RECORD

Eno.368 煤掛ヶ原 黎瑛の記録

「……だからね、心配しすぎだと思うんだよ、兄ちゃん」


電話の向こうの相手に向かって、クロエは何度目かにそう言った。
ハンズフリーの状態で、話しながらも手元では鉢に水をやる手を止めていない。
季節は春である。初夏と呼ぶにはまだもう少し、朝晩は冷える日もある、いい季節。
これからぐんぐん伸びる時期だ。新しい苗を仕入れてみるのもいいかもしれない。

『……聞いてるのか、黎瑛?』


「聞いてるよ~。いいじゃない、ちょっとくらい羽目を外したって。
 そりゃもちろん、度が過ぎるのはまずいだろうけど……そういう子じゃないでしょ?
 兄ちゃんが一番よく知ってるはずだよ」


『それは、そうだけどな……』


もごもごと何か言い淀む相手は、年の離れた兄だ。
今年から兄の娘――クロエにとっては姪にあたる――が、ひとり寮生活を始めるというので、心配性の兄はずっと同じことしか言わない。
気持ちはわからないではないが、心配ばかりしても仕方がないだろうとクロエは思っている。
自分自身も進学と共に一人暮らしを始めたから、たぶん兄よりは姪の気持ちはわかる。

「兄ちゃんがそう言うからさ、ちゃんと卯ノ花ちゃんと連絡先も交換したし。おれの家も教えておいたし。
 いつでも来られるようにこっちの方も話通しておくしさ。大丈夫だよ」


この話も、果たして何度したのだか。苦笑を浮かべて、クロエは手にしていた如雨露を置いた。
兄はまだ何かもごもご言っている。

「え、なに~? 兄ちゃん、なんか言った?」


『だから、お前の方はどうなんだって聞いてるんだ』


「おれ? ……ああ~、全然、変わりないよ。本当に心配性だね、兄ちゃん」


枯れた葉っぱを取り除きながら、クロエは薄く笑った。
娘のことも弟のことも、そんなに心配していたら身が持たないのではないだろうか。
ありがたいことだけれど、特に変わりはないのだから、そんなに気にかけなくても大丈夫だ。

「ありがと、兄ちゃん。なんかあったら、ちゃんと連絡するよ。あ、卯ノ花ちゃんのこともね」


父親と叔父が自分のことを話しているなんて、姪に知られたら嫌がられるかもしれないが。
まあでも、クロエの知る彼女なら、さほど気にしたりはしないだろう。
早々妙なことなんて起こらないはずだ。たとえこの街であっても。

……そう、この時までは思っていた。