RECORD

Eno.26 朔 初の記録

CASE:長久百2

長久百の昔のあだ名といえば、桃太郎一択だった。
もも、という名前からの発想。
子供達の発想はいかにも安直だった。
そちらの方が、呼びやすくて親しみやすい。
ももくん、と呼ばれるよりは、ももたろー、との方が良かったのも事実であったが。
もも、という名前が気に入ってなかったのも、事実としてあるわけだったが。

ただ、名前を聞いてこいといわれたあの宿題以来、長久百は自分の名前が好きになったような気もしていた。
少なくとも、ももと呼ばれるたびに感じていたモヤは、すっぱりと消え去っているようだった。
父と母の名前の付け方は、ちゃんと自分を思ったものだったらしい。
それだけでなんとなく、確かな満足があった。

学校を卒業してしばらく経った今も、友人からの呼び名はもっぱらももたろーのことが多い。
だから、ももと呼ぶ人は数える程度にしかいない。
家族と、友人数人と。

亡くなった親しいにいちゃんだけだった。




長久百は中華料理店の息子である。
否、現店主である。
2代目として引き継ぐことは、昔から決まっていた、訳ではない。

「俺が好きなことをしているだけだから、お前は自由に生きなさい」
「ま〜…後継はぼちぼち見つけるよ、俺んとこで」

親父殿のいう言葉。
これを聞かされて、長久百は育ってきた。
が、しかし。
長久百としては、絶対に引き継がねばならない、という訳でもなく。
絶対に引き継ぎたくないでもなく。

ただ、なんとなく、自分はこの店を継ぐのだろうなというぼんやりした思考を抱えていた。

「……」
「いや、親父はほんとに強要してねえんだ」
「強要されたことは一回もねえ。それは間違いねえ」
「俺がぼんやりと思い続けていた」

「長男一人だし」

食べにくる人の顔は小さい頃から眺めるところであった。

家族連れ。
会社帰り。
学生。

顔馴染み、と呼べる人も多かった。
息子くん、と呼ぶ客も何人かいた。
向こうも顔を知っているようだった。
そういう人たちの憩いの場であるらしいことは、子供ながらにもわかった。
この人たちは何度もこの店に来てるんだから、ここのご飯が好きなんだろう。
人情を覚えている。

厨房で忙しく鍋を振るう父の姿を見た。
夏場なんかは、特に熱気がこもっている。
子供ながらにもせせこましいと思う動く父の姿。
ワンマンショーは軽快に繰り広げられている。
その割、その父の姿は楽しそうだった。

熱気に一度当てられてしまった。

「……」

「なんか、いいよな、そういうのって、と思った」

言葉でうまくいえない。
ただ、熱に当てられた。
父親が、店の中で動く熱に当てられた。
ただ、ほんとにそれだけだった。

憧れとも違うし、羨ましさでもなく。
心を跳ねさせるには、その一瞬で十分だった。

──長久百は中華料理店の2代目である。


3代目は……予定がないけどな。