■ 神秘の基本定義
神秘(mystery / mysticism)とは、人知を超えた原理や真理であり、科学や論理では完全には説明できないが、確かにそこに存在すると感じられるものを指す。
神秘管理局の定義では、既存科学を凌駕する未知の事象・生物・構造物・エネルギーの総称、端的に言えば「よくわからないもの全般」である。
超常現象、異能、魔術、未来技術、そして怪奇などがこれに含まれる。
神秘の由来は多岐にわたり、意思や感情といった不可視の概念、あるいは特定の土地から理不尽に発生するなど、非常に不規則かつ多種多様だ。
これらは「現代社会の常識」や「物理法則」に従わず、体系的にも理解されにくい構造を持ちながらも現実に作用し、影響を及ぼす異常な理である。
一度その存在が許容されれば、人間の価値観や社会構造を根本から揺るがす可能性がある。
しかし、神秘の多くは「未知に対する思念」を基底としているため、観測によって生じる「解明」と「普及」によって未知性を喪失すると、神秘としての存在や概念そのものが消滅するとされている。
本稿では、この「解明と普及」とは何か、そして「よくわからないもの全般」としての神秘とは何かを考察し、その考察を基に「神秘」への理解を深めることを目的とする。
■科学にとっての「神秘」
表世界を席巻する科学にとって、では「神秘」とはなんなのか。
理論はあるが、直観的・日常的には理解不能な現象、というのは科学においては課題でしかない。
例えば昔は雷や疫病は『神の祈り』や『呪い』として『神秘』とされたが今では気象学や病理学によって構造が明らかになっている。
実績として科学は『神秘』とされてきたものを解消してきた以上、その期待を止める事はできない。
現代物理学、とくに量子力学や相対性理論の分野では、人間の常識や感覚では理解できない事実が多数存在している。
この例として、観測問題、量子もつれ、暗黒エネルギーなど、人間の感覚では把握しがたい問題がある。しかしこれらは、依然として「説明可能性」を前提とした探究の対象だ。
それらが「神秘的」と形容されることがあれど、これは裏世界が求める『意味不明さへの畏怖』や『未知への諦念』ではない。あくまでも『課題の難解さの詩的表現』であり、知的挑戦の姿勢が崩れたわけではないのだ。
近代以降の科学的合理主義と世俗化の進行の中、人間は感情や直感ではなく、思考と証拠にもとづいて判断・行動する力を手に入れた。
科学的な因果と理性は、人類が世界を理解・制御するための最も強力なツールであり、神秘の起こす多くの理不尽を論理的に叶える手段となっている。
「今はわからない」が「永久にわからない」とは違う。
科学における神秘とは、あくまで一時的な未知であり、不可知ではない。
■ 宗教にとっての「神秘」
科学的神秘が「解明を前提とした仮説的未知」であるのに対し、宗教やオカルトにおける神秘は「不可侵・解釈不能なもの」として扱われる。
「人間の理性や知識では完全には理解できない、神の領域」
神学では、「神秘」とはしばしば「神の意志」「神の摂理」「信仰によってのみ触れられる真理」を指す。
人間の理性や科学的探求によっては完全に把握・解明することができずとも、信仰を通して部分的に理解され、受け入れられるべき超越的な真理だ。
科学における「未解明の課題」とは根本的に性質が異なるものであり、そもそも『理解できないからこそ、信仰を通して受け入れるべきもの』なのだ。
この場合、神秘は不可知ではない。
神が人間に向けて意図的に真理を少しずつ「啓示」するものとされます。よって、神秘は「隠されている」ものというより「徐々に明かされつつある」ものでもある。
「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」と哲学者があげたように、言語が意味をもつのは論理的に構造化された命題に限られ、倫理・美・神といった形而上学的な問題は言語の有効領域を超えたものであり、論理的命題として組み立てられないとして言葉を超える価値や体験の存在を受け入れる謙遜が求められる。
神を言葉で定義しないことこそが、むしろ神の本質を尊重する態度であり、神秘は論理で理解するのではなく、祈り、礼拝、宗教儀式、啓示などを通じて接近するものだ。
宗教にとっての神秘は「不可解なもの」ではなく、「超越的すぎて人間の理性では完全には理解できないもの」
つまり、「知の限界を超えた真理」である。
■ 物語や思想における「神秘」
一方で前述した科学的な神秘や、宗教的な神秘は一般的にはあまり浸透した概念ではない。
一般的には神秘は「霊妙不可思議」という意味で使われることが多いように思われる。
「神秘」という言葉は、「謎めいた」という意味としてとらえる者の方が多いだろう。
「秘められた現実、人知によって到達しえない認識」であり、物語やオカルトにおいて、この感覚は日常よりも外にある、『非日常の象徴』として扱われる。
偶然や不条理に見える出来事に、物語的な意味や象徴性を持たせるのは劇的な演出であり、知的関心と情動を同時に刺激する核となる。
神秘の多くは物語を支える謎や超越の構造的役割を果たす。
それは非日常的理不尽であったり、与えられた難解な謎であったり、『語られない事』そのものであったりする。
神秘はプロットの中心ではなく「余白」に宿ることが多い。それは「なぜこの出来事が起きたか」ではなく、「なぜ私はこれを不思議に思うのか」といった存在的な問いを観客自身に投げ返す。
現代思想では、神秘とは「他者性」「不可能性」「空白」「断絶」としても現れる。
近代哲学において、主体と客体の分離が強調される中で、「他者」は主体にとって理解しきれない、異質な存在として扱われる。
この理解の限界、完全に捉えることのできない「他者」の深淵には、一種の神秘性が宿ると考えられるだろう。
レヴィナスの他者論などがこの視点を強く示唆しており、他者の顔を通して、無限の責任や倫理的な要求といった、理性だけでは捉えきれない深遠なものとして扱われる。
■踏まえた見解
科学の発展は、確かにこれまで「神秘」とされてきた事象の解明を進め、その数を減らしてきたと言える。雷が神の怒りではなく放電現象だと理解されたように、疫病が呪いではなく微生物の感染症だと判明したように、多くの「よくわからないもの」が科学の光によって照らされ、そのメカニズムが明らかになった。
この過程において、科学は「神秘」が持っていた畏怖の念や想像の余地を奪ってきた側面は否定できない。
かつて人々は、理解できない自然現象に対して畏敬の念を抱き、物語や神話を紡ぎ出してきた。
しかし、科学的な説明が普及するにつれて、そうした物語的な解釈は影を潜め、現象は単なる物理法則や化学反応として認識されるようになる。
近代以降の科学的合理主義の浸透は、世界を理解するための主要な枠組みを科学へとシフトされていった。
感情や直感よりも論理的な思考が重視され、証拠に基づかない主張は懐疑的に見られるようになる。この結果、かつては「神秘」として受け入れられていた事象も、科学的な検証の対象となり、説明可能なものと不可能なもの、あるいはまだ解明されていないものへと分類されるようになったのだ。
また、物語や思想における「神秘」が依拠する「謎めいた感覚」や「非日常の象徴」といった要素は、科学的な解明によってその力を弱められることとなる。
神秘管理局から明らかにされている表世界においては科学によって「神秘を完全に否定される」ことで弱化・消滅してしまうという事象は、こういった『物語性の損失』が神秘にとって致命的な要素をはらむからではないか?と私は考えている。
もちろん一方で、科学の進歩が新たな「神秘」を生み出す可能性も指摘できるだろう。例えば、宇宙の起源や意識のメカニズムなど、現代科学が未だ完全に解明できていない領域は、新たな探求の対象として、ある種の知的興奮や畏敬の念を呼び起こす。ただし、これはあくまで「一時的な未知」であり、科学は将来的な解明を前提としているため、完全なる神秘からは程遠いものであるのは否定できない。
科学は「神秘」とされてきた多くの事象を解明し、その根源的な不可解さや物語的な力を薄めてきたと言える。
科学的な視点が社会に浸透するほど、「神秘」は日常から遠ざかり、特別な、あるいは未解明な領域へと追いやられる傾向がある。
これは我々のような弱小の怪奇にとっては非常に懸念するべき点である。
土地や、信仰や物理的な肉体を中核とする怪奇とは違い、我々のアイデンティティはこういった物語的余白あるいは不可知の他者性に神秘の中核が置かれていると思われる。
自己の形が弱い者ほど、科学の与える存在の固定化に屈服し、表世界での在り方を受け入れる代わりに裏世界での形を失ってしまう。抵抗が出来ない。
では、科学は神秘と迎合することはできないのか?ただ我々神秘にとって有害なのか?
いや、そうではない。
その証明のひとつが、神秘率の計測機───スマートデバイスである。
学連に所属する学生すべてに支給される、電子学生証等の機能を含むウェアラブル端末であるこのデバイスには、神秘率を図る計測機能が搭載されている。
これらは一般学生には明らかにはなっていないが、裏世界に関わる機関所属者には周知の事実となっており、簡単に自身の神秘率を確認することができる。
これらを観測・干渉するには同様に神秘を帯びた者であることが最重要となるが、これらは一般的に『科学的に解明』され『普及』された神秘の形の一つであるのではなかろうか。
一般的に場の神秘率が高いほど神秘は力を発揮しやすく、低いほど神秘は本来の力を発揮できないことが多い。
科学優位の世界である表世界では神秘の出力が大きく下がり、神秘優位の世界である裏世界では神秘の出力が向上する傾向にある。
場の神秘率は周辺で発生した神秘事象によって上がることもあれば、時間経過でその場におけるニュートラルな形へと戻っていくこともある。
この器具は『神秘率』という明確な数字化をもって己の状態を観測させるものである。
場の神秘率は周辺で発生した神秘事象によって上がることもあれば、時間経過でその場におけるニュートラルな形へと戻っていくこともあると、いうのが三機関が提唱している説である。
神秘率を「数値」として扱うためには、まず神秘に共通する性質、すなわち「神秘性」をある程度の構造や傾向として捉える必要がある。これは矛盾を孕む行為である。
たとえば、温度という概念は、分子運動の平均的エネルギー量を指す物理量として定義されたからこそ、計測が可能になった。同じように、神秘もまた、ある特定の観点から「統計的・経験的に意味のある構造をもつ異常」として捉え直すことで、神秘管理局は神秘の測定を可能としてたのではないか。
「神秘率を数値化する」という行為は、通常ならば神秘性を削ぐはずであるのに、この数値多数の実績をもって信頼性を意地している事は今までの資料でも明らかになっている。
神秘率とは、「よくわからないものの密度」ではない。
むしろ、「既知の世界に対する、未知が保持する干渉可能性の割合」なのではと考えられる。
これは「神秘」が再定義された知識として科学に迎合している例となりうるだろう。
つまり「解明された神秘はすでに神秘ではない」という単純な二分論ではなく、「神秘性の度合い」を維持したまま、科学と部分的に融合するという中間形態の獲得を意味している。
もっとも現状残念なことにこの技術は未だ一般公開には至っておらず、正規機関内での制限利用に留まっている。
だが、神秘を“数値”で測るという試み自体が、科学と神秘の接点として今後の鍵となるのではないかと我々は予測している───
そこで、我々FICSAは、神秘管理局の作った神秘率の計測結果を参考に独自の方法で神秘率を測ろうとした。以下がその記録である。
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■FICSA基準における神秘率の計測方法
神秘率とは、「対象がどれほど神秘に適応・関与・影響されているか」を数値化した概念であり、100点満点のスケールで評価する(FICSA内通称:MI値)。
この数値は、科学と神秘の境界における“存在の歪み”の程度を示しており、数値が高いほど「人間という存在定義」から逸脱する傾向が強くなる。
また、この計測はあくまでも対象を人間と限定した数値とし、怪奇の強弱を図るものではない。
■神秘率の計測方法※2
● 統計的観測法(Quantitative Observer Collapse)
対象者の行動・現象・発言・異能使用・怪奇への接触の履歴を観測者群で記録
既知の「神秘的影響パターン」と照合。
“観測者の精神的崩壊率”や“矛盾記録の頻度”などを用いて数値化。
● 神秘汚染スペクトル測定(MPS:Mystic Pollution Spectrum)
対象者の存在が空間・因果に与える“神秘的ノイズ”を検出。
神秘空間との共振率・時間軸歪曲度・不可視粒子(異存在由来粒子)を分析。
● 認知差異試験(CDT:Cognitive Dissonance Test)
被験者の発言や行動が「常識」や「物理法則」とどれほど乖離しているかを評価。
大衆の認識とズレるほどスコアが上昇。
FICSAにおける神秘率の基準※1
0–19
常人/現実的思考と物理世界の安定範囲内。観測・影響ともに科学的に解釈可能。
20–39
接触者(Touched)/怪異や異常存在と軽度な接触経験あり。軽度な神秘汚染や幻覚症状などが確認される。
40–59
汚染者(Contaminated)/精神・身体に異常が定着。軽度な異能現象や現実改変を不随意に起こす可能性あり。現実離れの前兆。
60–79
異能者(Aberrant)/高い神秘適応性。意図的な異能発現が可能。空間歪曲、言語異常、存在バグなどが頻発。
80–89
境界存在(Liminal Being)/存在定義が曖昧化。観測により変容が起こる人間という範疇から逸脱し始める。
90–99
擬似怪異(Pseudo)/すでに一部が“怪異化”しており、人の文脈では理解・記録が困難。神格化の兆候も。
100
完全怪異化(Full)/肉体・精神・存在論の全てが神秘に侵食され、“人”として記録不可能な存在になる。
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この計測に信頼がおけるようになれば、かねてより計画していた意図的な局所の神秘氾濫の目安にも使えるだろう。科学による否定や大衆化による神秘の減衰を受けにくい怪奇への協力が望めない今、我々そのものの数や個々の神秘の純度を挙げるよりほかない。
存在するだけで場の神秘率を上げるほどの強度が我々にない以上、臨界点を越えるための明確な目標は構成員のモチベーションになり、強いては新たな怪人の作成、怪奇の神秘性の付与の向上へとつながる。
FICSAは「神秘氾濫」を誘発することで、科学的秩序を揺るがし、「原初の神秘世界」の回帰を促している。
そのためにも、科学というものの再神秘化と融合は最重要の項目となる。時間だけは我々に有り余っているのだから。
※1:人と怪奇の神秘率計測は内容が違う。人間の場合は怪奇としてのタイムリミットが神秘率に直結するが、怪奇の場合はその存在の強度であり、神秘としての現実からの肯定値を指すと考えられる。そのため、この計測方法で観測できるのは人間の状態だけである。
※2:FICSA理論では、数式モデル上は以下で近似される:
Ψ(x,t) × M(o,p) → φ*(x,t)
Ψ(x,t):未観測状態の波動関数
M(o,p):観測者の属性(o=観測者種別, p=意図性パラメータ)
φ*:観測後に確定した状態(現実としての定量形)
この式が意味するのは、「観測とは方程式の一部であり、観測者の属性を排除しては現実を記述できない」という立場だ。
FICSAでは「観測したから現実が生まれた」という単純な創造論ではなく、 「観測とは、可能性の波を特定の位置に“配置し直す”こと」と捉える。
この文脈で ϕ∗(x,t)\phi^*(x,t)ϕ∗(x,t) は「真の現実」ではなく「意図的な確定状態」とする。
MR = f(O, A, P, C)
**O(Observer:観測者)**の意識状態、信仰傾向、思考形式
**A(Apparatus:観測装置)**の形式的構造、象徴性
**P(Phenomenon:対象現象)**の曖昧性、潜在構文
**C(Context:文脈)**の物語濃度、歴史的遺構、伝承結節点など
こちらの数式は”観測された現象が、通常物理系では説明困難な余剰構造を帯びる確率”を指す。
※ 上記は簡易式であり、実際には非ユークリッド的観測干渉行列が関与する。