RECORD
レンガの迷宮にまつわる昔話
薄汚れたコンクリートの狭い通路を足早に抜ける。
通路の片側にはドアが据えられていたり、判読不可能な看板が掛かっていたりする。昭和の雑居ビルの地下を思わせる造りだ。
しかしここは裏世界、全てもぬけの殻でしかない。
>>1290460
「――♪………―♪」
慣れた様子で複雑な道を抜けていく青年の体には、外の夕闇に似た色の煙か霧のようなものが纏わりついている。
動きに合わせてたなびくその煙は、煙草などでは無く神秘と呼ばれるものだ。
青年は口を閉じているのに、低い男声の旋律が通路に反響している。
それはこの煙が歌っているのだ。上手くはあるが、他に誰もいない廃墟ではまるで虚ろに溶けていくような不気味さを醸し出している。
三十年ほど前、ここは大勢の怪奇を行方不明にしたと知っている者なら尚更だろう。
>>1291074
「ほおっほう!」
青年がレンガ造りのアーケード街の角を曲がった時だ。
通りの真ん中に、奇妙な亀が立っていた。
姿は大きな陸亀そのもの、しかし甲羅にはまるでプランターのように花々が咲き乱れている。
しかも、その亀は感心したような様子で口を利いた。怪奇だ。
「儂のほかにも、この建物で歌を歌う者がまだいるとはのう。ずいぶん久しぶりじゃわい」
>>1291218
「あら、こんばんは!」
突然声をかけられて「…っす」としか言えない青年と真逆に、煙は愛想良く挨拶をした。
「やだ聞かれちゃってたのね、適当に歌ってたからちょっと恥ずかしいわ。
おじいさんはお散歩?はじめましてよね」
>>1291380
「なになに、中々良い声じゃった」
煙は最も高いところでは2メートル近く、青年の上半身から頭を中心に漂っている。
かなり見上げる形ではあるが、言葉遣いにたがわず年の功を重ねているらしい亀は動じなかった。
「そうじゃな。儂は名も無いただの亀じゃ。だいたい亀爺とかお爺と呼ばれておるよ。
してお主ら、この新迷宮で歌を歌うことを誰かから教わったのかの?」
>>1293217
歌声を賞賛されると、あらやだ!と身をよじるように煙が揺らめく。
「ふふ、嬉しいわぁ。表じゃ声が出ないし、裏世界でも迷惑になるからなかなか歌うチャンスって無いのよ」
しかし続く言葉には覚えがなかった。はて?と数秒考え、青年の様子を窺うと彼も首を横に振る。
「ここと歌…の関係は聞いたことないわね。何かあるの?歌っちゃマズかった?」
>>1293274
いや、悪いことは何もないのじゃ。むしろ大いに歌ってくれい」
最初にそれだけ返すと、あー……と亀は声を漏らしながら思案する。
「お主ら、この街に来たのは最近かの。
ここは三十年も前に出来たんじゃがな、その頃はまだ不安定で多くの怪奇が入ったきり出てこなかったのじゃ。
行方知れずになった者たちを探すときに、目当ての怪奇を思い出す歌を歌って"道"を繋げたんじゃよ。
未だに帰らぬ者は表世界へまろび出てしまったのじゃろうと殆どが諦めたが、それでもここを守る者には今でも歌を歌いながら待ち人を探すものがおるのじゃ」
しみじみとした調子で語ると、古臭い話を聞かせてすまんの。と最後に老爺は付け加えた。
>>1293383
そんなことが……と煙は息を呑んだ。
一方で、黙って話を聞いていた青年がぽつりと口を開く。
「…古い話じゃねーっすよ。今でも生きてるかもしんねーんすから。
誰かが居なくなった穴は、他の何かで埋まるもんじゃないですし」
「行方不明になった人、情報とか残ってるんすか。
それ頭に入れながら歌ったほうがいいっすよね」
>>1293417
「ほっほっほ!」
青年の返事を聞いて、老亀はひときわ楽しげに笑い声をあげた。
「お若いの、優しいのう!顔も知らん昔の怪奇のために歌ってくれると言うか!
そうじゃな。あの頃はこの世界に多くあった組が統合された頃でもあっての。抗争のさなかに投げ込まれた者はどうか分からんが、今でも探されている者は"ころにすと"の拠点に記録されているはずじゃ。
しかし、無理はせんでええんじゃよ。本当に毎日のついでで十分じゃからの」
>>1293495
「そう……でも良いわね、やるわ。やりましょう。
ただ歌うために歌うのもいいけど、歌うことに何か意味があるのも嬉しいものよね」
大人しく話を聞いていた煙が、俄然いきいきと動き始める。
青年の顔の前にもいくらか靄のようにかかり、けむたいと言うように彼は目の前を手であおいだ。
「立ち話が長くなっちゃったわね。そろそろ家に帰らなくちゃ。
私はカラビンカ、この子はハギよ。お会いできて良かったわ、おじいさん」
>>1293755
「いやいや、こちらも昔話に付き合わせたのう」
亀は首を振るが、その顔は先程よりも明るい表情をしている。
「ほれじゃあ、気をつけての。変な道に入っちゃあいかんぞ」
最後にわざとらしく年寄り臭い科白をかけて、亀は二人を見送る。
その若々しい姿が見えなくなってから、また別の方向へと足を向けて歌い出した。





