RECORD
Eno.235 薩摩耶 ポルカの記録
【社会工学部資料抜粋】基礎社会学 - 社会学における「客観性」と「社会的事実」
■社会的事実とは?
![]()
社会学における「社会的事実」とは、「個人の外に存在し、個人に対して強制力を持つ、集団的な行動様式」のことを差します。
社会的事実を構成する3つの特徴
・外在性 - 「社会的事実」は、個人の外部に存在し、個人的な表現から独立して存在します。
・拘束性 - 「社会的事実」は、個人の行動や思考、良心を制約します。
・一般性 - 「社会的事実」は、規則性があると言えるほど十分に発生し、集団的であると言えるほど十分に広範囲に影響します。
例えば、法律、道徳、規範、国家、宗教、貨幣制度などが挙げられます。
社会実在論 -「社会は物である」
「社会的事実」を定義した初期のエミール・デュルケーム曰く、社会学が目指すことは、社会学的方法を個人の人間の研究に当てはめるのではなく、この「社会的事実 = 経済の状態や宗教の影響力といった、個人としての私たちの行為を形作る社会生活の諸側面」を考えることにあります。
社会的事実は、目に見えず、触ることもできません。
しかし、「社会は諸個人の単純な集合ではなく、また個人に還元出来ない、独立した客観的存在である」とする考え方を「社会実在論」といいます。
■客観性とは?
社会学的な客観性は、通常私たちが認識しているであろう意味における「主観を離れて独立的であること、第三者的視点で考えること」とは違います。
デュルケームが提唱した社会学的な客観性は、「個人の意識と集合意識を区別するための方法論的な概念」のことを示します。
![]()
このような定義は、研究者を倫理的・観念的な先入観から解放することを目指して提唱されました。
「多くの人にとって虹は七色である」という文は、現代の日本では客観性を持った情報であり、社会的事実であると言うことができるでしょう。
しかし、他の国では虹を六色とすることや、八色、二色とすることもあります。こういった国々では、「多くの人にとって虹は七色である」という文は社会的事実ではありません。
日本では虹を七色であるとすることは正常的であり、他の色数であるとすることは病理的です。
しかし、前述のような他の国では、逆に虹を七色であるとすることが病理的であるとされるのです。
社会的事実とは、定まっているか否かに関わらず、個人に対して外的な拘束力を及ぼし得るあらゆる行動様式のことである。
或いは、ある社会において広く普及していて、しかも個々人の表現からは独立した固有の存在を持つものである。
――デュルケーム「社会学的方法の基準」(1895)
社会学における「社会的事実」とは、「個人の外に存在し、個人に対して強制力を持つ、集団的な行動様式」のことを差します。
社会的事実を構成する3つの特徴
・外在性 - 「社会的事実」は、個人の外部に存在し、個人的な表現から独立して存在します。
・拘束性 - 「社会的事実」は、個人の行動や思考、良心を制約します。
・一般性 - 「社会的事実」は、規則性があると言えるほど十分に発生し、集団的であると言えるほど十分に広範囲に影響します。
例えば、法律、道徳、規範、国家、宗教、貨幣制度などが挙げられます。
社会実在論 -「社会は物である」
「社会的事実」を定義した初期のエミール・デュルケーム曰く、社会学が目指すことは、社会学的方法を個人の人間の研究に当てはめるのではなく、この「社会的事実 = 経済の状態や宗教の影響力といった、個人としての私たちの行為を形作る社会生活の諸側面」を考えることにあります。
社会的事実は、目に見えず、触ることもできません。
しかし、「社会は諸個人の単純な集合ではなく、また個人に還元出来ない、独立した客観的存在である」とする考え方を「社会実在論」といいます。
■客観性とは?
社会学的な客観性は、通常私たちが認識しているであろう意味における「主観を離れて独立的であること、第三者的視点で考えること」とは違います。
デュルケームが提唱した社会学的な客観性は、「個人の意識と集合意識を区別するための方法論的な概念」のことを示します。
もっとも一般的な諸形態を示している事実を正常的と呼び、他方を病態的もしくは病理的と名付けることにしよう。
――デュルケーム「社会学的方法の基準」(1895)
このような定義は、研究者を倫理的・観念的な先入観から解放することを目指して提唱されました。
「多くの人にとって虹は七色である」という文は、現代の日本では客観性を持った情報であり、社会的事実であると言うことができるでしょう。
しかし、他の国では虹を六色とすることや、八色、二色とすることもあります。こういった国々では、「多くの人にとって虹は七色である」という文は社会的事実ではありません。
日本では虹を七色であるとすることは正常的であり、他の色数であるとすることは病理的です。
しかし、前述のような他の国では、逆に虹を七色であるとすることが病理的であるとされるのです。