着していく。
戦隊ものは全身カラータイツで5人組。幽霊は白ワンピで黒髪ロング。殺人鬼は仮面をつけて暗がりに立つ。……そういう“ミーム”なんだ」
「…、前に言ってた“虚構科学”ってやつか」
「そう。神秘と現実の境界を安定させるための再現儀式。
その理屈を応用すれば、この不安定な世界でも“裏”を保てる。でも使い方を間違えれば、君たちは消し飛ぶだけだ。だから、僕は……ちゃんと話しておくね。こういうのはさ、納得づくの方がいいんだ、洗脳は失敗フラグだからね……」
墓畑には、それが理解できなかった。
机上の空論とも言えない、どこか呪術的な理屈。科学を神秘に堕とし、信仰として奉るこの思想は、確かに多くの災難を撒き散らしてきた。
墓畑も、それが「間違っている」と感じてはいた。ただ、その思いを明確な言葉にできるほど、まだ何も知らなかった。
「観測は人類誰もが持つ原始的神秘だ。でもそこには、観測者の“認識”と“属性”が入り込む。……私はね、ジローくん」
墓畑は、ロブスター男になりたかったわけじゃない。
──そりゃそうだろ、と今だって思う。
ロブスターが好き、というのはただの子供の好み。映画の台詞から印象付けられただけで、なりたいなどと望んだことは一度もなかった。
シンボルとして、あるいはちょっとした愛着として。それだけの話だった。
裏世界でFICSAに拉致されたあの日から、墓畑の時間は止まった。
コンクリートむき出しの収容室。冷えすぎた空調。青ざめた指先。
天井からは眩しい照明が照りつけ、パイプベッドと金属の便器だけがある部屋。はめ込まれた小さな強化ガラス窓には、いつも誰かの視線があった。
──右腕が鋏型の爆弾に置き換えられた時、墓畑は恋人を失ったように泣いた。
初めて鏡を見たときは、卒倒した。
繰り返される改造は、彼から着実に「人間であること」を奪っていった。
リュカは言う。
「この世界を、《お約束》の通る虚構にしてやりたいのさ」
墓畑は答えなかった。
ただ、胸の奥に静かに問いを抱えた。
──それってただの……。