RECORD
𝑨𝒅𝒎𝒊𝒕𝒕𝒆𝒅𝒍𝒚, 𝑰'𝒎 𝒏𝒐 𝒈𝒆𝒏𝒊𝒖𝒔, 𝒃𝒖𝒕...
雲居七色展『ドラマチック』展示場 にて -
『髪を結う女性』
絵画 / 20XX年
髪を結う手先を中心に広がるように若さが宿り、手先から離れるほど醜く・痛々しく老いさばらえている老婆の絵。
――芸術家とは身体を操りその一部の集中をもって作品と成る物を作る。あるいは全ての人間が、ある瞬間、何かを行うその部分だけに、確かな魂が宿る。それがどうあれ世界への干渉であれば影響を、結果を残すことになる。
神経を集中した「手先にのみ生命力が残る、存在感が残る」とすれば、とうに芸術家である彼にとって……――

「……」
『リコリスの花』
彫刻/20XX年
鍾乳石の彫刻。七本指の手。
自然現象により、重力に従って落ちることで「色彩」を作った鍾乳石に、重力に逆らって上にのぼる「かたち」を人工的に与えている。
――……この作品は稀少品である鍾乳石で掘られている。石灰岩から溶け出した炭酸カルシウムが結晶化したものを言い、当然ながら色合いやサイズに個体差が大きい。
モチーフおよび創作性としては、回帰、順応出来ない、そして……――

「………」
『霧の街』
絵画/20XX年
「フォーカスしたポイントから離れるほどに曖昧に変貌する」作品群の中で、ポイントの存在しない油彩。
国内のようにも海外のようにも見えるが、所謂彩雲が街に満ちている。呑み込んでいるというよりは、満ちているという表現が妥当に思わされる。
――……意識が朦朧としている瞬間、世界はひどく曖昧である。
雲居七色の作品群において、「ある瞬間、ある部分にのみ宿る存在性」を思わせる描写が適用されていないものは、『霧の街』が代表的である。
全てに注視(フォーカス)出来なくなった時、世界はそこに存在しているのだろうか。あるいは、知覚すべき当人が死んだ状態で。
霧や雲が静かな街に色彩を齎しているようにも、吸い上げているようにも見えるこの『霧の街』は……――

「…………」

「ただ、やっぱり、
わたくしにはわかりませんわね。
良く言えば、理解が及ばない、になるのでしょうけど、
本当の感想としては……。
理解する器がない、ですわね」

「理解かぁ……うん。
わからない、ということはわかった
……かな。こういうのに正解があるのか
どうかもわかんないけどね」

「……………」

「…………理解……」
作品を見て、学友たちの言葉を聞いて考える。
何を思って、彼はこの作品たちをつくりあげたのだろう。
なんらかの感情の発露。あるいは、映る世界の共有。
あるいは、本当に凡人になど理解できもしない、想像にも及ばない衝動とか。
―――結局、考えたところで、答えは出ない。
作品を見つめながらもう一度考えてみても、余計に、わからなくなるばかり。
でも、もし彼が、理解をしてほしい何かがあってこの作品群を作ったのだとしたら。
そう思うと、理解ができないと諦めてしまうことの方が何だか申し訳がないような気がして。
そういう諦めの悪さが、共に見に来た二人の学友との差なのかもしれない。
或いは、身の程知らずの足掻きというだけなのかもしれないけれど。
けれど。
そう、けれどだ。

「―――」
『贈り物を受け取る手』
彫刻 / 20XX年
泣いている人の涙をぬぐっているように見える、二人組の彫刻。
『髪を結う女性』と同様に、手先から広がるように一部分のみが人間的で、他の部分は腐敗した植物のようなものが絡みついてかろうじて人間のシルエットをしている。
――……非現実・死・精神体・精神世界における変貌、手先以外が老いている『髪を結う女性』から後に制作された『贈り物を受け取る手』。
雲居七色の作品に度々言及する推理小説作家・宮越壮一氏は「現実感が喪失しているのではないか」と評した。……――

「……うん」

「でも、わたしは、雲居くんのつくったもの、
……すごく、すきだったな」
少なくとも、理解したいと思った理由のひとつだろうから。
この気持ちくらいは、大切にしたいものだ。
ENo150 花畑踏々ちゃん、ENo329 九条陶椛ちゃんを
お借り&台詞の引用をさせていただきました🌸



