RECORD
Eno.32 不藤識の記録
record. 『覆水盆に返らず』
俺が1年の頃、女子の中で最初に話しかけてくれたのはあきらだった。彼女との付き合いは、それ以降も続いて……今月、5月を以て凡そ1年を過ぎた頃合か。
俺からすると、一番関係の長い友達だった。
――――――――――――
そもそも入学当初は、どうせまた中学までと同じように自分が浮いた存在になるんだろうと思っていたから、人付き合いも程々にする予定だったし。
だから、クラスのみんなが話しているところを、遠巻きに眺めることが多かった気がする。それが4月の話。
そうして、ぼんやりと人の輪を眺めていたところに、黒髪の少女が小さく笑って話しかけてきたことを鮮明に覚えている。
切り揃えられた黒髪に、青の差し色が眩しくて。
隠れた耳にはかっこいいピアス。大きな黒い瞳を細めて話す様を、当時はなんと形容したのだったか。
――とても、目を奪われるような笑顔だった。
今より少々素っ気ない態度だったけれど、当時は俺からしたら初めて向けられた笑顔だったはずだ。それが少しだけ……そう、少しだけ嬉しくて。
試しに趣味の映画の話を振ったら、意外と好印象だったことを覚えている。好きなジャンルが似通っていて、それとは別に格闘ゲームも好きであることも知った。
共通の趣味が多い、なんて経験は無かったので。
少し、ワクワクした気分になった。
以来、偶に映画を見に行ったり、何処か遊びに行ったりした記憶が幾つか。映画はどれも俺から誘っていたような気がしないでもないけど……自分の趣味に興味を持ってくれるのは、単純に嬉しかったので。
それを切っ掛けに、俺から他人への交流は増えていった。あきらに興味を抱いてから、他の人にも同じように興味を抱くようになった。
頼まれ事は率先してやった。困っている人は率先して助けた。さりげないフォローは欠かさないようにした。
そうしたら、他人から声を掛けてもらうことも増えて。交流が広がって、その分色んな人に興味を抱いて。その切っ掛けは、間違いなくあきらにあった。
友人も増えた。なんというか、みんなから俺の事をナンパ野郎だなんだとからかわれた事もあったけど。
違うんだよ。
あの日に受けた恩を、みんなにも配っているだけ。
そうしたかけがえのない日々は、俺にとって大切な日常の一部で。みんなが普通のことだと笑うこの時間が、俺にとってはささやかな幸せだった。
その過程で、あきらの笑顔も守りたいと思った。
きっと将来、素敵な人と添い遂げると信じているから、その後押しをしたいと。どうか、俺と違って長く笑い続けられますように、と。
だから、友達としての関係で終わる予定だった。
これ以上は踏み込んで欲しくなかった。
そんな気、最初から今までずっと無かったのに。
――――――――――――
テーブルを挟んで話し合う。
映画の感想を語り合う。
それだけだったはずなのに。
手元のご飯の味がしない。
謝ろうと思ってた。みんなに勘違いされて、迷惑かけたねって。好きな人ができたから、適度な距離で接することにしようねって。
謝って、新しい付き合い方を提案して。
それでおしまいのはずだったのに。

貴女は顔を赤らめて俺を見る。
そして時折、照れたように目をそらす。
目を合わせると、髪先をくるくると指に絡める。
ぼーっとしたような顔で見つめてくる。
頬が赤い。
見覚えのある目だ。考える。
聞き覚えのある表現だ。考える。
該当する表現。人はそれをなんと言ったか。

どうやら。
あきらは、俺に恋をしているらしい。
すぐに、この後寄る場所があると告げた。
全部は打ち明けられない。
だって、裏の事は話せない。
だから、触りの部分だけ。
何もかもが遅かった。
だから、これ以上傷が広がる前に。
今からにでも、すぐに。
俺が好きなのは、よすがであって。
あきらではないという、現実を。
――――――――――――
耐えきれなかった。
少し、想いが零れてしまった。
決壊したのは俺が先。
だから、あきらは大人の対応をしてくれた。
それで、俺は?
場を荒らすだけ荒らして、何を残した?
![]()
――やめてくれ。
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――応援しないでくれ。
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――俺を突き放してくれ。
![]()
――そんな顔を、しないでくれ。
全部俺が悪いのだから。
君がそうして涙を流しているのに。溢れる気持ちを飲み込もうとする必要なんて無いのに。
なんでそうやって、無理にでも笑おうとするの。

自分が一度、その道を通ったじゃないか。
好きな人のために、自我を抑え込む。
同じだ。思考回路が似たり寄ったりだ。
どうしようもない。
辛いことから目を背けてばかり。
いつから自分はそうなったんだっけ。
中学の頃までそんなことは無かったから。
つまり、高校に入ってから変わったこと。
変わってしまったのはここからだろう。
どうしてそのような変化が起こってしまった?
世界が広いことを知ったこと。
自分が思う以上に多種多様な人が居たこと。
ここに来て、色んな景色を知ったこと。
誰かから自分に向けらる言葉が甘美だったから?
そもそも、人間を好きになってしまったから?
結局、それもあきらのおかげで、人に興味を
最悪だ
最初から、全部?間違って、
俺の、せいで
先に帰ってて、と言われて。
腕が震えて。
もう二度と前のような関係には戻れない気がして。
嫌だったけど、足はその場を離れようとする。
だから、矢継ぎ早に。
また明日、と。
別れの言葉を残して、君と反対の方向へ歩き出す。
人気のない公園。
出てくる気配のない彼女。
どうなっているのかは想像に難くない。
その日初めて、自分で自分の身体を傷つけた。
俺からすると、一番関係の長い友達だった。
――――――――――――
そもそも入学当初は、どうせまた中学までと同じように自分が浮いた存在になるんだろうと思っていたから、人付き合いも程々にする予定だったし。
だから、クラスのみんなが話しているところを、遠巻きに眺めることが多かった気がする。それが4月の話。
そうして、ぼんやりと人の輪を眺めていたところに、黒髪の少女が小さく笑って話しかけてきたことを鮮明に覚えている。
切り揃えられた黒髪に、青の差し色が眩しくて。
隠れた耳にはかっこいいピアス。大きな黒い瞳を細めて話す様を、当時はなんと形容したのだったか。
――とても、目を奪われるような笑顔だった。
今より少々素っ気ない態度だったけれど、当時は俺からしたら初めて向けられた笑顔だったはずだ。それが少しだけ……そう、少しだけ嬉しくて。
試しに趣味の映画の話を振ったら、意外と好印象だったことを覚えている。好きなジャンルが似通っていて、それとは別に格闘ゲームも好きであることも知った。
共通の趣味が多い、なんて経験は無かったので。
少し、ワクワクした気分になった。
以来、偶に映画を見に行ったり、何処か遊びに行ったりした記憶が幾つか。映画はどれも俺から誘っていたような気がしないでもないけど……自分の趣味に興味を持ってくれるのは、単純に嬉しかったので。
それを切っ掛けに、俺から他人への交流は増えていった。あきらに興味を抱いてから、他の人にも同じように興味を抱くようになった。
頼まれ事は率先してやった。困っている人は率先して助けた。さりげないフォローは欠かさないようにした。
そうしたら、他人から声を掛けてもらうことも増えて。交流が広がって、その分色んな人に興味を抱いて。その切っ掛けは、間違いなくあきらにあった。
友人も増えた。なんというか、みんなから俺の事をナンパ野郎だなんだとからかわれた事もあったけど。
違うんだよ。
あの日に受けた恩を、みんなにも配っているだけ。
そうしたかけがえのない日々は、俺にとって大切な日常の一部で。みんなが普通のことだと笑うこの時間が、俺にとってはささやかな幸せだった。
その過程で、あきらの笑顔も守りたいと思った。
きっと将来、素敵な人と添い遂げると信じているから、その後押しをしたいと。どうか、俺と違って長く笑い続けられますように、と。
だから、友達としての関係で終わる予定だった。
これ以上は踏み込んで欲しくなかった。
そんな気、最初から今までずっと無かったのに。
――――――――――――
テーブルを挟んで話し合う。
映画の感想を語り合う。
それだけだったはずなのに。
手元のご飯の味がしない。
謝ろうと思ってた。みんなに勘違いされて、迷惑かけたねって。好きな人ができたから、適度な距離で接することにしようねって。
謝って、新しい付き合い方を提案して。
それでおしまいのはずだったのに。
「…………」
貴女は顔を赤らめて俺を見る。
そして時折、照れたように目をそらす。
目を合わせると、髪先をくるくると指に絡める。
ぼーっとしたような顔で見つめてくる。
頬が赤い。
見覚えのある目だ。考える。
聞き覚えのある表現だ。考える。
該当する表現。人はそれをなんと言ったか。
「…………なん、で」
どうやら。
あきらは、俺に恋をしているらしい。
すぐに、この後寄る場所があると告げた。
全部は打ち明けられない。
だって、裏の事は話せない。
だから、触りの部分だけ。
何もかもが遅かった。
だから、これ以上傷が広がる前に。
今からにでも、すぐに。
俺が好きなのは、よすがであって。
あきらではないという、現実を。
――――――――――――
耐えきれなかった。
少し、想いが零れてしまった。
決壊したのは俺が先。
だから、あきらは大人の対応をしてくれた。
それで、俺は?
場を荒らすだけ荒らして、何を残した?
「うん、諦めちゃだめ」
――やめてくれ。
「絶対に、放しちゃだめだよ」
――応援しないでくれ。
「幸せになって」
――俺を突き放してくれ。
「あたしのことは、気にしないでいいから」
――そんな顔を、しないでくれ。
全部俺が悪いのだから。
君がそうして涙を流しているのに。溢れる気持ちを飲み込もうとする必要なんて無いのに。
なんでそうやって、無理にでも笑おうとするの。
(――そいつの事が、好きだから)
自分が一度、その道を通ったじゃないか。
好きな人のために、自我を抑え込む。
同じだ。思考回路が似たり寄ったりだ。
どうしようもない。
辛いことから目を背けてばかり。
いつから自分はそうなったんだっけ。
中学の頃までそんなことは無かったから。
つまり、高校に入ってから変わったこと。
変わってしまったのはここからだろう。
どうしてそのような変化が起こってしまった?
世界が広いことを知ったこと。
自分が思う以上に多種多様な人が居たこと。
ここに来て、色んな景色を知ったこと。
誰かから自分に向けらる言葉が甘美だったから?
そもそも、人間を好きになってしまったから?
結局、それもあきらのおかげで、人に興味を
最悪だ
最初から、全部?間違って、
俺の、せいで
先に帰ってて、と言われて。
腕が震えて。
もう二度と前のような関係には戻れない気がして。
嫌だったけど、足はその場を離れようとする。
だから、矢継ぎ早に。
また明日、と。
別れの言葉を残して、君と反対の方向へ歩き出す。
人気のない公園。
出てくる気配のない彼女。
どうなっているのかは想像に難くない。
その日初めて、自分で自分の身体を傷つけた。