RECORD

Eno.507 八板・シュタイア・ドライゼの記録

【埋もれた歴史:イゾンツォの戦い・Ⅰ】

―1916年 11月4日 イゾンツォ川 西スロベニア地域―



世の中は二度の世界大戦を経験した。








一度目となる戦争は、『大戦争』と呼ばれ欧州を中心に世界各地に戦火が迫ったものだ。
そしてそれは、私が見守り続けるハプスブルク家に於いても例外ではなかった。



墺太利/洪牙利帝国時代のハプスブルク家には少年の父と、叔父が居た。名をそれぞれ、ゲルフリート1世、
ゲルト=ヘルマン1世といい、叔父であるヘルマンは当時の墺太利を力強く支えた老帝として支持が厚い者で
あった。ゲルフリート1世は叔父側から見ると、甥の甥にあたる者で、皇位継承権を有していた。



この時、少年は6歳でありながら私の事が視える数少ない『家長』ならびに『当主』を継ぐに相応しい
人物であった。『大戦争』の最中でもあり、帝国内のハプスブルク家は内政すらも難しい時期に居た。
ゲルフリート1世、彼は継承順位では生誕時に第5位の位置におり、重要視されていない存在だったが――



ヘルマンの息子が駆け落ちの果てに心中を起こし亡くなる悲劇、第2位に居たゲルフリートの祖父の病死、
そして歴史書にも名高く、『大戦争』の引き金となった『サラエヴォ事件』によって亡くなった
継承順位第3位の大公夫妻。この立て続けに起こった悲劇こそがゲルフリートの価値を上げる事になる。



大戦期、ゲルフリートはその繰り上がった継承順位故に「若大公」と呼ばれていたにも関わらず、意図的に
戦事から外されていた。これは老帝が甥である若大公を側近とし公務に充てた事、軍参謀長の計らいもあった。
尚、若大公の父は不摂生が祟り若くして崩御したためにこの時点での皇位継承者は、若大公にあった。



が、帝国内部で『今現在、若大公は老帝の側近として就けるべきではない』という
『前線での活躍を期待する』声が高まり、老帝の側近として就く事は許されなくなった。老帝は世論を考慮し、
最終的に老帝の命令として軍の参謀長にも『若大公を今後は戦事から外さないように』と命令する事になる。



これにより、ゲルフリートは新設された部隊に配属され、戦地へと配備される。
そしてそれは、次期当主となる彼を見守らねばならない私にも影響を与える。彼が戦地に行くならば、
私もまた戦地へと赴く事になるからだ。幸い、ゲルフリート以外には私の姿は見えていなかった。



ただ、それ故に私と喋る彼は虚空に向けて一人で会話する若大公として映る。
同じ部隊の戦友たちは「若大公が心労を患っているならば、我々が頑張らずしてどうする」
(若大公の心労を取り除くため、一日でも早く戦争を終わらせる)と団結したようだった。









1916年。ゲルフリートの配属していた部隊はイゾンツォ川の流れる地域にある
山脈や渓谷に進駐し、伊太利王国軍の攻撃に立ち向かう事になった。
このイゾンツォ川周辺を巡る一連の戦いは、『イゾンツォの戦い』として有名となるのだが……








――それはこの地域が激戦区となったから――である。
この区域だけで数百万人の兵士たちが命を落とし、酷い消耗戦として記録される事になった。



この戦いは数年続き、11回の会戦があった事から
「第一次~第十一次」の言葉がつく事が多い。
その中でも私が特に――『思い出したくなかった』――のは、「第九次イゾンツォの戦い」であった。






















ゲルフリートの部隊が進駐した渓谷と山脈は美しき岩肌と木々、澄んだ青空が特徴的な場所であった。
進駐したゲルフリートの部隊は当初副次的戦線だったトレンティーノ地方の戦線に配属された。
ここで彼の部隊が最初に行った事は、墺太利軍司令部が発令した『攻勢作戦』の実行であった。



これは同盟国である独逸側の意見を無視した作戦であり、交戦の結果、墺太利側は敗走する。
この時に残った兵力は全て、ゲルフリートの部隊も含めて主戦場のイゾンツォの方面に回される事になった。
これが5月15日から、6月10日に起きた出来事である。



それから数か月、ゲルフリートの部隊は数回の伊太利王国軍の攻勢を押し返す努力をしてきた。
が、最前線の部隊が敗走した事により、彼の部隊が控えていた渓谷と山脈の防衛線もまた、主戦場となった。








11月4日。











その日は連日続いた伊太利軍の攻勢が珍しく止んだ日であった。
急いで陣地の守りを強化する為に鉄条網やら塹壕やらの補修作業に追われる部隊の兵士たちをよそに、
私はゲルフリートと共に尾根にある機銃陣地で休息を取っていた。








「……若大公よ、この数か月の働き。ハプスブルク家の男として立派だったな」




「そうでしょうか」




「ああ。長い間見守ってきたが、ここまでの激しい戦いを生き抜いてきた男はそうそう居らん」




「そうでしょうね」




「……」








彼は、陣地に転がる別部隊の仏様に祈りを捧げていた。
この陣地は2日前、伊太利軍の攻勢によって一度陥落し、その数時間後にすぐに奪還された場所でもある。
仏様は別部隊の者であるから、ゲルフリートの知る者ではない。それでも祈りを捧げていた。







 ― この陣地で任を全うした兵士の慣れ果て ―



「かの者の魂が救われ、安らぎを得ますよう……」




「……若大公、随分と熱心なのだな?」




「あなた様を信じていますからね。『吸血鬼』と卑しく言われたあなたを」




「……ふん」








老帝の父が貼り付けた私への烙印は、残念なことに受け継がれてしまった。
ゲルフリートは悪意なく私を信じるが、それは『吸血鬼』の方ではなく『本来の』私の事だろう。








「老帝は私を『吸血鬼』と呼んだ。その烙印は今後取れる事はない。
 それでもお前は、かつての繁栄を期待して――過去の栄華を夢見て――信じているのか?」




「私はただ、信仰に篤いだけなのです。信じる事で救われるなど、夢物語でしかないとしても……」




「人は期待を信仰に乗せる生き物ですから」








ゲルフリートはそう告げる。だがそれが私に届く事がないのは、彼も承知だろう。
言葉は私に向けていたとしても、その視線は赤の他人だった何かに注がれているのだから。
喉の渇きが酷い。ゲルフリート、お前さえ居なければ、その仏の血を貪るというのにな。








「……だから、『守護天使』で居てくれと?都合のいい男だ。『吸血鬼』だと老帝が烙印を押した者に
 都合よくであってくれと、信じたいからこんなことをするのだろう?」




「ええ、人はそういうものですからね」




「悪びれもしないのだな」




「この場所で取り繕う、という事はしてはいけないと思っただけですね」




「実直なヤツだ」




「そういうものなので」








ゲルフリートはそう告げて、立ち上がる。もう目の前の仏に祈りは必要ないと判断したのだろう。
だが立ち去る事はせず、すぐ傍にあった水冷式の重機関銃の整備を始めた。その姿勢は、ここに居直る事を示していた。
本隊の陣地とは少し距離がある上に、ほんの少し前まで戦場だった場所である。私は無言で弾薬箱を彼の傍に置いた。



お互いに黙って作業をした。
幸いにも伊太利軍が日中、攻撃を仕掛けてくることはなかったため、守りをしっかりと固める事ができた。
……そんな折、夕陽が山脈に沈みつつある頃合いで――ゲルフリートは陣地構築用の工具やら何やらを使って何かを作っていた。











「何を作っているんだ」




「祈りを捧げるにも、今までは簡易的な十字架を用いていました。
 なのでこれを作っていたのです」




「ほう」




それは、機関銃の空薬莢と射手が使っていた拳銃の空薬莢を組み合わせて作られた十字架だった。
どのように溶接したかは思い出せないが、ゲルフリートは存外器用な男だったことは覚えている。





「もっと早く作るべきだったのでしょうね」




「十字架をか。またどうして?」




「そうすれば、もう少しだけ……我々は安らかに眠ることも
 この地で流す血を、天は許してくれるのではないか……」




「……」




「安心しろ。どうせ天はそこまでお前達の事を気にかけてはいない。
 だから――――」




その続きの言葉を遮るように、爆発音が舞い込んで来る。
近くに砲弾が落ち、砂利と石礫が陣地内に降り注いできた。



「……!これは」




「『来た』か……ゲルフリート、急いで引き返せ。今お前一人しか、この場には居ないのだぞ」




「いえ」




「引き返せと言っているんだ。死ぬ気か?」




「いいえ」




「じゃあ何故」




「天が、この場で流す血を許して下さるかどうかの答えは得られていないからです。
 だがもう血は流れ始めている。だから退かず、この地を守るだけです」




「…………」






ゲルフリートは銃座につくと、弾薬が装填されている事を確認して構えた。
砲弾の雨が降り注ぎ始めてからは、もう全てが滅茶苦茶と言っていい光景が続いた。









To Be Continued ...