RECORD

Eno.507 八板・シュタイア・ドライゼの記録

没落貴族

ー8年前 オーストリア ハプスブルク領ー


ハプスブルク没落貴族の名門ボン少年が死んだ。

「……最期になんで、ああ言うかな」




私は、つい数分前にその生涯に幕を閉じた家の当主が眠る部屋の壁にもたれていた。
年老いたボンクラ……ボンは、それはまあ幸せそうに微笑んで眠ってしまった。
残された自分の存在が更に稀有になるのを感じる。

「お前は私を否定した。
 息子達がそれを信じ、触れ回ったが故の結果だというのに」



「お前、何で最期にあんな事を言ったんだ?」







数分前。当主の死の間際、私は彼のすぐそばにいた。
部屋の中には1人の医師が生命維持装置を弄っており、看護師も数名居る。
彼等はこの当主を1分1秒でも延命させるがために、科学の力を振るっていた。

だがそれが無駄なのは、誰一人として気付かない。
この家を代々、『見守り』続けた私にしか、その死期は分からない。

『…ーーー、少し、少しだけ…ワシを一人にしとくれんか……』

鼻に管を繋ぎ、しわがれた声を吐くボンの痛々しい姿。
それを目に入れるだけでも忌々しく思えるというのに。
彼は何か思ったのだろう、その間際に一人になりたいと医師たちに告げた。

『伯爵、それはいけません。我々はあなた様を永く長く……』

『…ワシの言う事が聞けんのかね……二度は言わんぞ……』

『……分かりました。』

医師たちも薄々勘付いてはいたんだろうな、と思う。
人は、死の間際に一人になりたがるか……大勢に見守られて息を引き取ろうとする。
ボンは、前者の人間だった。

医師たちが彼にお辞儀をして、部屋を出ていく。
それ即ち、彼が旅立つ事を理解しているようにも思える。
生命維持装置の規則正しい音が、部屋に響いている。
当主の寝室。豪奢な造りの部屋でありながら、時代の変化と共に変わっていった部屋。
この寝室で歴代の当主が育ち、眠り、息を引き取ってきた。
私は彼の傍に歩み寄る。

「少年。……お前もここまでか。
 前の少年よりは、長生きしたようで何より。」



『……彼奴はおらんのか。最期に、一目会いたかったものだ』

「……。」



『……守護天使よ、ワシはお前が居るという話なぞ、信じとらんかった。
 小さい頃、親父が「お前に合わせたい人がいる」と言ってお前に会わせたが。
 ……お前が守護天使である、なんて信じられんかったのだ。』

『お前はワシの事を弟の様に可愛がり、面倒を見てくれた。
 幼いワシの、淡い初恋の相手でもあったなあ……。……。』

「少年…」



『19の頃、ワシはお前に告白をした。
 「どうか、死ぬまで俺に付き合ってくれ」と。』

『答えは貰えなかったし、ワシが歳を取るにつれてお前さんも姿を見せる機会が
 無くなっていったように思える。……きっとワシに家庭ができて、子沢山である事、
 それ故にお前が年老いたワシと対等に接する姿は不自然であるとでも思ったのか…』

『……不思議なもんじゃ。……呼吸するのも大変だというのに……。
 お前さんとの思い出を、出会いを、口にするのは苦にも思えない……。』

「……お前の告白は聞いてやった。
 あの時はおかしな少年だと思いつつも、私なりに傍に居続けた」



「それだというのにお前は……
 家庭を持ち、子に恵まれるや否や、私の存在を否定した



『せがれ達には、昔から言い聞かせたなあ……。ワシのように、初恋で純粋な心を
 切ない思い出にして欲しくないと。家に伝わる守護天使なぞ、おらんのだと……。
 お前さんの事を、その時になっても「守護天使」だと思わなかったが故に、
 ……せがれ達はすっかり、「守護天使」など居ないと否定してしまった……。』

『親父が若い時の日記をある時見つけ、お前さんを描いたスケッチが出てくるまでは…。
 親父よりも前、祖父や曾祖父の日記にも、お前さんを描いたであろうスケッチが
 出てくるまでは、信じられなかったのだから』

「……お前の曾祖父が、私を見て言った言葉がある。
 『吸血鬼なんだろう』ってな。……認知の歪みは恐ろしいんだぞ」



「守護天使だというのに。……吸血鬼。
 この家を守る天使は、いつしか魔なるモノとして伝わっていて、曾祖父が
 それを口にしたんだ。だから信じられないと思ったお前は、正しいんだよ」



……彼に私の姿はきっと視えないだろう。医師たちには私が視えなかったように。
もう私は、この科学が全てを解決する世界では生きていける手段が無くなりつつあった。
その存在も、認知の歪みでどうにかこうにか生き伸びる事が出来ただけでーー

それを知る者であるボンが亡くなれば、完全に消えるか、或いは。

視えないが故に声も届かない。それでも。

「…正しいんだ、信じられないのは。
 でも、」



「どうして私を否定したんだ。
 自分の息子娘達にまでその認知を否定するように言い続けたんだ。
 日記を見た後も、どうして、どうして、どうして、どうしてーーーー」



『思えば、お前は天使であると言われれば信じられないが。
 吸血鬼だと思えば、不思議と信じる事ができた……』

『だが、日記を読んだ後にどうしてもーーお前の「逸話」が怖くなった。
 姿が視えぬまま、自分が死ぬ時。それは家にとって不幸が訪れるのだと』

『ならば、お前さんなど最初から居ないと思い続けた方が楽だと思ってしまった。
 それが、永く長く続くワシらハプスブルク家の守護天使であろうと……。

 数世紀以上に渡り、繁栄を支えたワシらだけの女神であろうと。
 もう、伝承などに頼ることなどしなくても良いと、思ってしまった。
 ……せがれ達もそう思ったのだろうな……ごほ、ごほ!』

『…育ったせがれ達は、お前の逸話など信じもせず、視る事もない。
 お前が居る時にお前の前にせがれ達を並ばせて見るように言っても、
 全員が「誰も居ないよ父上」じゃったからなあ……は、は、は、』

「吸血鬼でもいい、私を信じてくれさえすれば、お前はまだ生き永らえたんだぞ。
 お前が私を否定した結果、お前は……その死が大きく近付いたんだ!
 それだというのに、何笑ってるんだよ……!」



『……せがれ達はああだったが、可愛い孫息子は純粋じゃったなあ……。
 お前の話をしたんだ、孫が幼い頃に……。
 奴は、お前の事を「おじいちゃんは信じたのに、なんで今は信じなくなったの」って
 存在を信じているようだった。純粋な孫でなあ……。
 お前さんの存在を信じない理由を話しても、「それなら僕は信じる」と言うて聞かない』

『……思えば、ワシはその時安心したのじゃろう。
 「この孫が居れば、ハプスブルク家はこれからも安泰だろう」と。

 ワシの死を待ち、次の当主となってこの家を動かそうとする為に……。
 応接間で言い争いを続けているであろう、出来の悪いせがれ達とは対照的にな』

「……!」



『じゃから、最期くらい……。
 ワシは、お前さんに会いたかった。「守護天使」よ……。
 最期に……。』

『ワシの孫の下に行き、彼を見守って欲しい、と……。
 そう願い、託したかった……。せがれ達の次ぐハプスブルク家は、没落するじゃろうに…』

『……ならば、継承からは遠い遠い……孫の彼奴が、何時かお前と共に再び……。
 ハプスブルク家を盛り返せば、それでよいのだ……。

 ……「守護天使」よ……すまなかったな、あ……』

『…ワシは……やはり、信じれなかったが……。

 お前さんが、大好きじゃった……。』


『……』


「……、少年、おい……。
 まだ逝くな……私はここに居るんだ、なあ」



彼の手を握る。……冬場の湖の水のように冷たい手が、私の手で包まれる。
それは、もう彼の灯が消えうせた事に他ならない証拠には充分だった。

「……おい、おい!少年!!
 ボン!!!」



私が何度呼び掛けても、彼はその幸せそうに微笑んだ表情を崩さず、
動く事もなく。生命維持装置から鳴り続ける「心肺停止」のブザー音が部屋を満たした。



それから間もなく、医師たちが入ってきて彼の死亡を確認した。
23時55分、それが彼の旅路の切符に刻まれた時間。
寸分狂わず、私が把握した時間通りに彼は居なくなってしまった。






「勝手に否定して、私の存在が消える寸前まで追い込んで。
 ……最期に私に会って、孫を見守れだと?」



「自分勝手すぎる。
 私は確かに守護天使だが、お前達によってその在り方を変えられてしまったのだぞ」



「……。」





看護師が窓を開けていた。私はそれに合わせるように窓枠に飛び乗り、
そのまま家の外へと飛び出す。

ハプスブルク家。近代までは栄えたその一族も、少年の曾祖父の代で傾き始めた。
私を「守護天使」ではなく「吸血鬼」と認識したその瞬間からだった。
彼等は私を「真祖」と呼んで畏れ、そしてまた彼らの人生も落ちていった。

その末路が、コレとは。

息子たちの手により放逐された、継承者順位から遠い当主の孫。
その孫に会いに行って、見守れだと?
都合が良すぎないか、少年。私はもうお前の守護天使なんかじゃない。
お前達が認識を歪めた結果、私は正しくその在り方を維持できなくなった。
孤独の中でお前達と関わる事だけが救いだった私の事を否定した。
それ故に、


「虫唾が走る。」




守り続けてきたお前達への恨みが、言葉になった。
家を離れ、孫が居るとされる地まで、夜の闇に紛れて走り駆け抜けた。

孫がどこに居るのかは、なんとなく分かる。
これは、私を信じる者がどこに居るか分かる、というだけで……。
特別なものでもなんでもない、そう思っている。

1時間は走ったと思う。
深い森の中、国からは「自然保護区」とされているその区域で、

「…………。」



「…。」



新緑色のローブギリースーツを身に纏った孫を発見した。
彼の顔は夜の闇とそのフードに隠れて伺う事ができない。
しかし、彼は私に銃を向けていた。

「…いきなり目の前に出て悪かった。
 ……撃つのか?撃ってみるか?」



彼は無言のまま、銃をゆっくりと下す。
そして申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ありません。
 このシーズンは、観光客が迷い込む事はないと思っていたのですが。
 しかもこんな真夜中に……怖がらせてしまったなら重ね重ね……」



「…もういい。お互いに悪いって事にならないか。
 ……私は、お前の祖父の伝令だ。お前に言葉を届けに来ただけで……。
 ……。」



「……待ってくれ。お前、私が見えるのか?」



「…?はい、見えます。私の祖父に、あなたのような方が居たとは聞いていませんでしたが……。」



「……なら、その。いいんだ。
 …一応、今から言う事は驚かず、そして受け入れて聞いて欲しい。」



「ハプスブルク家当主は、未明に息を引き取った。
 次期当主は彼の息子達の誰かが継ぐことになるだろう。
 ……そして、伝令役である私は、孫である貴方の傍に居るように、遺言を授かった」



「……。」










彼には、私が「視える」ようだった。

それが、何を意味するか。











私は、まだやらねばならない事があるという事に他ならなかった。
この孫を見守り、そして彼の代を繫栄させねばならない、という使命がある事だ。
……最早、守護天使としては締め括りの仕事になるのだろう。
彼が何年生きるかは知らないが、その死期はまだ遠い。
せめて、彼の命令がない限りは少年の遺言に沿ってやろうじゃないか。




それが、私が見守り続けた一族。そしてその一族の末路も見届けるに至るなら。






充分だ。やってやろうじゃないか。