RECORD
Eno.1672 椎名盟芽の記録
ボクについて
椎名盟芽。ボクの名前。
国際貴女学院中等部二年生、ちなみに初等部から在籍。年齢および誕生日は言わない主義だけど学生だからそんなに意味はない。
部活動やクラブ活動の類はだいたい二年周期で変えてる。これは狙ってやってるわけじゃない、クラブ内の人間関係とか自分の立ち位置とかが熟するのがそれぐらいのタイミングってわけで。
数学が苦手。派生して化学式も苦手。
卵料理が好き。卵にあたる部分の味つけがシンプルめだとさらに好き。
信仰している存在がいる。この現代日本において信仰や宗教という行為はどこか語りづらいものとして扱われがちだけど、これはボクの自己の根幹を成す箇所だ。省いて語ることはできない。
ただしこの現代日本に生きるボクの父母は、信仰の自由はともかく、実の娘が奇怪な存在に傾倒することを許せなかったらしい。この感覚はボクも親と同じ年齢になればわかるのだろうか。こう言うってことは、ボクは両親に少なからず反発心を抱いているってことである。けれど、じゃあだからといって家出だとかケンカだとか、そういう手段に訴えるほどかといえばそうでもない。
ボクの信仰対象は神秘の存在。とある怪奇。ならば余計、主張をする意味がない。神秘は秘匿されるべきものなのだ。
これはボクにとって別に不都合なものでもない。それは常識であり理念であり俗説を縛る通説だ。当たり前になぞるべきもの。なので、両親にもクラスメイトにもそれ以外にもその怪奇のことを言わず、この歳まで生きてきたわけだけど。
ボクにとって、その怪奇はボクと深く繋がった存在で、いや、連続した存在というべきだ。ボクのアイデンティティであり、ボクがボクである地続きの証明。だから、その怪奇の存在を深く感じることができる裏世界が好きだし、その怪奇をなによりも大事にしたいと思う。
これは愛だろうか。愛ではないと思う。だから便宜上、信仰と呼んでいる。
ボクは裏世界で、自分の輪郭を確認するようにその怪奇の力を得る。触れあう。その度に明瞭になっていく感覚と領域がボクだと思ってる。椎名盟芽だと思ってる。
だから不安になる。表世界において、その怪奇をはっきりと感じられないとき、ボクがボクでないように思うようになった。表世界にいる、ぼんやりとした輪郭の持ち主がボクだと思いきれない。裏世界においてその怪奇と重なる瞬間の自分こそが真の自分であり、椎名盟芽だと考えるようになってきた。
自己連続性、という言葉がある。
とある精神疾患に悩む人物がいた。その人物は医者に診断をもらい薬を処方された。薬を飲むと意識がしっかりと保てるようになり、気持ちも向上しタスクも前よりこなせるようになった。ゆえに、そのタスクをこなせない、思考がどこかはっきりしない、悲しみに流されやすい自分のことが『本当の自分』だと――いまいる薬を飲んでいる自分と地続きの存在だと思えなくなってしまった。こういう話があるらしい。
薬を飲んでいる自分と薬を飲んでいない自分の連続性の消失。
ボクの感じている不安や疑念もこれに近い気がした。
本当の椎名盟芽は、いまのボクじゃない。
こう言ってみても、なんらおかしなことではない気がする。だってそうとしか思えないのだから。いまの自分には。
ボクはどこにいるんだろうか。ごくたまに、目の前にいる不明瞭な怪奇こそがボクなんじゃないかと思うことすらある。手をのばして、瞬きをして、笑みを浮かべる人間の椎名盟芽が、本当に椎名盟芽の核を担っているのかすらわからないときがあるのだ。人格も心もここにあるはずなのに。
どうしたらいいのかわからない。
けど、ボクはこの怪奇が本当のボクでもいい気がしてしまうのだ。いまのボクに真の椎名盟芽を見いだせない、それは紛れもない事実なんだから。
国際貴女学院中等部二年生、ちなみに初等部から在籍。年齢および誕生日は言わない主義だけど学生だからそんなに意味はない。
部活動やクラブ活動の類はだいたい二年周期で変えてる。これは狙ってやってるわけじゃない、クラブ内の人間関係とか自分の立ち位置とかが熟するのがそれぐらいのタイミングってわけで。
数学が苦手。派生して化学式も苦手。
卵料理が好き。卵にあたる部分の味つけがシンプルめだとさらに好き。
信仰している存在がいる。この現代日本において信仰や宗教という行為はどこか語りづらいものとして扱われがちだけど、これはボクの自己の根幹を成す箇所だ。省いて語ることはできない。
ただしこの現代日本に生きるボクの父母は、信仰の自由はともかく、実の娘が奇怪な存在に傾倒することを許せなかったらしい。この感覚はボクも親と同じ年齢になればわかるのだろうか。こう言うってことは、ボクは両親に少なからず反発心を抱いているってことである。けれど、じゃあだからといって家出だとかケンカだとか、そういう手段に訴えるほどかといえばそうでもない。
ボクの信仰対象は神秘の存在。とある怪奇。ならば余計、主張をする意味がない。神秘は秘匿されるべきものなのだ。
これはボクにとって別に不都合なものでもない。それは常識であり理念であり俗説を縛る通説だ。当たり前になぞるべきもの。なので、両親にもクラスメイトにもそれ以外にもその怪奇のことを言わず、この歳まで生きてきたわけだけど。
ボクにとって、その怪奇はボクと深く繋がった存在で、いや、連続した存在というべきだ。ボクのアイデンティティであり、ボクがボクである地続きの証明。だから、その怪奇の存在を深く感じることができる裏世界が好きだし、その怪奇をなによりも大事にしたいと思う。
これは愛だろうか。愛ではないと思う。だから便宜上、信仰と呼んでいる。
ボクは裏世界で、自分の輪郭を確認するようにその怪奇の力を得る。触れあう。その度に明瞭になっていく感覚と領域がボクだと思ってる。椎名盟芽だと思ってる。
だから不安になる。表世界において、その怪奇をはっきりと感じられないとき、ボクがボクでないように思うようになった。表世界にいる、ぼんやりとした輪郭の持ち主がボクだと思いきれない。裏世界においてその怪奇と重なる瞬間の自分こそが真の自分であり、椎名盟芽だと考えるようになってきた。
自己連続性、という言葉がある。
とある精神疾患に悩む人物がいた。その人物は医者に診断をもらい薬を処方された。薬を飲むと意識がしっかりと保てるようになり、気持ちも向上しタスクも前よりこなせるようになった。ゆえに、そのタスクをこなせない、思考がどこかはっきりしない、悲しみに流されやすい自分のことが『本当の自分』だと――いまいる薬を飲んでいる自分と地続きの存在だと思えなくなってしまった。こういう話があるらしい。
薬を飲んでいる自分と薬を飲んでいない自分の連続性の消失。
ボクの感じている不安や疑念もこれに近い気がした。
本当の椎名盟芽は、いまのボクじゃない。
こう言ってみても、なんらおかしなことではない気がする。だってそうとしか思えないのだから。いまの自分には。
ボクはどこにいるんだろうか。ごくたまに、目の前にいる不明瞭な怪奇こそがボクなんじゃないかと思うことすらある。手をのばして、瞬きをして、笑みを浮かべる人間の椎名盟芽が、本当に椎名盟芽の核を担っているのかすらわからないときがあるのだ。人格も心もここにあるはずなのに。
どうしたらいいのかわからない。
けど、ボクはこの怪奇が本当のボクでもいい気がしてしまうのだ。いまのボクに真の椎名盟芽を見いだせない、それは紛れもない事実なんだから。